225 王太子逆攻略計画 2
『王家の恩人』。
何だかものすごい響きだわ。
そう思って頭がぐるぐるしている間に、王太子は私の手を取ると、再び椅子に座らせてくれた。
それから、先ほどまで座っていた向かい合わせの席ではなく、隣の席に座ると私の手を取る。
「父は非常に真面目な性格をしている。だから、聖獣を従えることができるような立派な人物になることを、人生の目標にしてきた。そのため、2度の儀式で聖獣の真名を聞き取れなかった時、父は自分に絶望したんだ。聖獣を従える資質が足りなかったとね」
「ですが、それは……」
「ああ、君の推測では、聖獣との長きにわたる契約が切れる時期に来ていただけとのことだったな。父にそんな発想は浮かばなかったから、自分の努力不足だと考えた。努力の度合いは見えないから、もっとできたのではないかという方向に思考したのだ」
国王が非常に真面目で思慮深い方だということは、国民の間に知れ渡っている。
だからこそ、誰もが国王を崇め、誇りに思っているのだけど……きっと国王はものすごく努力をしていたにもかかわらず、結果だけを見て、もっと努力できたはずだと結論付けたのだろう。
誠実な王らしいわ、と何とも言えない気持ちになっていると、王太子がとんでもないことを言い出した。
「父はそれだけでなく、そんな父の息子であるがために、私も儀式で真名を聞き取ることができなかったと考えて罪悪感を抱いていたのだ。だから、私が聖獣の真名を知り、契約を結ぶことができたと伝えた時、父は喜びの涙を流した」
「まあ、国王陛下が……」
王が涙を流す姿なんて見たことがないし、そんな話を聞いたこともない。
きっと王にとって、王太子が聖獣を従えたというのは、それほど嬉しいことだったのだと考えていると、王太子が私の考えを肯定してきた。
「聖獣と契約を結ぶことは王家の悲願だったから、成就することができたと感極まったのだ。父は君に感謝している」
王の気持ちは分かるような気がする。でも、国王に感謝されるのは、恐れ多すぎて居心地が悪いわね。
とんでもない状況に動揺していると、王太子が畳みかけてきた。
「君さえよければ、1度、父が……そして母も、君に会ってお礼を言いたいとのことだ」
この流れから推測すると、王妃も当然に、私が王太子と聖獣の契約を取り持ったことを知っているのだろう。
「いえ、そのお気持ちだけで十分です。私は当然のことをしたまでですから」
これ以上大袈裟になってはいけないと丁寧に辞退すると、王太子が困った表情を浮かべる。
「ルチアーナ嬢、それでは両親が納得しない」
「そ、そうですか……」
どうしよう。これ以上遠慮すると、不敬に当たるわよね。
私はごくりと唾を飲み込みながら、何とか話題を変えられないかしらと視線をあちこちにさまよわせた。
その時ふと、ダンスの際に王太子にした質問を思い出す。
『以前、「王としての即位は前王の死を契機として行われるわけではない。王が王太子に対して『継承の儀』を行い、聖獣の真名を引き継いだことが確認されると、速やかに代替わりをする」って言われていましたよね。そして、今は国王陛下が聖獣の真名を知らずに、王太子殿下だけが知っている状態ですよね。これはどういう状況なんでしょうか?』
あの時、私の質問を聞いた王太子は、まるで全身にビリリッと電気が走ったような表情を浮かべたのだ。
そのため、何か私の知らない深い事情があるのかしらと気になっていたのだけれど、彼はその場で説明せずに、後ほど話そうと言ってくれたのだった。
「王太子殿下、先ほどした質問を思い出したのですが、……もしかしたら国王陛下はエルネスト殿下に王位を譲ることを考えていませんか?」
「……っ!」
王太子は驚いた様子で目を見張った。
そのため、言葉で語られずとも、彼の表情から答えを知った気持ちになる。
王太子は片手で口元を拭うような仕草をすると、苦々しい声で肯定した。
「その通りだ」
先ほど、王太子は『後ほど時間を取ってもらえないだろうか』と言っていたから、元々、聖獣と王位継承について全てを説明するつもりだったのだろう。
けれど、彼の表情を見る限り、王太子は今すぐ王になることを望んでいないように思われる。
「それは本当に国王陛下と王太子殿下の望みなんですか?」
王太子はぐっと腹に力を入れると、硬い声を出した。
