【SIDE】フリティラリア公爵家ラカーシュ 中
ダイアンサス侯爵令嬢のことは、正直、好ましい存在だとは思っていなかった。
王太子であるエルネストにつきまとい、彼の時間を無駄にしている。
それなのに、そのことに気付いてもいない言動が目に余っていた。
女性は例外なく敬うものだと教えを受けていたにも関わらず―――彼女自身も上位貴族の一員であるというのに、自分の価値を正しく認識できず、過剰評価しているダイアンサス侯爵令嬢のことを、心のどこかで蔑んでいた。
そして、彼女はそのことを薄々感じ取っていたはずだ。
特に、数日前にはダイアンサス侯爵令嬢に対して直接辛辣な発言をしたので、私が抱く彼女への負の感情については、間違いなく理解していただろう。
にもかかわらず、彼女はわざわざ私に近付いてくると、セリアのことを忠告してくれた。
『フリティラリア公爵誕生祭の期間中、魔物がセリアを襲うので気を付けろ』と。
愚かしいことに、忠告を受けた私は、ダイアンサス侯爵令嬢の言葉をこれっぽっちも信じていなかったのだけれど。
なぜなら、セリアが14歳で亡くなるだろうということは、我が家だけの秘匿情報だったのだから。
それは、王太子であるエルネストにすら知らせていない情報だった。
そのため、第三者がそのことを知っている可能性など、万に一つもないと信じていた。
結果、ダイアンサス侯爵令嬢の言葉は真実ではなく、質の悪いいたずらだと思ったのだ。
前日に彼女から観劇に誘われていたこともあり、私の気を引きたいのだと―――エルネストへの当て馬役としての役割を与えられようとしているのだと、私は考えた。
けれど、後になって思い起こしてみると、彼女は間違いなく、予めセリアに起こることを予見していたのだと思わされた。
なぜなら、私たちですら知り得ていなかった、セリアが襲われる時期と相手を言い当てたのだから。
そのことを理解すると、私を観劇に誘ったこと自体が、我がフリティラリア領地の城から……つまり、魔物から、私を遠ざけようとした行為であっただろうことが推測された。
にも関わらず、実際に誘われた際には気付きもせず、彼女の行為に不愉快な感情を覚えていたというのだから、私の未熟さは筆舌に尽くしがたい。
愚かなる私は、ダイアンサス侯爵令嬢から忠告を受けた際、誘い自体を下心付きの悪巧みと信じていたのだ。
一方では、偶然のように思える出来事同士が複雑に絡み合うことを知っていたため、彼女の忠告には根拠がないと思いながらも、セリアの護衛を増やした。
結局のところ、魔物と対峙した時のセリアは護衛を振り切っていたので、増援させた意味は全くなかったのだけれど。
―――けれど、その時に思ったのだ。
『ああ、やはり結末は変わらないのかもしれない』と。
あれだけ増やしていた護衛も、魔物と対峙した際には側にいないではないか。
やはり、運命は覆すことができないのだと、そう頭のどこかでちらりと思ったのだ。
妹の命が懸かった場面だというのに、これまでの経験から冷静に分析をしてしまったのだ―――負の結論に至るべき分析を。
戦いにおいて、気概は重要なファクターだと分かっているのに、勢いを削ぐことにつながる結論ですら、冷静に導き出す。
―――これは、自覚している私の欠点だった。
セリアと血のつながった、実の兄がこの体たらくだ。
血縁関係もない人間なら、推して知るべしだろう。
そう思うような状況にも関わらず、ダイアンサス侯爵家のサフィア殿は恐ろしく有能だった。
なぜなら、我が家の優秀な護衛の誰もが気付かなかった危機を察知して、脱出口を作成してくれたのだから。
とぼけたような口調で話していたが、実際は、私が発動した攻撃魔術を感じて、駆けつけてくれたのだろう。
同様に、私たちが発していた魔術から立ち位置を把握したうえで、影響がなさそうな場所を的確に選び、地面ごと城の壁を吹き飛ばしてくれた。
彼が発動した魔術は緻密な上に威力も大きく、将来、サフィア殿が国の重鎮になるだろうことは間違いなかった。
そのように将来を嘱望される身であるにも関わらず、命の危険がある場面で、ほとんど交流もなかった私と妹のために最後まで踏み留まり、戦ってくれた。
間違いなく、彼がいなければ、魔物を倒すことはできなかっただろう。
優秀な上に情けを知る人物だとは、何と尊ばしい者だろう。
彼には感謝しても、し足りることはない。
そして、それは、彼の妹であるダイアンサス侯爵令嬢についても同様だった。
ダイアンサス侯爵家のご令嬢の魔術が、上級貴族としては恐ろしく出来が悪いという話は有名だった。
実際に魔物と対峙した際、彼女が披露した初級の火魔術は、威力が弱い上にコントロールも悪く、敵に当たることなく弾けて消えた。
……これが、彼女の全力なのか?
初めて目にした彼女の魔術が想像以上の出来の悪さだったため、驚いて彼女を見やると、その手足は目に見えて分かるほどに震えていた。
呼吸すらままならない感じで、ぜいぜいとした彼女の呼吸音が、離れている私にも聞こえるほどだった。
こんな状態ではコントロールが定まらず、魔術が当たることは決してないだろう。
そう判断し、逃げることを促したにもかかわらず、彼女はその場に留まった。
たとえば、彼女の兄のように魔力が高ければ、留まって戦おうとする気持ちは理解できる。
けれど、彼女のように対抗する力もなしに留まろうとする行為は、理解できないものだった。
彼女には、何事も成すことができない。
この場に留まったとして、出来ることといえば、ただ己のひ弱さを実感し、全身を恐怖の感情に染め上げることだけだ。
不可思議に思う私の前で、ダイアンサス侯爵令嬢はセリアを庇うような動作を見せた。
自らを盾にするかのように動いたのだ。
―――私は、ずっと。
他者を守るのは、強者の義務だと思っていた。
同時に、強者の特権であると。
そう信じていた私は、何と傲慢だったのか。
ダイアンサス侯爵令嬢は、愚かなる私の目の前で、実際に証明してみせた。
強者が他者を護るのではなく。
自分を守ることすら覚束ない弱者が、他者を護ろうとすることを。
―――それは、私が初めて見た光景で。
最上位の貴族令嬢として生まれたセリアですらできない、尊ぶべき行動だった。
そのような行動を自然に行える者だからなのか。
だからこそ、希望とともに稀有な力が与えられたのか。
呆然とする私の前で、ダイアンサス侯爵令嬢はその力を披露した。
『魔法使い』として、比類するものもない、絶大にして全く異色なる力を―――……







