282 ときめきの聖夜祭 16
目を瞑り、気持ちのいい状態をたゆたっていると、足音と呆れたような声が響いた。
「ルイスったら、酷い体たらくだね! こっそり見ていたけど、想像の10倍酷かったよ! ここはもっと頑張るところでしょう。千載一遇のチャンスですらものにできないようじゃあ、ルイスの恋は一生涯成就しないよ」
ダリルの声だわと思ったものの、眠すぎて何を言っているのか分からない。
けれど、ダリルの声が不満気だということは分かった。
だから、ダリルがルイスをしかっているのかしらと、回らない頭で考えていると、ルイスが激しく言い返す声が聞こえた。
「ダリル、僕こそ言いたいことがある! お前はやり過ぎだ! 収穫祭の逆バージョンみたいに、ちょっとばかり甘い言葉をかけられるお楽しみイベントかと思ったら、大爆発の連続じゃないか! いくら聖夜にしても、悪戯の度合いを過ぎているぞ!! お前の魅了解除があと2秒遅かったら、僕は爆発していたよ」
少しだけ目を開けると、ダリルが拗ねたように口を尖らせていた。
「爆発って何だよ。僕はルイスにチャンスを作ってやっただけじゃないか」
対するルイスは、未だ腹立ちが収まらないようで、激しい調子で言い返す。
「だから、お前はやり過ぎなんだって! あんな誘惑、抗えるわけがないだろう! 抗えるわけないのに、ルチアーナ嬢の本当の気持ちじゃないから、応えるわけにはいかない! 僕がいたのは間違いなく地獄だったよ!!」
「地獄は地獄でも、極上に甘い地獄でしょう。それに、ルイスはそこまで紳士だったかな? そのうえ、お姉様は男性に大人気なんだよ。そんなきれいごとを言っていたら、すぐに横から掻っ攫われちゃうよ」
ダリルが言い聞かせるような声を出すと、ルイスはぐっと両手でこぶしを作った。
「……ルチアーナ嬢が降りたての雪のように純真なことは、一目見れば誰だって分かる。だから、こんなルチアーナ嬢を前にしたら、全員僕と同じ対応をするはずだ」
ダリルは反論することなく、にこりと笑った。
「そう? だったら、試してみようよ。そして、お手本を見せてもらおう」
「……どういうことだ?」
ルイスが訝し気に尋ねたけれど、ダリルは返事をすることなく、ルイスに抱きかかえられている私に顔を向けた。
「お姉様、眠気は取れた?」
「ええ、目が覚めてきたわ」
先ほどまでの眠気が嘘のように目が開いてきたわ、と思いながら返事をすると、ダリルが両手を上げた。
「じゃあ、僕を見て。……魅了発動。ルチアーナは・ジョシュアが・けっこう好き♡」
その瞬間、心臓に大量の血液が流れ込んだような感覚が走る。
どくりどくりと高鳴り始めた胸を押さえると、私はとても大事なことを思い出したような気持ちになった。
「ダリル!?」
ルイスが驚いたように弟の名前を呼んだけれど、ダリルは無視すると、伸びあがって私の瞳を覗き込む。
「今度もお姉様の瞳がけっこうなピンク色になったね。魅了の魔術がけっこうかかったって印だ。ルイスの時は効き過ぎた気がしたから、少し薄めようかと思ったけど、ジョシュア兄上も僕の家族だからサービスしないとね。それに、ルイスとジョシュア兄上を同じ条件にしないというのは、フェアじゃないだろう」
「ダ、ダリル、お前……」
ルイスはダリルが魅了の魔術をかけるところを初めて見たようで、ぱくぱくと口を動かした。
その顔には、『再び何てことをしでかしたのだ!』と書いてある。
ダリルはそんなルイスの手を取ると、建物の陰を指差した。
「ルイス、一緒にあそこに隠れるよ。これからルチアーナお姉様は、ジョシュア兄上と大人の疑似恋愛をする。だから、僕たちは邪魔にならないよう隠れているんだ」
「お、大人の疑似恋愛!?」
ルイスはぎょっとしたように目を見開いたけれど、ダリルは無視すると、ルイスの腕を引っ張った。
けれど、ルイスは動かないとばかりに足を踏ん張る。
「ダリル、待って! 落ち着くんだ!」
