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8.食材は森の中

その夜、小説の中のエリゼが泣いた時を思い返していた。確か自分が炎に消えた瞬間、エリゼは涙を初めて流していた。


そんな日の翌朝だった。私はエリゼとしてこの新しい世界で生きている自分をすんなりと受け入れて、とりあえず今を乗り切るというだけの感覚から、どうせなら楽しもうというとまで前向きに思うようになっていた。


社会人になったり、新しい環境になった時に、泣くことが通儀礼になることは多くある。エリゼは婚約破棄のあの日、泣いた後も生きていけば、もしかしたら全く新しい自分に生まれ変わった気持ちになれたかもしれない。


そんなことを考えていたら、あの日怒りの感情を焚きつけて、生きることを選択させたエリコの行動は正解だったのかも。


前向きな気持ちがどんどん強くなって、私は張り切って続きの作業に入った。

そういう気持ちは伝染するのか、心なしか軍の皆さんの作業も昨日以上に張り切っているように感じる。


「貴女はとても前衛的な感性の持ち主なのね。」

昨日の土台作りに出た端材、素材は石なのだけれども、動物なのか魔物なのか、ともかく四つ足っぽい何かに見える。


作者はサラだ。土台作りの剣技の競い合いに参戦したものの女性ゆえか力が足りず、変な形の物体を作り上げてしまったようだ。ただ今日の私はスーパーポジティブモードだ。


「オブジェという便利な言葉があるわ。」


芸術センスというのは人によって異なるものだし、ここは世界も異なるのだから、とりあえずどこかに飾ってでもおけば誰かが意味を見つけ出してくれると思う。

それっぽく見えるように、木を枠組みしてオブジェの台座を作ってもらい土台エリアの入り口に飾る。

必要十分以外の物品があることで余裕のある施設に見えるだろう.....か。


土台の上は、テント張り。支柱幅を大きくして広い居室空間を作る。色はオフホワイト。このテントがいくつも並んでると、モンゴル草原地帯のゲルのように見えてくる。そして内部を柔らかな布で居室空間を分ける。


その寝室空間に入れるのは。


ウォーターベッド。日本でも重量がありすぎるプロ仕様で、なかなか入手できなかったウォーターベッド。もちろんこの国ではそんなベッドの概念すらなかったけれども。

温泉水を詰め込んで運べる腕力には不自由しない上、温泉水を一定の形状に保つ器作りや温度管理に適切な魔法器具作りの天才もいる。ウォーターベッドに適した人材の宝庫で設置しない道理はない。


ウォーターベッドの温度管理は室温との兼ね合いも重要だから、1台の魔法器具で2種類の温度管理ができるようにする術式をルークと協議するのも楽しい時間だった。


このベッドが適しているのは、自然に囲まれたこの地で虫を寄せ付けない清潔なベッドを簡単に運用することができること、それに浮遊感というのは非日常の演出にはもってこいだ。


そして、寝室を柔らかに囲った布地は、薄地で高級な品でなくても、優美な曲線を描けば立派な天蓋にも見える。

魔法器具で足元から間接照明で柔らかい光を当てれば幻想的な寝室の出来上がりだ。


さて。あとはリビング家具ね。

いずれは高級ロッキングチェアなどもおきたいけれど、コスト重視の今は、ハンギンクチェアが良い。支柱を立てて丈夫な木の棒を地面と平行になるように吊るして、丈夫な布地を留める。

身体を布地がすっぽり包んでくれると優しい気持ちに包まれた気持ちになる上に。見た目にリゾート感が出るのもメリットとなる。


屋外にはテントごとに常設タープを張って屋外リビングスペースを作る。炭焼きコンロの設置もできた。


統率のとれた軍の力と、器用な魔法、魔法器具条件の整った環境のおかげで、頭の中に描いていたグランピングリゾートはかなり順調に完成できた。あとは、リゾート内に男女別温泉を掘って目隠しテントを作るだけというところまでできた。


「グランピングリゾート完成しました。」

「グランピング?」


アーサー王子に報告をすると、王子はその言葉の理解ができないようで、説明を求てきた。

グランピングというのが、贅沢に野趣を楽しむ施設であること、軍用資材や大自然、温泉の組み合わせを最大限に利用して、貴族やブルジョアジーに新たな楽しみを与えて沢山の対価をいただこうとしている戦略を話す。


「軍で務めたことのある方々にとって、野趣とは楽しむものでなく仕方なしに耐えるものかもしれませんが。贅沢な貴族の館以外に泊まることのない方々には、珍しい経験ができる。そして、珍しい経験にお金は払っても労力は払わない。そんなわがまま層向けの施設なのですわ。」

