284 ときめきの聖夜祭 18
目を瞑り、気持ちのいい状態をたゆたっていると、3人分の足音と呆れたような声が響いた。
「ジョシュア兄上、こっそり見ていたけど、控えめに言っても酷かったよ!」
この声はダリルかしらと目を瞑ったまま考えていると、彼はさらに兄を詰った。
「ルイスと違って、ちゃんと想像の範囲内に収まってくれたから、まだましなのかもしれないけど、やっぱり酷いよ。お姉様に負けっぱなしじゃないか!」
すると、今度は庇うようなルイスの声が響く。
「いや、兄上はよく耐えたよ! 僕は兄上の半分の時間でギブアップしたからね。収穫祭の時、僕は結構攻めたんじゃないかと思っていたけど、ルチアーナ嬢に迫られた今では、全然だったと反省している。ああ、あれが異性を翻弄するということなんだね」
ルイスはジョシュア師団長を擁護していたけれど、ダリルはそんなルイスにまで文句を言い始める。
「ルイスは甘いよ! ジョシュア兄上は最初から最後まで、翻弄されっぱなしだったじゃないか。陸上魔術師団の師団長で次期公爵だよ。それなのに、何て体たらくだ。これまでだって、兄上はたくさんのハニートラップを仕掛けられてきたんだよね。まさか全部引っかかってきたの?」
よく分からないけど、ダリルがこれだけ文句を言うなんて珍しいわ。
師団長はそんなに悪いことをしたのかしら、と眠りに落ちる寸前の頭で考えていると、3人目の声が聞こえた。
「まあまあ、ダリル。もちろんジョシュア兄上はこれまで全ての誘惑を跳ねのけてきたに決まっている。それくらい、お前だって分かっているだろう」
あら、この声はオーバン副館長かしらと思っていると、ダリルが言い返す。
「ちっとも分からないよ! だって、ジョシュア兄上はお姉様の誘惑全てに引っかかっていたじゃないか!!」
「それはルチアーナ嬢だったからだよ。確かに兄上は初恋を知ったばかりの少年のようで、彼女が仕掛ける全ての誘惑に引っ掛かっていたから、私も見ていて心配になった。しかし、普段はこうじゃないはずだ。というか、控えめに言っても、ルチアーナ嬢の攻撃力が高過ぎた。彼女は……とんでもないね」
「僕のお姉様だからね!」
2人の言い合いを遮るように、ジョシュア師団長の憮然とした声が響く。
「もういいだろう。はあ、私はなぜ秘めるべき私的な行為を弟3人に見学され、さらにはダメ出しをされないといけないんだ」
すかさずダリル、ルイス、オーバン副館長が答える。
「それはダメなところがたくさんあったからだよ!」
「こら、ダリル、そんなにはっきり言うんじゃない。確かに兄上は負けっぱなしだったけど」
「相手がルチアーナ嬢ですから、兄上は頑張りましたよ」
「……私が相手だったら、何ですって?」
どうして私の名前が出たのかしらと不思議に思い、目を開けて質問すると、その場にいた全員が驚いたように私を見てきた。
「ルチアーナ嬢!」
「お姉様、意識がはっきりしてきたんだね!」
ダリルの言葉を聞いて、目を瞬かせる。
「意識がはっきりしてきた? まあ、いくら辺りが暗いからといって、こんな時間に眠ってしまったとでも……はっ!?」
あり得ないほどの至近距離でジョシュア師団長と目が合ってしまい、私はぴしりと固まった。
どういうことかしら、とぎぎぎとぎこちない動きで顔を下に向けたところで、ジョシュア師団長に抱きかかえられていることに気付く。
「は? し、失礼しました! どどど、どうして私は抱えられているんですかね。すみません、やっぱり私は眠っていたかもしれないです。そうでなければ、こんな図々しい状態に甘んじているはずがありません」
というか、そもそもジョシュア師団長に抱きかかえられた記憶がないのがおかしいわ。
なぜか分からないけど、私は本当に一時的に眠っていたんだわ。
私は慌ててジョシュア師団長を見上げると、必死に謝罪する。
「あの、厚かましくも抱き上げられたままでいてすみません。それから、下ろしてもらっていいですか。自分の足で立てますので」
ジョシュア師団長が丁寧な手付きで下ろしてくれたので、私は急いで師団長と距離を取った。
「本当にすみませんでした! あの、もしかしたら私は一時的に眠っていたのでしょうか。変な寝言を言ったりしていないですよね……」
焦って自分のやらかしを確認していると、頭の中にぽわんと複数のシーンが浮かび上がる。
それは、私がぎゅっとジョシュア師団長に抱き着いているシーンとか、ルイスを涙目で見上げて何事かをお願いしているシーンとかだった。
「ほわっ?」
何かしら、今の絵は。
いくら妄想にしても酷過ぎるわ。
「は、白昼夢!? いやだわ、瞬間的に立ったまま寝たのかしら。おかしいですね、昨日は早く寝たのですが……」
そこまでしゃべったところで、つい先ほどまですごく眠かったことを思い出す。
