16.てつ。
「子どもと一緒に親になっていくのは母親だけか?」
辺境伯様は静かにマリー様に問いかけた。
マリー様はハッと目を見開く。
「私だって父親だ。16年間あの子と一緒に育った。16年間剣術は教えなかったが、それ以外、領地の運営に関することや、貴族としての生き方は教えてきた。つもりだが。」
「宮中貴族であればそれで良いのかもしれませんが。この地を治めるのはそういうわけにはいかないでしょう?」
そう問うマリー様に対して辺境伯様は窓から外を見ながら答えた。
「あの子の心音には、若干の問題がある。普通の生活には支障はないが、剣で生きるのは無理だと思っている。この地が.....。」
トクントクント、トクントクント。
アーサー様がトリム様に剣術を教えて欲しいと願い出た時の静けさの中。アーサー様はあの時心音を聞いていた?
だから短剣で身を守る術だけを教えようと。
そして拳を握り、続ける。
「この地、国境が平和な地であれば、私もトリムに地位を譲ってあげたいとは思っている。マリー、君が目論んだハロテロプテム領になったとしたら、今度はグレイトヒルドが攻め込んでくるだろう。そうなると今以上に統治者には力が求められるだろう。統治者となるか命を取るか。私自身なら統治を取るが、我が子となると命の方が大事だと思ってしまう。
私も父親になったものだ......。」
私は、完全な第三者ながら思わず、割り込んでしまった。
「力なんて虎の衣をかってしまえばいいのではありませんか。他に、他に能力があるのなら。幸いにもこの地のゆかりではアーサー様が王子様としていれば、その庇護下に入って辺境伯として別の能力を発揮すれば良いのではないのですか?」
「別の力?辺境伯に剣以外で身を立てろと?」
辺境伯様が、こちらを睨む。
「そもそもここが辺境だというのは、グレイトヒルドの王都から見てグレイトヒルドの国境に近い果てにあるというだけ。大陸全体で見るとむしろここは中央じゃないかとすら思えるんですよね。この地を活かして中心地に仕立て上げれば。」
「そもそもここは辺境ではなくなるという発想か。面白い発想だな。」
とアーサー様がいうのにかぶせるように声が。
「流石でシー。エリゼ氏。その発想大事でシー。」
変な喋り方、しかも畳み掛けるような。日本にいた頃は特殊ながらもよくみたことがありそうな......。
「他国、他人の家を訪れる時にノックをしないほど、無礼な人ではなかったはずですが?」
ルーク様が呟く。
そして、その場にいた全員に突然の来訪者を紹介する。
「彼は隣国ディストレアンの第3王子。名前はマイカル。発明界ではその名をない人いないほどの有名人物。主に乗り物の開発をしている。」
ディストレアン、確かこの辺境地が接するハロテロプテムとのもう一辺の国境船を介してつながっている隣国だ。この国は経済的に豊かであり、戦など国を発展させるための邪魔になると平和主義を掲げていた。だからこそ、辺境伯邸の使用人たちも、身を挺して彼の来訪を止めることもなく、ここまでどうしたのだろう。
「そうでシー。で私の予想が正しければ、そちらのお嬢さんは私のことをてっちゃん、鉄、と言えばわかってもらえるかもしれないね。」
ち、近い。人との距離が測れないのか、ぐいぐい迫ってくるマイカル王子との距離感に思わず、じりじりと後ずさりしてしまう。
てっちゃん?鉄?その2つを同義語と捉えるのは日本人特有の言い方では?しかも、現代日本の。
もしかして、私と同じ転生者?そして、なぜ私が日本から来たことを知っているの?
アーサー様は、さりげなくそんな前から王子と私との間に入って距離を稼いでくれながら私に問うた。
「マイカルはもしかしてエリゼの友人なのか?」
アーサー様が問う。
「いいえ私は直接、存じ上げてはいないんですが。」
「そうか、では友人でないなら適正な距離を取らせるべきだろう。」
辺境伯様も、マリー様も、不思議そうな顔をしている。
「ルークが知っているという事は一旦マイカル王子の素性については、怪しいところはないのだろうが。私の友人の良い時から離れてもらおうか。」
そう言って、アーサー様は一旦この話題を打ち切り、話を改めた。
「とにもかくにも、この後の改革だな。」
いろいろ不審な点を抱えたままも、ここにいる全員の意識は統一されたようにも思う。
「ここ大陸の中心とさせる。その目的の第一歩として、まずは今日の舞踏会だ。辺境の辺境のさらに辺境、グランピングリゾートに少しでも人を集めることができれば。第一の実験となるだろう。」
そして舞踏会が始まった。
ハロテロプテム最後のイベントは、王宮に人が集めるものだったためそれとは比べ物にはならない。
この地に馬車で王都から向かうとすれば、馬車では5日間程度かかってしまう。馬では2日半といったところだろうか。ただ、舞踏会の衣装持って馬で他家を訪れる貴族はほぼいない。ゆえに訪れている人はほぼ近隣の郊外に住む貴族や裕福な農園主にあたる人たちだろう。
田舎貴族とはいえ、貴族は貴族、そしてここは舞踏会会場。色とりどりのドレスがロビーに溢れる。
入った瞬間、人々が魅了されるのはまず香りだ。美しく装飾された石鹸たちがハーブの香りを振りまいている。そのハーブの香りに誘われるように人々は石鹸を手に取りそこに彫り込まれたグランピングリゾートの存在を知る。
「辺境伯様のご自宅で開かれる催し物で、こんなに華やかな催しは初めてだわ。」
「温泉と、自然と、動物の保護。」
「象の保護。整った森での生態系を守ってあげるのも、私たち上流の義務だと言うことなのね?」
「フルーツカービングか。自然を使った非日常なのね。心をくすぐるわ。」
なかなか評判は上々である。
特にトリムが彫刻を施したソープやフルーツは完全に芸術の域に達していて、人々の注目の的だ。
私はこの場所を宣伝の場だと考えていたがそれだけではないようだ。グランピングリゾート、新しい事業のことを知り、自分たちの事業との組み合わせを提案してくれる人もいる。特にこの国は農業が豊かと言うこともあり、野趣あふれる食材たちの香りをうまく消してくれるような香味野菜の提案や、食後の口当たりをさっぱりさせてくれそうな茶葉の提案。そういった有意義なお話も聞くことができ、舞踏会で人を集める作戦はひとまず期待以上の目的を達した。
私が、今まで見たこともない、葉っぱの中に大量の水分を含んだ変わった食感の野菜の話を終えてふと振り返った時、
ルーク様が私の隣にたった。
「貴女はマイカルのことをご存じなかった。ただマイカルは貴女を知っているようです。どういうことでしょう。マイカルは、少し、いえ、かなり変わっていますが、危険性がある人物ではないんですよね。彼は本物の天才です。私たちが思いもよらないようなものを次々開発して、国を潤している。貴女と同じ空気をどこかに感じるのだが。」
私とルーク様は見つめあう。そろそろ、ダンスも開始される時間だ。
このまま内密の話をするのであれば、ダンスでもしながらが良いだろうか。辺境伯夫妻には私がハロテロプテムのエリゼであることすら伏せられているのだ。
ルーク様がダンスを誘うべく正面を向いて胸に手を当て誘いの言葉を投げかけようと言う素振りを見せた瞬間、アーサーさまが私たちの間に割り込んだ。
「やっと振り切ってきた。1曲目のダンスは、友情の証にぜひ私と。」
うなずいてアーサー様の手を取った私は、その手が驚くほど冷たいと感じていた。




