229 悪役令嬢の悩み
王宮舞踏会の翌日、私は早朝からリリウム魔術学園の敷地内をあてもなく歩き回っていた。
というのも、今朝まだ暗いうちに、兄とともにこっそりとダイアンサス侯爵邸を抜け出し、学園に戻ってきていたからだ。
昨夜、王宮舞踏会から帰宅した途端、両親から「王太子殿下とはどうなっている」「ラカーシュ様とはどうなっている」「ジョシュア様とは」「ルイス様とは」「アレクシス様とは」と矢継ぎ早に質問されたことは記憶に新しい。
前世の記憶を取り戻して以降、両親とは何度も会っているから、新生ルチアーナに違和感を覚えられることはなかったものの、両親が知っている私の異性関係は恐ろしく悲惨だった。
攻略対象者に次々に声を掛けるも、全く相手にされなかった姿しか知らないのだから。
それなのに、昨夜は学園内の高位貴族に加えて、魔術師団長という一見何の接点もない高位貴族からも次々にダンスに誘われたのだから、一体何が起こっているのだと驚愕され、根掘り葉掘り聞かれるのは仕方がないことだろう。
ただし、そのおかげで当初心配していたような、お母様が私の短い髪に激怒して、侯爵邸や修道院に閉じ込められる可能性はなくなったようだ。
けれど、今度はその高位貴族たちが私ににこやかに対応し過ぎたせいで、お母様は大いなる野望を抱いたようで、将来につながる相手はいないのかと期待し始めてしまった。
お父様はさらに酷く、存在しない高位貴族たちの結婚願望を読み取って、「ルチアーナはまだ嫁に出さない!!」と大騒ぎを始めた。
2人のあまりの勢いに口を差しはさめないでいたところ、隣にいた兄がさり気なく助け舟を出してくれる。
「いやーあ、ルチアーナが可愛らしいため、皆メロメロになっているのでしょうが、将来だとか結婚だとかいう段階ではありませんよ。高嶺に美しい撫子が咲いていることに、やっと気付く者が現れたというだけです」
兄の言葉に2人は納得した様子を見せたけれど、その後、私が調子を合わせたのがいけなかった。
「お兄様の言う通りです! 私にもやっと、人生に1度しかないというモテ期が来たようですね」
そう発言した途端、なぜか母がびきびきと額に青筋を立てたのだから。
「ルチアーナ、あなたは一体何を言っているの! 類まれな外見と侯爵令嬢という高い身分を持ちながら、どうしてこれまで浮いた話が一つもなかったの! 16歳になってモテ期が訪れるなんて、遅いにもほどがあるわ! それに、通常であれば、モテ期は人生に3回訪れるものよ! 私の娘であれば30回は来るべきだわ! それなのに人生に1回しかないですって!?」
がみがみと続くお説教を黙って聞いていたというのに、母から解放されたのはそれから1時間も経ってからだった。
さらに、解放される際に、続きは明日だと言われたため、これ以上は耐えられないと、兄とともに一番鶏が鳴くよりも早く侯爵邸を抜け出してきたのだ。
まだ日が昇らない真っ暗な中、侯爵邸から脱出することに成功した私は、リリウム魔術学園へ向かう馬車の中で兄に笑顔を向けた。
「さすがですね、お兄様! こんなに朝早く起きられるなんて、『早起きサフィア』の名は健在ですね!!」
予定時刻を過ぎても眠り続けている私を、兄が起こしてくれたのだ。
「うむ、前も言ったが、それは明け方まで夜遊びをしている私を揶揄したあだ名であって、私が早起きできるということではない。そして、昨晩は外出せずに侯爵邸にいたものの、一睡もしていないのだから『早起き』とは言えないな」
「まあ、舞踏会の後に夜更かしですか? お兄様ったら、夜は眠るものですよ! いつまでもその美貌が、努力なしで保たれると考えてはいけませんわ」
「ふむ、気を付けよう」
そんな会話を交わした後、学園に到着した私は兄と別れ、いったんは寮の部屋に戻ったのだけれど、落ち着かない気持ちになったため、敷地内を散策することにしたのだ。
ざくざくと足元の土を踏みしめながら、私は「四季の庭」を春から順に歩いて回ることにした。
考えてみると、本日は1か月ぶりの登校となる。
実習に行った白百合領からそのままダイアンサス侯爵家に戻り、アレクシス海上魔術師団長たちと不思議な島に飛ばされ、王宮舞踏会に参加して……と学園外では活発に行動していたものの、その間、1度も登校しなかったのだから。
「いくら自由な校風と言っても休み過ぎよね。それに……」
私は思わず言葉に詰まると、ため息をついた。
それから、自分の頭に両手を持っていくと、肩までの長さになった髪を撫でる。
「この短くなった髪を見られたら、皆に色々と噂されるでしょうね」
昨日、王宮舞踏会に参加して短い髪をさらしたから、私が短髪になったという話は既に広まっているはずだ。
恐らく、皆はうずうずした気持ちで、私の髪を揶揄しようと待ち構えていることだろう。
悪役令嬢ルチアーナだった時間が長かったため、私はたくさんの恨みを買っているはずだから。
「高位貴族の令嬢ともあろう者が短髪だなんて!」
「何てみっともない!」
生徒の誰もが私を馬鹿にする言葉を口にしながら、蔑むように見下してくる光景が見えるようだ。
「昨日の王太子殿下やラカーシュ様、ジョシュア師団長、ルイス様、アレクシスは大らかだったけど、彼らの態度の方が例外中の例外なのよね」
全員が超高位者にもかかわらず、私の短くなった髪を気にする様子もなく受け入れてくれたけれど、彼らの態度の方が一般的でないのだ。
……とそう思考を飛ばしたところで、王太子の姿が頭の中に浮かんでくる。
私は思わず足を止めると、遠くに咲いている白百合の花に視線を移した。
『ルチアーナ・ダイアンサス侯爵令嬢、私、エルネスト・リリウム・ハイランダーは君が好きだ』
寝耳に水とは正にこのことだろう。
王太子から嫌われていた時期が長過ぎて、真逆の感情を向けられる日が来るなんて夢にも思わなかった。
王太子からかけられる言葉はこれまでずっと、嫌味交じりのものばかりだったはずなのに。
……いつからだろう。
王太子の言葉が、私を心配するものや労わるものに変わっていったのは。
私が困っていると自ら声を掛け、助けてくれるようになった。
私の意見を聞き、一緒に考え、驚いたり笑ったりしてくれるようになった。
いつの間にか、王太子の言動は私を気遣うものになっていたのに……それらは全て、友情から来るものだと私は勘違いしていたのだ。
昨夜の王太子の表情と声を見る限り、絶対に友情ではなかったのに。
「私はどうしてこう鈍いのかしら」
自分自身に呆れながらも、どうすればいいのか分からない。
王太子だけでなく、ラカーシュとジョシュア師団長からも告白を受けているのだから、私は何らかの行動を起こさなければならないのだろうか。
「他のご令嬢たちは、一体どんな風に恋愛を始めるのかしら?」
好きだと思った相手と付き合うのかしら。
それとも、好きかどうかを確認するために付き合うのかしら。
全く答えが分からなかったため、私はほうっと心からのため息をついたのだった。







