244 王宮昼餐会 4
何とも微妙な雰囲気になったところで、王が持っていたグラスをテーブルに置くと、真剣な表情で私を見つめてきた。
「ダイアンサス侯爵家の男性陣が苦労性ということはさておき、ルチアーナ嬢、今回の件について改めて礼を言わせてくれ」
私は口の中に入っていた食事をごくりと飲み込むと、王を見返す。
えっ、王が私にお礼を言うですって? 聞き間違いかしら。
……と、自分の都合のいいように考えたけれど、もちろん聞き間違いではなく、王は両手をぎゅっと組み合わせると眉根を寄せた。
「エルネストから聞いているだろうが、聖獣と契約することは私の人生における悲願だった。しかし、2度も失敗したうえ、先代王が亡くなってしまったから、私には2度とチャンスが与えられることはないと諦めていた。王家は永遠に聖獣と契約する機会を失ってしまったのだと」
その話は確かに王太子から聞いていたため、無言のまま頷くと、王は泣き笑いのような表情を浮かべる。
「ところが、エルネストが突然、生まれ変わった小さな聖獣を抱えてきたのだ。そして、聖獣と契約したと言ってきた。その話を聞いた時、私は本当に嬉しかった。私が永遠に一族から奪ってしまったと思っていた聖獣との契約を、息子が結ぶことができたのだからな。あの時、もうこれ以上望むことは何もないと思ったのだ」
王にとって、聖獣との契約はとても大切なものに違いないと思っていたけれど、改めて言葉にされることでその重みが伝わってくる。
「……それなのに、ルチアーナ嬢が私のためにもう一度、聖獣の儀式を執り行ってくれると言ってくれたから……私は自分の欲を抑えられなくなり、その申し出に飛びついてしまった。そうは言っても、私は既に2度も失敗している。過度な期待は懸けるものではないと自分に言い聞かせ、儀式に臨んだところ……信じられないことに、本当に成功したのだ! 私はもう絶対に叶えられないと思っていた人生最大の望みを叶えることができたのだよ!!」
王は興奮した様子を見せた後、表情を緩め、まるで笑いを止められないかのように笑み崩れる。
「ふはははは、しかし、ルチアーナ嬢は素晴らしいな! 今回、思いもかけず聖獣の真名を聞き取れた時、私は感激して動くことも言葉を発することもできなかった。そうしたら、真名を聞き取れなかったと勘違いした君が、小声でもう一度、真名を耳打ちしてくれたのだから」
「えっ、そ、それはその」
改めて指摘されると、私の行動はやってはいけないことだったのかもしれないと心配になった。
儀式の際は無我夢中で、何としてでも成功させなければとの気持ちから行動したけれど、今思えば私は儀式の手順を逸脱したのかもしれない、と。
「亡くなった前王であれば、決してそのようなことをしなかったはずだ。いや、前王でなくとも、ルチアーナ嬢以外の者であれば、神聖なる儀式でそのようなことをしようと思わないだろう。それなのに、君はしきたりを無視して、私にもう一度真名を教えてくれた。何が何でも儀式を成功させようとしてくれたのだ」
「す、すみません。私の行動は非常識でしたね」
王は既に聖獣の真名を聞き取っていたのに、余計なことをしたものだわ。
そう反省していると、王はそうじゃないと首を横に振った。
「ルチアーナ嬢、私は君に感銘を受けたのだ。遠い昔に聖獣と契約することができたリリウム家の先祖は、強い想いを持っていたはずだ。だからこそ、聖獣の心を打ち、契約することができたのだ。一方のルチアーナ嬢も、同じように正しいものに立ち向かおうという強い気持ちを持っていた。それだからこそ、聖獣の心を動かすことができたのだ」
王はしみじみとした様子で続ける。
「私はルールを守ろう、正しくあろうとする気持ちが強過ぎて、何が何でも聖獣と契約したいという気概が欠けていた。それから、そもそも聖獣と契約したかったのは、国民にとってハイランダー王国を住みやすい国にするためだ、という基本的な想いを忘れていた。君の姿を見て、そのことに気付くことができたのだ」
王は一旦言葉を切ると、感謝の眼差しで私を見つめてきた。
「だから、聖獣を動かしたのは君の力だ。エルネストが契約できたのも、私が契約できたのも、全て君のおかげだ」
王の言葉を聞いた私は、びっくりして飛び上がった。
「そ、そんなことはありません! 私はただお手伝いをしただけです」
焦りながら当然の言葉を返すと、王は『聖獣の間』がある方向を見つめる。
