232 悪役令嬢のモテ期 1
「皆様、ごきげんよう」
私は控えめな笑みを浮かべながら、通り過ぎる生徒たちに挨拶した。
そんな自分の姿に既視感があり、3か月前を思い出す。
「ああー、以前も同じことをやったわよね! あまり上手くいかなかったけど。でも、誰からも気に留められなくなるという『路傍の石作戦』を決行したのが、ほんの3か月前だなんて信じられないわ」
私が悪役令嬢に転生したと気付いてから、長い時間が経ったような気持ちになっていたけれど、まだわずか3か月しか経っていないなんて、時間の流れはどうなっているのかしら。
しかも、今の状況はあの時よりもさらに悪くなっている。
悪役令嬢だった過去を持っていることは同じだけれど、髪が短くなっているのだから。
周りにいる生徒たちが無言で見つめてくるのは、私に言いたいことがあるからだろう。
髪が燃えて短くなるという決断をしたのは私だから、その結果は甘んじて受け止めなければいけないわ、と非難の声を覚悟したけれど、どういうわけか思っていたようなことは起こらなかった。
生徒たちは皆、私に挨拶すると足早に去っていったからだ。
「一体どういうことかしら?」
理由が分からなかったため、理由を分かっている人に尋ねようと考える。
ゴシップ関連であればラウラが適任だわ、と考えた私は早速教室に向かったのだった。
私の髪を見たラウラはぎょっとした様子で目を見開いたものの、一言も発することなくさっと目を逸らした。
その態度が全くラウラらしくなかったため、一体どうしたのかしらと彼女に近付いていったけれど、目を合わせてもらえない。
仕方がないので、はっきり言葉にして尋ねてみることにした。
「ごきげんよう、ラウラ様。どうして目を逸らしたの? 言いたいことがある場合、何だって口にするのがラウラ様のいいところなのに」
ラウラは椅子に座ったまま顔を上げると、噛みつくような声を出す。
「世の中には言いたいことが言えない場合もあるのよ!」
「それはどんな場合かしら?」
重ねて尋ねると、ラウラは一瞬押し黙った後、不承不承と言った様子で言葉を続けた。
「……お、王太子殿下から直々に、『ルチアーナ嬢の外見について悪しざまに言うことは控えるように』と釘を刺された場合よ」
「えっ?」
待って、待って。一体それはどういう状況かしら。
「そ、それはどういうこと?」
動揺する私を見て、ラウラは信じられないとばかりに声を荒げた。
「どうしてあなたが知らないのよ! ルチアーナ様は長い期間、学園を休んでいたでしょう。そうしたら、あなたが人に言えないような病になったとか、とんでもない不祥事をしでかして侯爵邸で謹慎しているとか、様々な噂が飛び交ったのよ」
「ああ!」
いかにもあり得そうな話に、絶望のうめき声を上げる。
私の過去の行いの悪さは、こんな時に出るのだわ。
「そんな中、エルネスト殿下がホームルーム中に突然立ち上がったかと思ったら、ルチアーナ嬢についての話を始めたのよ。『学友として見舞いに行ったが、ルチアーナ嬢は体調を崩しているだけだった。その原因は我が白百合領に実習に来てもらった際、無理をさせ過ぎたことにあるから、噂話は控えるように。また、少しばかり外見に変化が見られたが、彼女には咎のない話だから、ルチアーナ嬢の外見について悪しざまに言うことも控えるように』とね」
「まあ」
実際に王太子は何度かダイアンサス侯爵邸に足を運んでくれたのだけど、その時の私は不思議な島に飛ばされていて侯爵邸にいなかった。
だから、彼と会うことはできなかった。
それなのに、王太子は私の体面が傷付かないような話を作って、皆に伝えてくれたらしい。
「『外見の変化』が何のことか分からなかったから、ルチアーナ様を見てものすごく驚いたわ! まさか侯爵令嬢ともあろう者が、髪を短くするなんて夢にも思わないじゃない! ……っと、この程度でも悪しざまに言ったことになるのかしら。まあ、つまり、色々と聞きたいことや言いたいことはあるのだけれど、殿下から直接釘を刺されたから何も言えないってことよ」
