35 命を救うための商品
「商品の開発ですか?」
「マリー、それは私も初耳だ」
五歳の子供が商品の開発なんて言い出して、貴族相手に渡り合ってきたさすがのサンテール会長も面食らった顔をしている。
大型船の建造や大型ドックの建築資材、さらに船員育成学校の備品等、サンテール商会で取り扱って貰っているから、多少なりと私のことは耳にしているんじゃないかと思うけど、資材の発注はお父様の名義でしているから、詳細は知らないのかも知れないわね。
エマが、いくら父親相手とは言え、うちのことをペラペラ話したり手紙に書いて教えたりするわけがないから。
その辺り、私のお付きメイドに選ばれただけあって、しっかりしているもの。
お父様も、インフラ整備、大型船、魔道具、船員育成学校と、子供らしくない物の建造や勉強、事業を言い出して、今度は何を言い出すのかと、呆れたような苦笑を浮かべている。
驚かない辺り、私の子供らしからぬ言動に、すっかり慣れてしまったのかも。
こんな娘で苦労をかけてごめんなさい、お父様。
でも、いつまでもみんなで笑って楽しく暮らしていくためだから。
「その商品とは、マリエットローズ様がご考案された物でしょうか?」
「その通りよ。それにはコルクが一番だと思ったの」
前世では、ワインやウィスキーのコルク栓、後はコルクボードくらいしか利用方法を知らなかったけど、この世界に転生して、領地の特産品の一つがコルクだって知って調べてみたら、知らないことがたくさんあって驚いたわ。
まずコルクってコルクガシって呼ばれる樹木の樹皮だったのよ。
しかも地中海性の気候に適した樹木だから、前世のイベリア半島に位置するゼンボルグ公爵領はまさに一大生産地だったのね。
そのコルクガシが二十五年近く育ってから、樹皮を剥ぐの。
一番最初に剥がれたそれをヴァージンコルクと言うらしいのだけど、表面がデコボコしていて使いにくいから、商品価値は低いんだって。
それから九年から十二年くらいかけて、再び樹皮が厚く再生したら、それを剥ぐの。
それをコルク材として使って、再び樹皮が厚く再生したらまたそれを剥いで……と言うのを繰り返して収穫するそうよ。
しかもコルクは疎水性に優れていて、腐りにくく、カビにくく、何よりも軽い。
今回の目的とは違うけど、さらに断熱性に優れていて、防音性も高くて、床や屋根など建築材にも使われるそうよ。
そんなコルクなんだけど、父と兄の話によると、前世のノルウェーの漁師がコルクを浮き輪代わりにしていたとか、コルクを身体にくくりつけていたとか、そういう話もあったらしいわ。
それから、ゴムが普及するまで、ゴムの代わりに工業製品に使われていたとかなんとか。
だとすれば、ゴムがない今、これ以上に適した素材はないと言うことになる。
その話を思い出したからこそ、作らないといけないと思ったの。
「それで、ご考案された商品とはどのような物でしょうか?」
「浮き輪とライフジャケットよ」
「浮き輪? ライフジャケット? ですか?」
「それはどのような物なんだい、マリー?」
二人とも見当が付かないみたいね。
それを具体的に説明する前に。
「お父様、かいなん事故が起きたとき、船にはどんなそなえがありますか?」
「船舶の海難事故が起きたときのかい? 特にはないな」
そう、なんとなんにもないの!
「仮に沈没した時などは、積み荷の樽や木箱が浮いているし、船体の木材などもある。それに掴まれば泳いで岸まで戻れるだろう?」
私がシャルリードで帆船や漁船を見て気付いたこと、それは、備え付けの浮き輪ないし、それに相当する物が何もなかったこと。
さらに、船員も漁師も、ライフジャケットらしい物を何も身に着けていなかったことなの。
確かに、こんな時代だから、その手の安全管理の意識がなくて、その手の物がなくても仕方ないと思う。
お父様が言う通り、浮かんだ何かに掴まって泳いで戻ればいいって。
だって船員や漁師が泳ぎに自信がないなんて言っているようじゃ務まらないものね。
しかも交易路は大西海の荒波を避けた沿岸付近だから、船乗り達なら十分に泳いで戻れるだろう、と言うわけね。
もっと言うなら、現在の交易船のほとんどが十数メートルサイズだから、別途救命ボートを乗せる余地がないのもあるでしょうね。
そんな物を乗せるスペースがあるなら、その分、交易品を乗せた方が儲かる、なんて考えそう。
「でも、これからは大西海の荒波に乗りだして、泳いで岸に戻れる距離じゃなくなります」
「それは確かに……」
「それでなくても、船がゆれれば落水するかのうせいは、外洋だろうと沿岸の浅瀬だろうとありますし、初心者でもベテランでもついてまわる問題です」
それに船員育成学校を始めて、多くの子供達を私の事業に巻き込んだ以上、少しでも身の安全を守ってあげないと。
「だから、かいなん事故にそなえて、大型船には救命ボートを乗せることを義務付けて、浮き輪のじょうびと、ライフジャケットのちゃくようを義務付けたいんです」
単純な話だ。
まず、大型船に救命ボートを乗員乗客の人数以上が乗れるだけの数を揃えること。
これは、前世のタイタニック号の事故で、救命ボートを軽視して、乗員乗客の半分の人数しか乗れない数の救命ボートしか乗せていなかったから、大勢の犠牲者が出た。
だからそれ以来、乗員乗客以上の人数が乗れる救命ボートを乗せることが義務付けられるようになったのよ。
その知識がある私が、タイタニック号と同じ轍を踏む必要はないもの。
それに加えて浮き輪とライフジャケットがあれば、落水者の救助が格段に迅速安全になって、救助率が高まる。
「浮き輪は大人がすっぽり入れる輪っかにして、海でも目立つように赤くぬって、白のラインを入れて、水に強くて浮くロープを結んで、こう――」
落水者の向こう側に投げて、落水者がロープに掴まったらロープを引いて、浮き輪を落水者の所までたぐり寄せて、浮き輪に掴まらせてから救助する。
そんなデモンストレーションを身振り手振りでやってみせる。
「さらに、コルクを身体の動きをそがいしないサイズの小さな板状か小さなかけらにして、じゅしをぬって防水加工した布袋につめて口を閉じて、それをぬい合わせて、ベストのような服を作って着るんです。そうすれば、海に落ちてもプカプカ浮いておぼれないから、落ちた人も、助ける人も、慌てずかくじつに助けられます」
助けようと慌てて飛び込むと、一緒に波に呑まれて溺れる可能性があるし、パニックになった落水者に抱き付かれて一緒に沈んでしまう、そういった被害の拡大も防げる。
沖合に出る漁師だって、小さなボートみたいな漁船が転覆してしまったとき、ライフジャケットを着ていれば、誰か気付いて救助に来てくれるまでの時間が稼げるはず。
「……」
「……」
「……」
説明が終わって、ふうと一仕事やり遂げた気分で額の汗を手の甲で拭うと、お父様、サンテール会長、エマが唖然として私を見ていた。
……うん、五歳児の発想じゃないことは重々承知の上よ。
でも、事は人命に関わるんだから、遠慮なんてしていられないでしょう。
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