262 兄との事前調整 2
兄の質問を聞いた私はうーんと考え込んだ。
「いえ、……カール様がカンナ侯爵領を訪問することはないと思います」
カールと話をしたときの状況を思い出しながら答えると、兄は意外なことを聞いたとばかりに目を細めた。
「なぜそう思う?」
「え? ええとそれは、カール様をカンナ侯爵領に誘った際に、答えを保留にされたからです。保留というのは、王族らしい婉曲なお断りの方法だと思います」
カールの立場に立って考えると、私のように評判の悪い女子生徒と一緒に旅行をするなんて嫌だろう。
だから、カールが言った『保留』というのは、『お断り』だと解釈して間違いないはずだ。
兄は珍しく曖昧な表情で頷くと、今後の方針を尋ねてきた。
「ふうん。それで、お前はどうしたい?」
「えっ、私ですか?」
改めて問われたことで、私はどうなることを望んでいるのかしらと考える。
「私は……自然豊かなカンナ侯爵領で、一時でもカール様がゆったり過ごせたらいいなと思います」
カールの人生は過酷だ。
幼い頃からずっと義父や兄姉に虐げられており、『次代の生贄』になることが定められているのだから、心休まることがほとんどなかったはずだ。
だから、せめて母国から離れている今くらい、大好きな水のある場所でゆったり過ごしてもらいたいわよね。
兄はじっと私の表情を見ていたけれど、短く返事をした。
「……分かった」
兄は協力すると言ったわけでも、何かを約束したわけでもなかったけれど、なぜか私は言っておかなければいけない気持ちになり、言葉を追加する。
「あっ、でも、カール様の希望に反して、カンナ侯爵領に同行してほしいとは思いません」
そもそもカールが海に面したカンナ侯爵領でゆったりできるだろうというのも、カールがゆったりしたがっているだろうというのも、どちらも私の推測でしかない。
加えて、カールにとって見知らぬ領地に行って、さらには悪役令嬢な私が側にいるという休暇が、果たして楽しいものだろうかという疑問がある。
だから、カールが希望していないのであれば、カンナ侯爵領に連れていくべきではないだろう。
そう思っての発言だったけれど、兄は詳しい説明を求めるでもなく、短く返してきた。
「……分かった」
本当に兄は私の気持ちが分かったのかしら、と考えている間に『睡蓮の池』に到着した。
足を止め、ぐるりと池を見回してみたところ、カールの姿はなかった。
どうやら今日は来ていないようだわ、とため息をついていると、隣に立つ兄がにこやかな声を出した。
「お前が足繁く通うのも頷けるほど美しい場所だな」
私が好きな場所を兄が認めてくれたことが嬉しくて、私は笑顔で兄を見上げる。
「お兄様が私と同じように、この睡蓮を美しいと思ってくれて嬉しいです」
兄はふっと唇の端を持ち上げた。
「そうか。それは非常に嬉しい言葉だが、私を誘った目的は睡蓮を見ること以外にもあるのだろう? お前から何かを誘ってくることなど、滅多にない出来事だからな」
「まあ、お兄様ったら。口ではそう言っていますが、実際に私がむやみやたらにお兄様を誘ったら、すぐに嫌になりますよ。ええと、それで、正解です。私はお兄様と聖夜祭について話をしたかったんです」
兄はそれだけで私の言いたいことを理解したようで、納得したように頷く。
「ああ、私とお前は同じチームだったな」
「そうなんです! ですから、ぜひ『聖夜の領地戦』について、事前にすり合わせておきたいと思ったんです。お兄様の好きにさせていたら、当日、(同じチームになったお兄様以外の全員が)大変な目に遭う未来が見えますからね」
だから、何をしようとしているのか事前に聞き出して、トラブルになりそうなことは阻止しないといけないわ。
兄は片手で顎を摘まむと、考えるように私を見た。
「ふうむ。一つ質問だが、お前はこのゲームに勝ちたいのか?」
まあ、何を当たり前のことを聞いてくるのかしら。
「当然ですよ。負けようと思ってゲームをする者なんていませんから」
