42 コンラート 8
翌日、私は普段より早く目が覚めた。ものすごく早く。
コンラートのことが気になって、自然と目が覚めてしまったのだ。
基本的に遅刻寸前まで眠りこけているルチアーナが早起きするという想定はないようで、学園に連れてきている専属の侍女2人は、未だ夢の中だった。
起こす必要もないと、手早く一人で制服に着替え、まだ肌寒い早朝に、こっそりと外に出る。
早朝と言うよりも、夜明けの時間帯だった。
少しずつ明かりが差し込み始めたばかりの、世界のほとんどが寝静まっている時間帯。
そんな中、さくさくと降り積もった落ち葉を踏みしめながら、敷地内に植えられた木立の中を歩いて行く。
歩いて体を動かすことは脳を働かせることにつながり、部屋の中にじっと閉じこもっているだけでは浮かばない、新たな考えを思いつくことがある。
その可能性に期待して、私は一人、学園の庭をゆっくりと歩いていた。
『お前が弟だと思っているあの子どもは、お前の弟ではない。本物のコンラートは亡くなった。お前を魅了している「コンラート」は別の何かだ』
昨夜、兄に言われた言葉が蘇る。
けれど、どれだけ『コンラートは弟じゃない』と自分に言い聞かせてみても、私にはコンラートが弟に思えて仕方がなかった。
私の頭はどうなってしまったのかしらね、と思いながら苦笑していると、突然私の目の前にはらりと繊細な花びらが舞い散ってきた。
「え?」
季節は秋で、枯れ葉が舞い落ちるというのならば分かるけれど、なぜ花びらが?
そう考え、驚いて振り仰ぐと、はらりはらりと何枚もの美しい花びらが空から降ってくるところだった。
同時に、美しい紫色の花の波が幾つも幾つも目の前に見えた。
どうやら、ぼんやりと歩いているうちに「春の庭」に足を踏み入れてしまったようだ。
魔術訓練の一環として、学園内には4つの季節の庭がある。
1年中、実際の気候や天気に関わらず、「春」「夏」「秋」「冬」のそれぞれの季節の花を保つよう、生徒たちが労力を費やしているのだ。
その中の一つである「春の庭」。
知らずその中に踏み込んでいた私が、まず目を奪われたのは、圧倒的なまでに美しい藤の花だった。
薄紫色の房状の花が幾つも幾つも垂れ下がる姿は、さながらシャンデリアが咲き乱れているようだ。
目に入った瞬間、「花の波」だと思ったほどに、連なって垂れ下がる藤の花は美しかった。
ふと浮かんだ歌が、口をついて出る。
「かくしてぞ 人は死ぬといふ 藤波の ただ一目のみ 見し人ゆゑに」
(藤のように美しいあの人をただ一目見ただけなのに、こんな風に恋焦がれたまま、人は死んでいくのだ)
万葉集の中の好きな一首だ。
学生の頃に繰り返し読んでいた一首だったけれど、案外覚えているものだ。
幻想的な藤の花を目にした途端、つい口ずさんでしまうほどには。
そう思いながら藤の花々に見とれていると、突然、少し高めの耳に心地よい声が響いた。
「……とても、いい歌だね」
その場にいるのは自分一人だと思い込んでいたため、掛けられた声に驚いて声の主を探す。
すると、木の幹に背中を預けるようにして、一人の男性が佇んでいた。
「……っ!」
その男性を目にした途端、私は思わず息を飲む。
―――なぜなら、一瞬、藤の花の精かと思ってしまうほど美しい存在に見えたのだから。
遠目にも、男性がすらりとした、均整の取れた体つきであるのが分かったけれど、最も目を惹いたのは、稀なるその髪色だった。
朝焼けの光に照らされた男性の髪色は、視界に入る藤の花と全く同じ色だった。
その滅多にない美しい髪色を見て、私はごくりと唾を飲み込んだ。
…………私は、この景色を見たことがあるわ。
藤色の髪を持つ一族なんて、王国広しと言えど、ウィステリア公爵家しか存在しない。
そして、「春の庭」で、圧倒的なまでに美しい藤の花の下で出会うこのシーンは……
この世界そのものである乙女ゲーム『魔術王国のシンデレラ』における、ルイス・ウィステリアと主人公との出会いのシーンだった。







