255 カールの感謝 1
「ううう、ハープってすごく難しいのね。お兄様は弾けるようになるまで半年かかると言っていたけど、本当にそうなのかしら。むしろ半年で弾けるようになるとはこれっぽっちも思えないわ」
学園にある「夏の庭」で、私はぶつぶつと独り言を呟いていた。
週末が終わったので学園に戻ってきたのだけれど、授業終了後、いつもの癖で「夏の庭」を訪れてしまった。
最近はカールの様子を見るのが日課になっていたため、いつの間にか放課後に「夏の庭」を訪れるのが習慣になったみたいだ。
その際、いつもの癖で「睡蓮の池」を見回したけれど、カールはいなかった。
そのため、一人ならばと心置きなく昨日のことを思い出し、ハープの練習について反省会をしていたのだ。
「ううう、この調子じゃあハープを弾けるようになるまで相当な時間が掛かるわね。でも、ハープを弾く以外で、カールとお友達になる方法を思い付かないのよね」
私は頭を抱えると、どうすればいいのかしらと池の中の睡蓮を見つめる。
ゲームの中のカールは家族に虐げられていたため、屋外で一人きりで過ごすことが多かった。
そんなカールにとって、風の音や水がはねる音は、幼い彼を癒してくれた唯一心地いいと思えるものだ。
そして、カンナ侯爵家が所有しているハープは、カールにとって優しい音である風や水の音そっくりの音を響かせるらしい。
そのため、その特別なハープが奏でる音を聴くと、カールは昔の優しい記憶が呼び起こされ、穏やかな気持ちになれるらしいのだ。
ゲームの中で、主人公が音楽室にある楽器の中からハープを手に取り、演奏したところ、その音を耳にしたカールが衝撃を受けて立ち止まるシーンがある。
どうやら主人公が手に取ったのは、カンナ侯爵家から寄付されたハープだったようで、そこからカールルートがスタートするのだ。
私はそのシーンを、一生懸命思い出そうとする。
この世界の元になった乙女ゲーム『魔術王国のシンデレラ』では、それぞれの場面において複数の選択肢が提示され、選んだ選択肢によってその後のストーリーが分岐していく仕組みになっていた。
もちろんそれはカールルートも例外ではなく、初めてハープの音を耳にしたカールは主人公に話しかけるのだ。
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カール『とても美しい音色だ。もしよければ今後も君の演奏を聞かせてもらえないか?』
▽どの選択肢にしますか?
『まあ、そうしたら、カール様はいつか私のハープの虜になってくれるのかしら』
『一人で弾くのは味気ないと思っていたので、聞いてもらえるなら嬉しいわ』
『ふふふ、私程度の演奏をそれほど気に入るなんて、王子様なのに芸術に造詣が深くないんですね』
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「ううーん、まずはカールに私のハープを『とても美しい音色だ』と思わせないといけないのね。さらに、『今後も君の演奏を聞かせてもらえないか?』という言葉を引き出す必要があるのよね」
一体どれだけハープの腕が上がれば可能になるのかしら。
適当にぽろんぽろんと弾いていたら、風や水の音に聞こえるということはないかしら。
うーん。悪役令嬢である私に、そんな都合のいい展開なんてあるはずないから、地道にハープの腕を磨かなければならないのでしょうね。これは前途多難だわ。
ふーっとため息をついていると、背後でかさりと草を踏みしめる音がした。
何気なく振り返ると、私の後ろに正に今考えていた人物が立っていた。
「カール様!」
まあ、久しぶりに見たけれど、相変わらず麗しいわね。
白とピンクのグラデーションがかかった長い髪が、風になびいてカールの周りに広がっていたけれど、その姿が美し過ぎて夢のようだ。
カールは端整な顔立ちをしているため、彼自身がまるで睡蓮の花のように見え、『幻想王子』と呼ばれていることに納得する。
思わず見とれたところで、カールが「夏の庭」に来たのは「睡蓮の池」に入るためじゃないかしらと気が付いた。
そうであれば、邪魔をしてはいけないと立ち去ろうとしたところで、カールから片手をあげて制される。
「ゆっくりしていたところを邪魔してすまない。君に用事がないのであれば、少し付き合ってもらえないか?」
「えっ、あ、はい」
私はしどろもどろに返事をすると、カールを見上げた。
まあ、カールの方から話しかけてきたわよ。
私は彼とお友達になりたいのだから、このチャンスを逃すべきではないわよね。
カールは少し躊躇った後、言いにくそうに口を開いた。
「……ずっと、君にお礼を言いたいと思っていた。しかし、君はいつだって誰かと一緒にいたから、オレに話し掛けられるのを他の者に見られるのは不快だろうと、タイミングを見計らっていた。そうしたら、これほど遅くなってしまった」
「えっ」
そうだった。カールはずっと虐げられてきたから、自己肯定感がものすごく低いのだった。
それから、何だって悪い方に解釈して、闇落ちするキャラだったわ。
眉尻を下げて見つめると、カールは両手をぐっと握りしめ、深く頭を下げてきた。
「ルチアーナ嬢、先日の茶会における一連の行動に感謝する」
まあ、カールったらあの場でお礼を言ったのに、もう一度言ってきたわ。
元々、礼儀正しいのでしょうけど、あの時のカールはすごく困っていたから、救われた気持ちになったのかもしれない。
でも、私は出しゃばり過ぎたのよね。
私は先日実施された、「危険なお茶会」を思い出す。
カールが提供した茶葉には毒が含まれていたのだけど、そのことが判明した際、彼は一切言い訳することなく、黙り込んでしまったのだ。
同じテーブルにいたエルネスト王太子とラカーシュが剣呑な表情を浮かべたので、このままでは事態が悪化してしまうと考えた私が、毒入りの紅茶はカールの家族が送ってきたのだ、と口を出してしまった。
でも、それはゲームで得た知識だから、『どうして家族情報を知っていたのだ』と質問されたら答えようがないのよね。
ああ、どうしよう。
ここは、「どういたしまして」とだけ言って、詳しく聞かれる前に走り去ってしまうべきかしら。
でも、そんなことをしたら、カールは私のことを変わった人だと思って、友達になろうとはしないわよね。
ううーん、どうすればいいのかしら。
困った私は、無言のままカールを見つめたのだった。