「聖獣の儀式において、聖獣は契約者の資質を見極めているのだと思う。聖獣はきっと、正しい心根と強い想いを持っている者でないと、契約相手として認めないのだ。そして、今回、ルチアーナ嬢の持つ資質に触発され、私も自然とそれらの資質を聖獣に示すことができたのだろう」
うっとりした王の表情を見ながら、いやいや、王の言葉はほとんど想像で成り立っているわよね、そして、私のことを褒め過ぎだわと困っていると、王はきりりとした表情を崩して、おかしくて堪らないとばかりに笑い出した。
「ははははは、しかし、信じられるか? ルチアーナ嬢は聖獣の真名を独断で変更したのだよ! 詳しくは言えないが、我が王家に関係する名前を真名にしたのだ! 耳慣れた単語だったからこそ、今回、私は聖獣の真名を聞き取れたのかもしれないな」
王はそう言うと、テーブルの上にあった花瓶から白百合の花を抜いて、浮かれた様子でくるくると回した。
それから、満面の笑みでテーブルの上にいる聖獣に白百合を差し出す。
……ううーん、私が答えを知っているからそう思うのかもしれないけれど、今の王の言動を見たら、ほとんどの人が聖獣の真名を当てることができるのじゃないかしら。
そんな私の考えはあながち外れてはいなかったようで、ラカーシュと王妃が顔をしかめた。
「王、それはしゃべり過ぎです……」
「どうしましょう、私は真名が何なのかほとんど確信してしまったわ……」
ほら、王様ったら、やっぱり仄めかし過ぎたみたいよ。
そう呆れていると、王の隣に座った王妃が頭を下げてきた。
「ルチアーナ嬢、私からもお礼を言わせてください。王は長い間、聖獣と契約できないことを私にも言えずに苦しんでいたのです。どうにもならないことだから、私に話しても悩ませるだけだと思ったのでしょう。先日、エルネストが聖獣と契約できた時に、王はやっとご自分の退位の意向とともに、これまでのことを私に伝えてくれたのです」
まあ、今日の王は浮かれているから、軽い言動が目につくけど、やっぱり本質は思慮深くて誠実な人柄なのだわ。
「ここのところ何年もの間、王が何かに悩んでいることは知っていました。けれど、私にはどうすることもできませんでした。そんな王が、エルネストが聖獣と契約したのだと言いながら、数年振りに晴れやかな笑みを見せてくれたのです。ルチアーナ嬢、全てはあなたの勇敢さのおかげです。この国の王妃として、また王の妻として感謝いたします」
王妃の言葉に続いて、王も同意する言葉を続ける。
「その通り、全てルチアーナ嬢のおかげだ! 私は今日のことを永遠に感謝する! 君は王家の恩人だ!!」
まずいわね、何だか大袈裟になってきたわよ。
そう用心していると、王が一転して、しょんぼりと肩を落とした。
「本当にルチアーナ嬢には何と感謝していいのか分からない。それなのに、君は聖獣の儀式で私に真名を継承したから、恐らく、あと数日で聖獣の真名を忘れてしまうのだ」
いやいや、それはちっとも悪い話ではないわよね。
「ええと、一貴族である私が聖獣の真名を知っていても、いいことは一つもありません。ですから、このまま忘れてしまうのが一番です」
きっぱりと返すと、王は心から感心したような表情を浮かべた。
「君は何て無欲なのだ!」
いや、無欲というよりも、悪役令嬢として断罪から身を守るために身に付いた高い危機意識よね、と思ったけれど、王妃も王太子もラカーシュも、王に同意するように頷く。
「ええ、信じられないほど欲がないわ」
「父上、母上、ルチアーナ嬢はいつだってこうなのです」
「エルネストの言う通り、彼女は常に何一つ受け取ろうとしません」
止めてちょうだい。皆の中で、何だかすごい立派な人物像が出来上がっているけど、私は絶対にそんな聖人ではないわ。
ううう、これ以上誤解されると大変だから、ちょっと大げさに欲深さを表現するため、箱いっぱいの金貨がほしいと言うべきかしら。
そう迷っている間に、王が言いにくそうに言葉を続けた。
「そんなルチアーナ嬢には感謝しかない。だから、嫌だと思うことは一切したくないのだが……」
王は言いよどむと、迷う様子で私を見た。
あっ、後ろ頭がちりちりしてきたわ。これはよくない話じゃないかしら。
「国王陛下、お礼と言うのならば箱いっぱいの……」
身を守るため金貨を強請ろうとしたけれど、私の言葉に被せる形で王が大きな声を出す。
「私は君にどれだけ感謝しているのかを示したい! だから、ダイアンサス家を公爵に陞爵したいと考えている!!」
「ええっ!!」
と、とんでもない話を提案されてしまったわ。
私は大きく目を見開くと、どうしてもっと早く金貨を強請らなかったのかしら、と心から後悔したのだった。