「あれ? 私はすごく眠かった気がしてきました。いやだわ、公爵家の皆様方を前にして、緊張状態がマックスになって、体が休みたくなったんですかね……」
もはや自分が何を言っているのかも分からなくなってきた。
ああ、私は焦るとよく分からないことを言い出してしまうのね、と絶望感を感じていると、なぜかジョシュア師団長が謝罪してきた。
「ルチアーナ嬢、大変申し訳ない」
「え?」
どうして謝られたのかしら、と目を丸くしていると、ルイスとオーバン副館長も頭を下げてくる。
「ごめんね、ルチアーナ嬢」
「本当にすみません」
途中で眠り込んでしまうという重大なマナー違反をしたというのに、これっぽっちも怒られることなく、逆に謝罪をされる状況が理解できず、大きな?マークが頭の中を飛び交う。
ぱちぱちと瞬きをしていると、ルイスがダリルを肘で突いた。
「ほら、ダリル、お前も謝れよ」
けれど、ダリルは小声で言い返す。
「何を言っているの。僕はお姉様の許可のもとにやったんだから、謝罪するのはおかしいよ。それに、今謝ったら、この後がやりにくくなるじゃないか」
ダリル言葉を聞いたルイスは、驚いたように目を見開くと、小声でぼそぼそと何事かを反論した。
「ダリル! まさかお前、この後もその特殊魔術を使うつもりじゃないだろうな」
「ルイスを好きになる魔術をお姉様にかけた時、止められそうになったから、相手と交渉して見逃してもらったんだ。その時に取引をしたんだよ」
「お前はまだ小さいのに、何でそんな悪いことを覚えるんだ!! それで、一体誰と取引したんだ!?」
2人は何事かを小声で言い合っていたけれど、ダリルはあっけらかんとした様子で抱えていたおもちゃの弓を構えた。
「大丈夫。僕はお姉様がとある男性を好きになるよう魅了をかけると約束したけれど、その相手はルイスやジョシュア兄上と同じくらいの紳士だから。先ほどの2人の行動から推測するに、頬を赤らめて終わるだけだよ」
ダリルはまだ何か言いたそうな顔をしていたけれど、会話が途切れた瞬間を見計らって私は口を開くと、先ほどから気になっていたことを尋ねた。
「あの、他の生徒の皆さんは大丈夫ですか? ウィステリア公爵家の3兄弟を見たくて、泉の周りにたくさん集まっていましたよね。全員そのままにしてきたんですか?」
驚くべきことに、魅了の兄弟を見たいがため、東チームの生徒たちは1か所に集まっていたのだ。
それなのに、突然3兄弟が消えてしまったら、生徒たちはがっかりするし、3兄弟を探し始めるのじゃないかしら。
そう思ったけれど、ジョシュア師団長は問題ないと言い切った。
「それは問題ない。シメオン・ハイドランジア侯爵家子息を置いてきたからね」
いや、さすがにシメオン1人で、この麗しの魅了兄弟の代わりをするのは無理じゃないかしら……と思ったところで、ジョシュア師団長がバツが悪そうに視線を逸らす。
「その……どうしてもあの場を抜け出したかったから、生徒たちに少しばかり特殊魔術をかけたのだ」
「え、つまり魅了をかけたということですか? それは……その場にいた生徒たちがシメオン様を好きになるようにですか?」
びっくりして尋ねると、ジョシュア師団長は気まずそうに頷いた。
そのため、まあ、師団長ったら何てことをしたのかしらと呆れてしまう。
うーん、何も知らないシメオンは、突然のモテ期到来に驚いたでしょうね。
でも、それはそれで聖夜祭の素敵な思い出になるのかもしれないわ。
そう考え、ふうとため息をついていると、後ろから小さな声が掛けられた。
「……お姉様」
はっとして振り返ると、セリアとユーリア様が立っていた。
「あら、セリア様とユーリア様。……そういえば、私はいつお2人と別れたのかしら? それから、ウィステリア公爵家の方々と一緒にいるのはなぜだったかしら?」
嫌だわ。昨日食べた物を思い出せないことはよくあるけど、10分前のことを思い出せないというのは初めてだわ。
「ううん……?」
一生懸命記憶を辿っていると、ダリルが手を繋いできた。
「お姉様、気にしなくていいよ。目覚めたら夢の内容を覚えていないのと同じことだから」
「でも、私は眠っていたわけではなくて……いえ、実際に眠っていたのかしら?」
首を傾げると、ダリルがうんと可愛らしく頷いた。
「そういうこと。それに、夢とは違うから、いずれ全部思い出しちゃうんだよね。だから、その時に考えればいいんじゃないかな。どうせその時には、ジョシュア兄上たちがもう一度謝罪に来ると思うし。……さて、次はどこに行く?」
ダリルに尋ねられたので、どうしようかしらと首を傾げる。
「そうねえ……」
すると、ユーリア様が1つの提案をしてきた。
「次は緩衝地帯に行ってみるのはどうかしら?」