私は貴族令嬢の微笑みの練習も忘れて、かんぜんにドヤ顔でアーサー王子に笑いかけてしまった。


「ほお。」

なぜだかじっと私の顔を見つめて、感心しているが、私の顔よりもっと見て欲しいのはグランピング施設だ。


芸術的に整然と並んだテントが夕陽に照らされて草原のゲルの幻想風景を描いた絵葉書のようなこの景色。エリコの将来の夢だったリゾートプロデュース業第一号を。


「殿下。」

失礼にも私は殿下の頬を触って、顔をリゾート側に向けた。

「何をするっ。」

と言われるかと警戒したが、そのまま幻想風景に魅入ってくれた様子。


「そうだな。ただ、料理はどうする?狙った層は毎日良いものを食べ慣れているだろう。貴女だってハロテルプテムでは、有名な料理人を雇っていたのではないのか。」


「公爵家の料理人は確かに素晴らしい料理を作ってくれましたわ。ソースの天才。最も美味しかったのはホワイトクリームね。絶妙の塩加減で、どこかふわふわ甘くて。」


「とりあえず、食材探しに行ってみるか。」

商業で施設を運営するなら名物が必要だ。

王子が合図をすると隊員達は一斉に武器保管庫に行って、準備が整う。素晴らしい統率だ。


気がつけば王子も弓矢を構えている。

この世界、魔力はあるが銃はまだないらしい。

その分、弓は磨き抜かれていて、鋭い矢じりが遠くの獲物も捕らえられるという。

王子はご母堂様の領地の貧困問題を抱えていても、流石は王子というべきか、狩猟には案内役がついている。


狩猟の案内役は、繊細な観察力を持つルークではなく、意外にもボンブ。なんでも自分が鳥だったら、獣だったらという気分でのシミュレーションが得意で、どこをどんなスピード通り抜けるかの予測が抜群に当たるとのことだった。


それを聞くと、草原の中で大きなゴリラに対抗して、負けないように胸を叩くボンブの姿が、あまりに自然に妄想できてしまい、どんどんムキになって相手ゴリラを威嚇する絵姿を脳内から消去するのに苦労してしまった。


「何か失礼なこと考えてます?」

これまた意外にも鋭い発言でボンブに問われた。そういえば、ゴリラって人間に近いから人目を気にしてる、動物園でもなかなか目が合わないんだっけな、なんていうもう一つ失礼な考えをかき消しつつ進んでいくと遠いはずの狩場もあっという間だ。


婚約破棄の前、街道を作るまでの期間はならず者の巣窟だった森は今はそのちょうど良い緑の深さが良い狩場となっていた。


「右斜め10時の方角、今見える中で最も高い木の枝一つ分上空。速さは殿下の剣速の3分の2。」

王子がその呟きを聞いて、弓をつがえる。整った静止画のようにピタリと緊張感を持って時間をとめているようだ。見ている私たちの呼吸も自然と止まり、一瞬の静寂が訪れる。


プシュッという音が静寂を破り、遠くに影が落ちていく様子を、私は張ってもらった結界の中から見つめていた。私も何か活躍しないと、と目を凝らしてみていると、きのこの群生地を見つける。


「これ、食べられますかね。」

「傘の模様が斜めに入っているのはスベリエノタケ。毒キノコです。同じ色合いで横に筋が入っているのはヘイコウダケで食べられます。」

ルークの頭の中には百科事典が入っているのかと思わせるほど、瞬時に的確にキノコを見極めてくれた。


日本で椎茸狩りの行った時に、学んだ通り、大きめの傘のものを取り集める。大きな傘のものはなんとなく大味かと思って避けていた私に、椎茸農家のおじさんは、大きいほど味が濃厚で美味しいよと教えてくれた。疑心暗鬼で大小おり混ぜて収穫し、その場のバーベキューで食べ比べをしてみたところ、おじさんの話の真実は、私の舌が立証してくれていた。


その時の条件反射か、スーパーマーケットって売っていないほどの大きいサイズのキノコを見ると自然と醤油だけの味付けのジューシーな味わいが頭の中に思い浮かぶ。


「わかっていますね。」

私のキノコ選びはこの世界でも間違いはないようで、ルーク博士のお墨付きもいただけた。

尊敬する博士からの整った理知的な笑顔での褒め言葉にキノコ探しのエンジンも全開となる。


ある日は、川魚を見つけた。野生の狩の方式で魚の泳ぎより素早い速さでなんと手掴み漁するサラは大きな獲物を捉えていた。コリースは素早い動きはできないが、器用に魔力を使って川に微弱電流を流して、気絶した小魚採りをしていた。



そんな食材探しに没頭すること数日。私たちはある結論に達していた。


「バラバラなのね。」

日々採れたものを記録していると、広く深い森はあまりにも豊かな食材の宝庫ではあるけれども、名物となりそうな特定のものを計画的に収集することは難しいのだ。昨日とったものを今日採ろうとすると簡単には見つからない、そんな日が続いていた。


「名物は諦めるしかないか。野菜でも育てるか。」


新鮮野菜は一つの売りにはなるけれども、一品で名物とするのは難しい。品質改良をしてここにしかない味を作る。それも、将来展望としては視野に入れたいところだけれども、私に与えられた1年の中では、時間が足りなさすぎる。


エリコの旅行記録の中から、各地で食べた美味しいものを思い浮かべていく。


甘みの強い花咲蟹は試食だけで鮮明な記憶になったな。舞茸の素揚げは岩塩だけで何年も記憶に残る味だった。

素材の味をそのままというのは、名シェフ不在の陣営の中でありがたい名産商品となるのだけれど。


ここでしかできない。


そう、おんせんといえばあの県。

あの名物ならば!


その夜、私の魔力放出のため手を繋ぎながら話を始めた。


やる気がみなぎって回復が進んだからか、放出初日は線香花火のようだった魔力放出量はお子様向け手持ち花火ぐらいの火力となっていた。


私が、名産品の話を熱弁していると。


「楽しそうに笑えるようになったんだな。」

王子が花火のような灯の向こうから私を見つめていた。


「なっ。じっと見ないで下さい!」

王子と心が通いあった気分に照れてそういうと、王子は慌てたように視線を背けた。


「まあ、スパイに探しに表情の実地研修をしてやるなんて、私もお人好しなものだな。」

隣国との国境そびえ立つ、目に見えない砦はずいぶんと、頑丈なようだ。





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