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11.辺境伯邸

好きな人の胸の中で馬に揺られていると、いつまでもこのまま時間が止まれば良い......。


なんてことにはならず、しっかり筋肉痛の洗礼を受けていた。華奢で繊細で優雅なエリゼの外見をしていても、筋肉痛は容赦ない。


早くついて.....。正直ベースで言うと旅路の最後は脳内はお花畑で寝転んでいる妄想だけが、私を支えていた。


今は一面の緑の中を馬がひた走っている。筋肉痛を気にしなければ、おそらく颯爽と風を感じて気持ち良いシーンだろう。緑は緑でも今まで滞在していた森と草原の世界とは少し色合いが違う。均等な緑の色で織った絨毯を敷き詰めたような芝の色が覆っている。遠くに見える樹木も森のものよりは少し細く、均等に植えられていて、大きな大きな庭のような景色となっていた。


「もう敷地内だからな。あと、少しがんばれ。」

敵国の女から友人に格上げになった私に王子、いえ、アーサー様のかける声のトーンは優しい。が、私は気の利いた返事もできず、ひたすらうなずくだけになった。無駄に広い敷地。さすが辺境伯領だ。

国土の端に存在し、この地を守る辺境伯は、爵位名こそ伯と付くが、序列でいうと侯爵と同格の位で、権力広い領土も与えられている。諍いがなければ、広大な領土を開墾して、大きな財力も得られる環境だろう。



「敷地も領地も広さだけが取り柄だからな。あの向こうの分かれ道を下る方向に行けば、いずれは海にも出られる。」


「海!素敵ですね。」

海イコールリゾート。旅マニアにとってリゾート開発の食指が動くどころか止まらないその響きを聞いて。思わず方向転換を依頼したい気分になるのが本来の私なはずが、現状の筋肉痛状況では海どころか、数メートル先の花壇が綺麗でも寄り道すらできる余裕はない。


緑の高台の上に大きな屋根が見える。白い屋根が真っ青な空に斜め線を描いていてとても綺麗だ。

やがて2階建ての大きなお屋敷が現れた。横に長く広がった造りで、余計な装飾はないのに重厚感のある建物は辺境伯の成り立ちを示しているかのようで素晴らしい。


登ってきた丘の向こう側には澄んだ湖があり、おそらくサンテラスから湖を眺められる角度を選んでお屋敷が造成されたに違いない。


農業大国グレイトヒルトは穏やかな気候であるから、年中サンテラスで、芝の緑と湖の蒼のコントラストを愛ながら、ハーブティなどいただけるに違いない。


心が解けていくような爽快な景色とは裏腹に私の気持ちは羞恥にみまわれていた。


ハロテルプテム最高の貴婦人と呼ばれた私が、なぜ。

アーサー様の腕の中で脚をぶらつかせてお姫様抱っこ状態でいるのでしょうか。

しかも、こんなに大勢の方の前で。


このお屋敷の主人である辺境伯の甥とはいえ、訪問するのは、王族であるアーサー王子と辺境伯とは同格の侯爵家嫡男であるルーク様。

自家よりも身分の高い客人をお迎えするときは、表に出ることを許されている上級使用人、下僕、パーラーメイドなどは総出体制は当たり前だ。


困窮している噂さえあれ、辺境伯家ほどの家を支える使用人の人数といえば両手の指の数を下ることはない。本来その全員の瞳が一斉に見つめる先は、筆頭客人となる王子であるはずが、全員王子から微妙にそらされている様子が、返って私の痛々しさが強調されている気がする。


さて、慣れない乗馬での筋肉痛でまっすぐ立てないガニ股令嬢と、衆人環視の元で王子様にお姫様抱っこをさせる恥知らず令嬢。私は2択しかない選択肢のどちらを選ぶべきだったのでしょう。

まあ、選ぶ前に馬から降りた私の立ち姿を見て、王子様の方が先にガニ股令嬢の選択肢を消したんですけどね。

まあ、今日はスカート姿でなく、乗馬用にお借りした軍服パンツ姿なのでギリギリ、お姫様抱っこではなくけが人の運搬に見えないこともない……。と信じよう。


こんな特異な現れ方をしても、肝の据わり方が違うのか辺境伯はポーカーフェイスを保ってご挨拶をしてくる。ご自身と少し離れたところに立つ奥さんと少年。辺境伯の息子さんにしては小さいが、後妻なのだろうか。


「殿下、ルーク博士よくいらして下さいました。そしてはじめてのご客人。私は、モールス・エンシェント。恐れ多くも殿下の母方の叔父にあたります。そして、妻のマリーと息子のトリム。」


エンシェント伯は、初対面で人の腕の中で挨拶をするというとんでもなく非礼な私にも礼節を守って挨拶をする。

この国では、貴族女性に名乗らせたい場合、王族でもない限り男性側が先に名乗る。逆にいうと、名乗らせたくない女性には自己紹介をしなければ無視できてしまうという男性に都合の良いシステムだ。


「私は......。」

エリゼ・ノア・フェルテフォルトの名を語るべきか。あまりにも大きなリスクを感じて少し言い淀むと。


「彼女はエリゼ。ルークのいや、ドミシオン侯爵家ゆかりの者だ。」

「ドミシオン侯爵家の筋の方を殿下が抱えていらっしゃるわけは......。」


「これは.....。責任だ。同乗者に痛みを与える乗馬しかできなかった私の責任として。彼女を保護している。」


いや、そう言ってしまわれると殿下が部下に任せず同乗していたことの方が疑問だとエンシェント伯は思われていると思いますが。


「彼女は、隊員ではなく友人だからな。私がもてなすのも道理だ。」

アーサー様の友人感覚がよくわからないことになっている。

日本のように軽く男女の友情は成り立つのかという議論をしていい世界ではなさそうなんだけれど。


「ご友人......。」

「そうだ。生まれて初めて出来た親戚でも乳兄弟でも臣下でもない友人だ。」


そうか、初めての友人。確かに王子ともなると、ご家族以外は全員臣下。敵から変換された私が初めての友人で、異性同性関係なくおかしい距離感になってしまっているかもしれない。


ともあれ、お姫様抱っこという非日常の情景で、私の素性くを明かすことなくこの場を乗り切ったのはよしとしよう。


お屋敷の侍女に案内され、殿下が私を下ろした部屋は、質実剛健な客室だった。


家具は、深いブラウンカラーで引き出しの持ち手等必要となるもの以外装飾彫りなどは施されていないが、素材感などをからモノ自体はかなり上質なものだと思う。


そこだけが装飾を施されたように見える半円のトップを描いた天井近くまである大きな窓にかかるカーテンもダークグリーンの重厚なベルベットで、控えめなドレープを描いて、光を抑えたゴールドのタッセルでまとめられている。


クローゼットに用意されたハンガーは布地のドレスハンガーではなく、木製で10本に満たない。


女性の来客は想定されていないのだろうか。


ただ、真っ白なシーツがかけられたベッドは、3人は悠々と眠れるだろうという広さで4つの大きな枕が置かれている。眠りを誘うには十分だ。


そのベッドに足を踏み入れた途端、長距離馬移動のフィジカル面、お姫様抱っこのメンタル面での疲労が押し寄せてきて、図々しいことにぐっすりお昼寝タイムをとってしまったのだった。


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