242 聖獣継承の儀
王太子に案内されたのは、『聖獣の間』と呼ばれる広い部屋だった。
部屋とは言っても、天井がない造りとなっており、扉をくぐった瞬間に青空が見える。
びっくりして空を見上げると、少し離れた場所から声が響いた。
「本日は学園が休みのところすまないね」
はっとして顔を向けると、至尊の冠を被る国王陛下が佇んでいた。
王は初めて目にする金色の煌びやかな衣装を身に着けており、儀式に望むための準備は既に万端整っている様子だ。
まあ、私ったらどうしてこれほどきらきらした王に気付かなかったのかしら、と慌てて頭を下げる。
すると、王は焦った様子で両手を上げた。
「頭を上げてくれ。むしろ君に対して、私の方が頭を下げたいくらいなのだから」
なるほど、エルネスト王太子に続いて、国王陛下もロイヤルジョークを口にするタイプのようだ。
王と王太子は血のつながった親子なので、思考が似ているのかもしれない。
問題なのは、私がこのジョークをさっぱり面白いと思えないことだろう。
私は下げていた頭をそろりと上げると、王に向かって礼を執る。
「本日は王宮にご招待いただきましてありがとうございます。出来得る限り役割を努めさせていただきます」
王は私の顔を上げさせると、申し訳なさそうに顔をしかめた。
「私こそ、君の提案に甘えてしまってすまない。聖獣を従えることは、私の長年の望みだった。エルネストが聖獣を従えたと分かった時点で、一度は諦めたのだが……もしかしたら私も聖獣を従えることができるかもしれないと考え出したら、どうにも欲を抑えることができなくなって、図々しくも君の申し出を受けてしまった」
王の言葉を聞いて、まあ、ただの貴族令嬢でしかない私に対して、こんなに正直に思ったことを伝えてくれるのね、とびっくりする。
それから、やっぱり王は誠実な人柄なのだわと考えて嬉しくなった。
「陛下が聖獣を従えたいのは、この国は聖獣に守られていると信じる私たち国民に、安心を与えるためですよね。そのようにご立派な考え方をする陛下を、私は心から尊敬しています。ですから、少しでもご助力できることがあれば、お力になりたいです」
私の言葉を聞いた王は、面映ゆそうな表情を浮かべる。
「そう言ってもらえると、これまでの私の尽力が無駄ではなかったのだと思えるな。ルチアーナ嬢、本日は君の言葉に甘えて儀式を行わせてもらうが……もしも儀式の途中で、やはりこれ以上儀式は続けられないと思ったら、いつだって止めてもらって構わない。私は最大限、君の考えを尊重しよう」
王は聖獣と契約することを人生の目標にしてきた、と王太子は言っていた。
それなのに、儀式が進行して……たとえば私が怖くなったとか、聖獣の真名を忘れるリスクを冒したくなくなったとか……それがどんな理由だとしても、止めたくなったらいつでも止めていいと言ってくれたのだ。
本当に人格者だわと思った私は、儀式を途中で止めるつもりは一切なかったけれど、「ありがとうございます」と王の気持ちを受け取る。
王が頷くことで理解を示すと、今度はエルネスト王太子が口を開いた。
「ルチアーナ嬢、事前に確認したいのだが、今日は炎を使う。それから、儀式の最中に君は、聖獣に触れなければならない」
言いにくそうに説明された私は、分かっていると大きく頷く。
というのも、本日の儀式の手順を記した資料を、事前に王太子からもらっていたからだ。
それなのに、敢えてもう一度説明してくるのは、私が事前に心構えができるようにと配慮してくれているのだろう。
つい先日、私は聖山で聖獣の炎に全身を包まれ、火傷を負った。
そのため、炎や聖獣がトラウマになっていないかと、王太子は心配してくれているのだろう。
その気持ちはありがたいけれど―――正直言って、これっぽっちも怖くはなかった。
私が聖獣の炎に包まれることになったのは、不死鳥が生まれ変わるタイミングだったからだ。
そんな滅多にない機会に再び巡り合うことは、二度とないだろう。
そのことが分かっているため、聖獣と顔を合わせることも触れ合うことも、ちっとも恐怖ではないのだ。
