25 船と港の視察 失敗編
「う~み~! お~ふ~ね~!」
馬車から降りた私は、目の前に広がる景色にテンションマックスで全力疾走する。
道中、中世の古臭い雑然とした雰囲気の町並を堪能して、吊してあってもやっぱりアスファルトの上を車が走るみたいにはいかなくて、クッションに座っていても震動でお尻が痛い思いをしながら、五日かけてようやく目的の港町、シャット伯爵領の貿易都市シャルリードへと到着した。
港の側に馬車を止めてくれたおかげで、すぐ目の前にはエメラルドグリーンの美しく輝く眩しい海。
燦々と輝く太陽と青い空、白い雲、
木製の桟橋には、ちょっと大きめのボートみたいな漁船。
さらに前世の父や兄に資料写真で見せられたような、古臭い木造の小型帆船。
そして、潮の匂いをふんだんに含んだ風が吹いていて、すぐさま海を感じられた。
前世でも海に行ったのなんて学生時代が最後だったから、前世と今世で通算二十年ぶりくらいの海だ。
これでテンションが上がらないなんて嘘でしょう。
だから間近で見てみたくて、帆船へ向かって一直線に猛ダッシュよ。
「お嬢様!!」
いきなり悲鳴のような声を上げて、アラベルが私を背後から力一杯抱き竦めた。
おかげで、つんのめりそうになってしまう。
「アラベル、なんで?」
もっと間近で帆船を見たかったのに、かなりの力でガッシリと抱き竦められているから、一歩だって歩けない。
「なんでも何も、海に落ちるところだったんですよ?」
心底疲れたような、そして心底安堵したようなアラベルの口ぶりに、私は足下を見てみた。
あと五十センチ……ううん、三十センチで桟橋から足を踏み外して、海だった。
アラベルが間に合わなかったら……勢いよくドボンとダイブしていたわね。
「……」
「……」
私が現状を正しく認識して、お互いに、わずかな沈黙の時間が過ぎる。
「アラベルがごえいになってくれて、初めて本当に良かったと思ったわ。ありがとう」
「ええ……それは、どうも恐縮です」
疲れたような呆れたような、こんなことで初めて感謝されても……ってすごく複雑そうな顔ね。
「お嬢様とは話のレベルが合うと言いますか、まるで高等部時代の友人と話していると錯覚しそうになる時がありますから、つい忘れがちになってしまいますが……お嬢様もまだ五歳なんですよね。年相応に子供らしい面を見られて、安心したような、危なっかしくて心配が増したような……」
そんな風に言われると、相も変わらず五歳児の視野の狭さと言動に引っ張られてしまっていることに、顔が熱くなってしまう。
中身は三十代半ばなのに、さすがにこれは恥ずかしい。
「ありがとうアラベル。もう大丈夫」
ガッシリ抱き竦めたままの腕を、軽くポンポンと叩く。
私が大丈夫って言っても、アラベルはまだ不安そうな顔で私を解放してくれない。
「はぁ、はぁ、お嬢様! 海に落ちずに済んで本当に良かったです!」
少し遅れて、青い顔でエマが駆け寄ってきた。
そして、常にない怖い顔になって腰に手を当てると、腰を折るようにしてグッと顔を近づけてきて、私の顔の前でピッと人差し指を立てた。
「いきなり走り出したら、メッ! ですよ」
「はい……」
「呼び止めても止まって戴けませんし、胸が張り裂けるかと思うくらい、心配したんですからね」
エマに呼び止められていたの?
海と帆船しか目に入っていなくて、全然気付かなかった……。
「心配かけてごめんなさい……」
「はい。以後、お気をつけ下さいね」
エマはまだ少し息が乱れたまま、大きく胸を撫で下ろした後、にっこりと微笑む。
そして、問答無用で私の手を取るとしっかりと握り締めた。
「お嬢様とはあたしが手を繋いでおきますから大丈夫ですよ、アラベル様」
「ああ、助かる。わたしは護衛として手が塞がるわけにはいかないからな。エマ、くれぐれもお嬢様の手を放さないように頼む」
「はい」
なんだか私……問題児扱い?
エマにキュッと強く手を握られたところで、アラベルはようやく安心したのか私を解放してくれた。
そのままエマに手を引かれて、馬車の所に……腕組みして仁王立ちのお父様の所に戻る。
「お父様、心配かけてごめんなさい……」
私の方から素直に謝る。
だって、私が全面的に悪いもんね。
「反省しているようだね。なら、私からクドクドとは言うまい。とにかく、今後は気を付けるように」
「はい……」
本当に反省だ。
「それにしても、マリーは普段から大人びていて賢く分別があるから、つい油断してしまったが、年相応に子供らしい一面があって安心したような、心配事が増えて不安なような、複雑な気分だな」
アラベルと同じことを言われてしまった。
「私は打ち合わせなどもあって、ずっと側に付いていてあげられないから、エマの手を放さずに、エマとアラベルの言うことはしっかり聞くんだよ」
「はい……」
こんな風にお父様に叱られることなんて滅多にないから、ちょっと悲しくて、ちょっと恥ずかしい。
お父様は一度私の頭を軽く撫でると、エマとアラベルにくれぐれも注意するように言って、侍従や護衛の半分を引き連れて、この場を離れていった。
「さてお嬢様、それではもう一度お船を見に行きましょうか。今度は走ったりせず、ゆっくり歩いて」
「うん!」
エマは優しいから大好き!
改めて、エマと手を繋いで帆船を見に桟橋へと向かった。
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