「僕は落ち着いているよ。それより、急いだ方がいいよ。兄上が自らこの場所に来るみたいだから。鉢合わせしたら面倒なことになるよ」
ルイスははっとしたように遠くを見つめたけれど、ダリルの言葉通り、ジョシュア師団長の姿を見つけたようだ。
そのため、彼はそれまでの態度を一転すると、建物に向かって全速力で走り出す。
どうやらルイスは、ジョシュア師団長に怒られるような悪さをしたようで、逃げ出すことに決めたらしい。
何とはなしに2人を目で追っていると、ルイスは走りながら弟に文句を言った。
「ダリル、お前は大人の疑似恋愛と言ったが、そんなことは起こらないからな! 何といっても、ジョシュア兄上自身が魅了持ちなんだ! だから、ルチアーナ嬢に強力な魅了がかかっていることに、すぐ気付くはずだ! そうしたら、紳士として対応するに決まっている!!」
「本当にそう思う? 兄上は我が国でナンバー1といわれる陸上魔術師団長なんだよ。あの地位が、綺麗なことだけをして手に入るはずがないよね。兄上が紳士なのは間違いないけど、兄上はきっとお姉様に紳士的な対応をしない気がするよ」
ダリルの言葉を聞いて、ルイスは黙り込んだ。
「…………」
どうやらダリルの言葉を聞いて、一理あると思ったようだ。
2人に気を取られていると、近くで麗しい声が響いた。
「ルチアーナ嬢、一人か? ルイスは近くにいないのか?」
はっとして顔を上げると、美しい藤色の髪を乱したジョシュア師団長が立っていた。
相変わらず見上げるほどに背が高く、逞しい体付きをしている。
麗しい顔立ちの中、水宝玉のような瞳がきらきらと輝いて、私を見つめていた。
滅多にないほど威圧感のある美形の登場に、私はぱっと顔を輝かせる。
「ジョシュア師団長!」
彼の名前を呼ぶと同時に、私はその腕の中に飛び込んだ。
「えっ、ルチアーナ嬢? 一体……」
ジョシュア師団長は私の行動に驚いたようだったけれど、少しも体が揺れることがなかったので、その逞しさにうっとりする。ジョシュア師団長は立派な肉体を持っているのね、素敵。
ジョシュア師団長は確認するように私を見つめてきたけれど、すぐにはっと息を呑んだ。
「何てことだ! 私に好意を抱く魅了がかけてあるぞ。……何てことだ!」
ふふ、『何てことだ』と2回言ったわよ。困っているジョシュア師団長も素敵。
くすくすと笑いながら体を離すと、ジョシュア師団長は悩まし気に私を見つめてきた。
微笑みながら首を傾げると、ぐっと蛙が潰れたような声を出される。
それから、師団長は悩む様子ながらも私に話しかけてきた。
「……ルチアーナ嬢、私は全能ではないから、全てを見通すことはできない。だから、ダリルの行動に正当な理由があるかどうか、今すぐ分からない。……そうである以上、あなたにかけられた魅了の魔術を解くべきではないと思う」
うふふ、可愛い人だわ。
つまり、私に好かれたままでいたいから、魅了の魔術を解かないと言っているのね。
「嬉しい。ジョシュア師団長を好きな私の気持ちを残してくれるのね?」
「ぐっ」
ジョシュア師団長は再びおかしな声を漏らすと、何かに耐えるかのように奥歯を噛み締めた。
けれど、私は気にすることなく、思ったことを言葉にする。
「私はこれまで恋をしたことがなかったけれど、こんな気持ちになるのね。そわそわして、側にいるだけで嬉しくて、どきどきして、とても幸せだわ」
どうかこの気持ちが伝わりますようにと思いながら、ジョシュア師団長を見つめると、彼は片手を額にあて、深いため息をついた。
「ルチアーナ嬢、あなたは……こんな風になるのか。そうであれば、私はこれっぽっちもあなたに好かれていなかったのだと実感するな」
ジョシュア師団長が悲しいことを言ってきたので、私はもう一度、師団長のウェストに両腕を回した。
「えっ?」
驚く師団長の胸に頭を付けると、私は甘えるような声を出した。
「だったら、今はどう? 私から好かれているという実感はあるかしら」