もちろん人によっては、王太子が心配するように炎や聖獣に恐怖を覚えるだろうから、私の鈍感力が今回、いい仕事をしているに違いない。
「私は意外と鈍感ですので、ちっとも気になりませんわ」
本当は胸を張りたいところだけれど、ここは威張るところではないわよねと、控えめな表情で謙遜すると、王太子は納得した様子で頷いた。
「そうだったな。意外でも何でもないが、ルチアーナ嬢は非常に鈍感だ」
あら、おかしいわね。
私は鈍感であることを長所として話したのに、まるで短所であるかのように返されたわよ。
納得がいかずに顔をしかめていると、王太子は雰囲気を変えるかのように咳払いをした。
それから、にこやかに新たな提案をしてくる。
「では、ルチアーナ嬢、君が落ち着いたタイミングで儀式を開始してもいいかな。通常であれば聖職者を呼ぶのだが、今日は私が代わりを務めさせてもらう」
なるほど。王は既に聖獣を従えたことになっているから、儀式は秘密を知るこの3人だけで行うようだ。
私は深呼吸を一つすると、王と王太子に向かって頷いた。
「落ち着きました。始めてもらって大丈夫です」
そう言うと、私は部屋の中をぐるりと見回す。
「聖獣の間」には、特殊な加工を施された魔石を円状に敷き詰め、聖山を模した空間が作られていた。
私は手順書に定められていた通り、王とともにそれら魔石で作られた円の内側に進み出る。
すると、敷き詰められた魔石に、王太子が聖山から運ばれてきた火を灯した。
その途端、私の背丈より高い炎が吹き上がり、部屋の真ん中に立っている国王と私を、王太子から分断する。
金の衣装を着た王に視線をやると、炎を受けてきらきらと輝いており、その色合いは聖獣と同じに見えた。
何て幻想的な光景かしらと感動していると、空から聖獣が優雅に舞い降りてきて、私の前に着地する。
聖獣は最後に見た時と同じく小さくて可愛らしい姿をしていたので、私は床に両膝をつくと、片手を伸ばして聖獣の額に触れた。
聖獣は小さいながらも神々しい姿をしており、自分の役目を分かっているようで、動かずにじっとしている。
私がもう片方の手を反対側に伸ばすと、それを見た王が床に跪いたため、恐れ多いことだわと思いながら王の額に触れた。
なるほど。真ん中にいる私が、聖獣と王を繋いでいるのね。
そう考えながら、この儀式一番のハイライトである継承の言葉を口にする。
「アーサー・リリウム・ハイランダー。この名とともに、あなたに聖獣・不死鳥を継承します。―――『リリウム』」
私の言葉を聞いた王は、びくりと体を跳ねさせた。
それから、王は無言のまま俯いたので、もしかしてまたもや聞き取れなかったのかしらと心配になる。
私は王の耳元に口を近付けると、もう一度小声で囁いた。
「『リリウム』です! 白百合の家紋のお名前です」
王は激しく全身を震わせると、かすれた声を出した。
「ふふ、ふ……、聞こえた! 聞こえたよ」
はっとして王を見つめると、王はしっかりと顔を上げて私を見つめ返し、凛とした声を出した。
「……我、アーサー・リリウム・ハイランダーは、聖山の主である不死鳥『リリウム』と契約を結ぶ」
その瞬間、円状に敷き詰められた魔石が放つ炎が、ひときわ激しくなる。
それらの炎はまるで新たな契約者の誕生を祝福するかのように、部屋の中央にいる私たちに向かって一斉に飛んできた。
びっくりして目を丸くしていると、小さな聖獣が飛び上がって口を開け、その炎を食べ始める。
「まあ」
聖獣はあっという間に全ての炎を平らげると、満足した様子で王の肩に止まった。
王はそれらの全ての出来事を、目を見開いて見ていたけれど、すぐに震える手を伸ばすと、肩の上にいる聖獣に触れる。
聖獣は嫌がる様子も見せず、王のされるがままになっていた。
「聖獣が触れさせてくれた。……私は真実、聖獣の契約者となったのだ」
しんとした部屋に、感動したような王の声が響く。
気が付けば、魔石から吹き出ていた炎は全て消えていた。
―――儀式はつつがなく終了したのだ。