ラウラの態度を見る限り、王太子はよっぽど念入りに釘を刺したようだ。
どうやら彼は私を庇ってくれようとしているらしい。
「ちなみに、隣のクラスではラカーシュ様が、殿下の発言と同じ内容のことをクラスメイトに忠告したらしいわ。我が学園を代表する貴公子2人が、揃って特別発言をしたのよ。誰もが従うしかないじゃない。お2方が発言されたその日のうちに、発言内容が学園中に広まったから、ルチアーナ様について悪く言おうとする人は、もはや一人もいないと思うわよ」
さすが王太子とラカーシュだ。2人の持つ影響力の何たる大きさかしら、と驚いていると、突然、ラウラが顔を強張らせた。
どうしたのかしらと思ったところで、背後から声が響く。
「ルチアーナ嬢、久しぶりに学園で会えたね」
はっとして振り返ると、我が王国の大輪の白百合であるエルネスト王太子が立っていた。
「お、王太子殿下、お久しぶりです」
私の返事を聞いた王太子は、不満がある様子で口を噤む。
王太子のこの態度は、彼が「学園では久しぶりだね」と学園外で会っているかのような親密ぶりを見せたのに対し、私が「お久しぶりです」と曖昧な返事をしたからなのか、それとも、昨夜咎められた殿下呼びを再び行ったからなのか。
気にはなったものの、理由を追及してもいいことがないと分かっていたため、誤魔化そうとへらりと微笑む。
王太子は感情を飲み込むかのようにぐっと奥歯を噛み締めると、平坦な声を出した。
「ルチアーナ嬢、君に話がある。久しぶりの登校にもかかわらずこのような要望を出して申し訳ないが、都合がつくようであれば、放課後に生徒会室に来てもらえないか? その場にはラカーシュも同席させるから」
王太子が最後の一言を追加したことで、なぜだか昨夜の告白を思い出す。
昨夜のことがあったから、紳士である王太子はわざわざ2人きりにならないことを明示したのだと思われたからだ。
「はい、おうかがいします」
そう答えると、王太子は目に見えてほっとした表情を浮かべ、「では後ほど」と言って自分の席に戻っていった。
王太子が自分の席に座ったのを見届けると、私は大きくふーっと息を吐く。
久しぶりに登校したというのに、新たな攻略対象者であるカールと出会ったり、王太子と放課後に会う約束をしたりと、悪役令嬢も楽ではないわね、と思ったからだ。
私はもう一度ため息をつくと、この後のことを考えながら自分の席まで歩いていったのだった。
その日は一日中、教室の中でも、食堂でも、移動中の廊下でも、生徒たちの視線を感じていた。
より正確に言うと、私の髪に向けられる視線を。
けれど、私に直接話をしてくる者はおらず、さり気なさを装って覗き見てくる者ばかりだったため、王太子とラカーシュの影響力の強さを改めて思い知る。
ちなみに、さりげなく教室の中を見回して何度か確認したけれど、一度もカールの姿を見かけなかった。
そういえば、ここ数か月の間、教室でカールの姿を目にしていないことに遅ればせながら気が付く。
悪役令嬢ルチアーナの全盛期には、よく彼を見かけていたけれど、最近は授業にも出ていないようだ。
カールはクラスメイトであるものの、これまでは一切関わることがなかった。
だからといって、授業に出ていないことにも気付かないなんてあんまりよね。
カールの根は真面目なはずだから、授業に出ないことには何か理由があるのじゃないかしら。
そう考えると、私は顔をしかめた。
ああ、王太子に呼び出された理由が気になるけれど、同じくらいカールのことも気に掛かるわね。
悩み多き悪役令嬢である私は、そんな風にイケメン2人のことを考えて、その日を過ごしたのだった。







