58 魅了の力 16
「やあ、ルチアーナ。懇切丁寧に説明をしている兄に対して、その視線はどうなのだ? それが感謝に満ち溢れた眼差しだとするならば、お前の表情と心情は一致していないぞ」
私のじとりとした視線に気付いた兄が、親切ぶった表情で指摘してきた。
そのため、私はにこりと微笑んで言葉を返す。
「的確ですわ、お兄様。私は今、お兄様は一体何を知っていて、何を隠しているのかしら、と疑いの目を向けていますの」
「これはまたストレートな物言いだな。分かりやすいので、嫌いではないが」
そう言うと、兄は考え込むかのように腕を組んだ。
……けれど、考え込むような表情で腕を組むときは、だいたいにおいて兄が演技をする場合だ。
「ジョシュア師団長」
「………………………………なんだ?」
そして、返事をするまでにたっぷりと間を取ったことから、師団長もそのことに気付いていると思われた。
「この間、私は師団長から最上のワインがあるので、味見にこないかと誘われたと記憶しているのだが?」
「……お前の言う『この間』が、3年程前のことを指すのなら、その通りだ」
「では、今晩にでもご相伴にあずかることにしよう。いいな、ルチアーナ?」
突然のウィステリア公爵家訪問の提案に、私はぱちぱちと目を瞬かせた。
……へ? と、突然、どうしたんですか?
それに、今日はまだ、月の曜日ですよ?
基本的に……先日の、前世を思い出して倒れたような時は例外として……平日は誰もが学園内の寮で暮らし、敷地から一歩も出ないものだと思い込んでいましたけれど。
けれど、相変わらずお兄様は思考が柔軟と言うか、自由ですね。
お兄様みたいな融通が利くタイプが、物事をどんどんと動かしていくのでしょうね。
そう考える私の視界の先に、驚いたような声を上げる師団長の姿が見えた。
「サフィア、お前は本当に人使いが荒いな! こんな、ほとんど何の暗示もない状況で、オーバンを呼びつけろとお前が示唆していることなんて、誰も気付かないぞ! 以前から言っていることだが、基準を自分に合わせるな!! 世の中の平均は、お前が思っているところよりも、ずっと低いところにあるんだからな!」
「ふむ、師団長殿の発言は意味不明だな。師団長がそのことを口にしている時点で、師団長はオーバン殿を呼び寄せる役割が振られたことに、気付いているということではないか。そして、師団長が気付いているという事は、私が的確に示唆したか、師団長が私を好きすぎて、示唆などなくても私のちょっとした表情や仕草から希望を読み取ることができたかのどちらかということだろうが。……誰も気付かないと師団長自身が明言することを師団長が気付いたという時点で、後者なのか?」
兄の言葉の最後の方は、独り言のような響きを帯びていたけれど。
……けれど、兄の言葉を聞いた師団長は、ぴたりと動作を停止した。
それから停止したままの状態で、口だけを動かす。
「……………………なるほど。どうやら私が間違っていたようだ。お前の示唆が的確だったように思えてきたぞ」
「分かっていただけたようで何よりだ。師団長殿、私は案外、優秀なのだよ」
「くっ、サフィア! お前は本当に、毎回毎回ぬけぬけと……!!」
悔し気に兄を睨む師団長を見て、うーん、これは相手が悪いわねと思う。
この短い時間2人を見ていただけでも、ジョシュア師団長は完全に兄に手玉に取られているように思われる。
今のやり取りだって、ほとんど何も示唆されていない場面から、的確に期待された事柄を読み取ったジョシュア師団長の推察能力が長けているという話だろうに、なぜだか、お兄様が優秀だという結論に達している。
ジョシュア師団長は名門公爵家の嫡子だけあって、性質が素直すぎるのだろう。
いつもいつも正面から兄に挑んでいる。
意外だわ。もう少し、権謀術数に長けたタイプかと思っていたのに。
というか、兄だって名門侯爵家の嫡子なんだけどな。
どうして、こう性質がひねくれてしまったのかしら。
不思議に思う私の前で、兄は無邪気そうな表情で師団長に話しかけていた。
「もう一人、フリティラリア公爵家のラカーシュ殿も招待してもらえるかな?」
「……お前、何を企んでいる?」
じとりと兄をねめつける師団長に対し、兄は純真そうな表情でぱちぱちとわざとらしく瞬きをしていた。
「やあ、それは師団長の悪い癖だ。私が何事かをする度に、底意があると考えるのは止めてくれ。私と妹は、昨日までフリティラリア公爵家の誕生会に押し掛けていたんだ。そこで、色々と歓待いただいたので、今度は私がお返しをする番だと思っただけだ」
「ほう! 我が家に招待して、我が家の料理を馳走することで、お前がお返しをしたことになるのか!! なんともまあ、お前は私の家族のようだな!!」
「家族か。師団長殿が望むならば、やぶさかではないが」
兄がわざとらしくも片手を顎に当て、考えるようなポーズを取っている。
そんな兄の演技にジョシュア師団長はまんまと嵌められたようで、激しく反論していた。
「望まないに決まっているだろう!! というか、話を逸らすな!! 陸上魔術師団長である私、国立図書館副館長のオーバン、魅了の一族であるルイス、『四星』らしき存在に魅了されているルチアーナ嬢、さらにお前、何だこのメンバーは!? ここにラカーシュ殿を入れて何をする気だ?」
不信感に満ち溢れる表情で兄を睨みつけているジョシュア師団長に対し、兄は片手を突き出すと、残念そうに頭を横に振った。
「やあ、立場をひけらかすなど見苦しい振る舞いは止めてほしいものだな。ただのウィステリア公爵家とダイアンサス侯爵家の食事会ではないか。そこにお礼を兼ねて、ラカーシュ殿を招待するだけの話だろう」
けれど、ジョシュア師団長は忌々し気な表情で口を開く。
「……なるほど。本当にお前は可愛くないな。これだけのメンバーを集めておいて、ただの家族同士の食事会にする気か? 確かに、そうなればオーバンがどれだけ発言したとしても、何一つ確定はされないが」
多分、ジョシュア師団長の部下が見たら、震えあがるようなほど眼光鋭い師団長の表情だというのに、兄は全く意に介さない様子で嬉しそうに微笑んだ。
「さすがは師団長殿だ! ほとんど匂わせてもいないと言うのに、私の意図を汲み取ってくれるなんて、……やはり、師団長殿は私のことがお好きなのかな?」
その期待するような兄の微笑みを見て、師団長は心の底から嫌そうな表情をした。
「違うだろ! もちろん、お前が嫌になるほど優秀という話だ! ちくしょう、とうとう言わされたぞ!」
それから、ジョシュア師団長は脱力したように肩を落とすと、疲れたような声を出した。
「はあ、けれど、驚いたな。お前がそんなに妹思いだとは、夢にも思わなかった。カードを切ってまで、全てをつまびらかにする機会を、非公式な場としてルチアーナ嬢に用意するとはな」