兄は了承したように頷いた。
「ならば方法は簡単だ。聖夜祭の当日にチームごとに集まって巨大プディングを食べることになっているだろう。プディングの中に隠してあるミニチュアを引き当てた者には役が与えられるとのことだった」
「ええ、各チーム2名以内ということでしたね」
この辺りは細かいルールになるので、生徒全員に『聖夜の領地戦』についての説明書が渡してあるはずだ。
「その役付きの者は、各自一人ずつ学園外から助っ人を呼べることになっている。だから、私とお前でミニチュアを引き当てるのだ。その後、私がジョシュア師団長を呼ぶから、お前はアレクシスを呼べばいい」
兄はこともなげに言ったけれど、私はびっくりして大きな声を出した。
「へ? ダ、ダメに決まっています!」
我が国に3人しかいない魔術師団長のうち2人を呼んで仲間にしたら、優勝するのは間違いないだろうけど、それはさすがにズルだろう。
誰だって分かることだというのに、兄は不思議そうに首を傾げる。
「禁止事項には入っていないぞ?」
確かにそうだけど、それは入れるまでもないことだから入れてないだけじゃないかしら。
「そういう問題ではありません! 常識ですから!!」
それに、お兄様はこともなげに言ったけれど、役付きになるためにミニチュアを引き当てること自体が難しいことで、引こうと思って引けるものではないのだ。
「やあ、それならば私も常識と言えるような未来予測を語らせてもらうが、エルネスト殿下、ラカーシュ殿といったエースたちがお前を獲得に来るだろう。ジョシュア師団長クラスの守護者を立てておけば私も安心できるが、そうでなければ私が立つぞ」
「それがいいと思います!」
それですよ、お兄様! 外部から人を連れてきて楽をしようと思わないで、自分で頑張ることが大事なんです。
「いいのか?」
よっぽど働きたくないのか、往生際悪く兄が尋ねてきたので、もう一度大きく頷く。
「もちろんです!!」
兄は真意を確認するかのように私を見つめた後、ふっと微笑んだ。
「……そうか。お前の許可も出たことだし、聖夜祭ではお前を狙う男性陣と、正々堂々勝負することとしよう」
それから、兄は真剣な表情を浮かべると、策略を巡らせるかのように目を細めたため、私は何か大きな失敗をしてしまったのかしらと心配になる。
「あれ? お兄様のおかしなスイッチを入れてしまった?」
取り返しのつかないことをしたような感覚に陥り、どきどきし始めた胸を押さえていると、兄が楽しそうに尋ねてきた。
「ルチアーナ、私の夢を知っているか?」
「お兄様の夢……」
それは何か月も前に聞いた話だったというのに、なぜか私ははっきり兄の言葉を思い出してしまう。
「ええ、知っています。フリティラリア公爵の誕生祭の帰り道、馬車の中でお兄様が言っていましたよね」
兄とユーリア様と私の3人で乗った馬車の中で、兄は楽しそうに言ったのだ。
『せっかく外見が美しい妹がいるのだから、多くの男性から申し込みがくるのを楽しみにしていたのだ。何と言っても私の夢は、妹にまとわりついてくる有象無象の若者たちを返り討ちにすることだからな』
一言一句正しく思い出した私は、嫌な予感を覚えて兄に視線を送る。
「……お兄様?」
領地戦というのはチーム対チームで戦うもので、個人対個人で戦うものではない。
兄は賢いから、もちろんそんなことくらい分かっているわよね。
分かっていてちょうだい、と祈るような気持ちでいると、兄は真面目な顔で呟いた。
「卒業パーティーを除けば、これが私にとって最後のイベントになる。最後くらい、長年やりたかった夢を叶えさせてもらうことにするか」
けれど、兄の表情とは異なり、その声が非常に好戦的に聞こえたため、まじまじと見つめると、―――兄は見たこともないほど悪い顔をしていた。
そのため、事前にすり合わせをしたにもかかわらず、聖夜祭で兄は好き勝手に振る舞って、私は大変な目に遭うのじゃないかしら、と嫌な予感を覚えたのだった。