「この際、私たちの望みは重要ではない。我がリリウム家は聖獣を従えることができたため、国民に安心と安寧を与えることができると判断されて王位に就くことができたのだ。王にとって聖獣を従えることは必須事項だ」
自分に言い聞かせているような王太子の口調を聞いて、やっぱり王太子はすぐさま王位に就くことを望んでいないように思う。
それは王だって同じことで、まだまだ40代で気力・体力ともに揃っているため、国のためにできることはあるし、尽力したいと思っているのではないだろうか。
けれど、国王も王太子も真面目で、国のためになることを1番に考えるため、『聖獣を従えることが王の必須事項だ』というリリウム家のしきたりに従おうとしているのだろう。
そうであれば……。
「国王陛下がもう1度、聖獣の真名を引き継ぐ儀式を受けるわけにはいかないんですか?」
王太子はぐっと奥歯を噛み締めた。
「私も同じことを考えた。しかし、父が拒否したのだ。儀式を行って真名を引き継いだ場合、元の契約者は数日かけて聖獣の真名を忘れるのがルールだ。だから、儀式が上手くいけば、私は聖獣の真名を忘れるだろう。父はそのことを心配したのだ」
「えっ、そんなルールがあるんですね!」
それは初耳だったため、驚きで声が漏れる。
そんな私をちらりと見ると、王太子は苦悩する様子で説明を続けた。
「そうだ。それから、再び父が真名を聞き取れなかった場合、私までもが真名を忘れてしまったらどうにもならないと最悪の予測を立てた。あるいは、もしも全てが上手くいったとしても、数十年経って私が王位に就くべき時期が来た時、1度真名を忘れた経験を持つ私が、再び真名を聞き取ることができるのだろうかと父は心配したのだ」
さすが思慮深い王だ。あらゆる可能性を考慮して、慎重に行動しようとしている。
「素晴らしい思慮深さですね」
先ほど、国王は聖獣と契約することを人生の目標にしてきた、と王太子は言っていた。
そうであれば、何としてでも聖獣と契約したいと考えているはずなのに、国民と王太子が被るかもしれないリスクを鑑みて、自らの望みは抑え込み、安全策を取ろうとしているのだ。
そんな立派な王に対して何かできないかしら、と考えたところで、ふと一つの可能性に思い至る。
「でしたら、私が陛下に真名を引き継ぐのはどうでしょうか?」
「何だって?」
王太子は私が突拍子もないことを言い出した、とでもいうかのように驚愕した様子で聞き返してきた。
そんな王太子に向かって、私はおずおずと言葉を続ける。
「あの場に居合わせたので、私も聖獣の真名を知っているんです……」
「当然君は知っているさ。聖獣の真名を定めたのは君だからな!」
強い口調で返してくる王太子を前に、そうなるのかしらと眉を下げる。
「そ、そう言われたらそうですね。あの、失礼しました。あの時は無我夢中だったので、勝手に色々と進めてしまいましたが、相談もせずにリリウム家の名前を契約名として使用したことは申し訳なかったです」
今さらながら謝罪すると、王太子は荒げた声を上げた。
「なぜ謝罪するんだ! あれは素晴らしい決断だった。君が我が王家の名前で聖獣の真名を上書きしてくれたからこそ、私は聖獣とより強固に結びつくことができたのだから」
王太子の勢いに気おされた私は、しどろもどろに言葉を続ける。
「そ、そうですか。だったらいいのですが。ええと、それで……私は聖獣と契約しているわけではありませんので、真名を忘れても何の弊害もありません。ですから、私が国王陛下に真名を引き継ぐ儀式をするのはどうですか?」
私の提案は王太子にとって想定外だったようで、たっぷり10秒ほど黙った後、彼は全然違うことを言ってきた。
「……ルチアーナ嬢、君は聖山で私と聖獣の契約を取り持ってくれた。しかし、あの時、君が聖獣と契約することもできたのだ」
「えっ? ……そう言われたらそうかもしれませんね。気付きませんでした」
突然、王太子が話題を変えた意図は分からなかったけれど、素直に思ったことを返す。
あの時は王太子と聖獣の契約を結ぶことに夢中で、それ以外のことを考える余裕は一切なかったのだから。
「それは君に欲がないからだ。だからこそ、そういう発想すら浮かばないのだ」
「欲と言うか、さすがに殿下が聖獣と契約することを切望しているのを知っていて、それを邪魔しようとは思いませんよ」
あの場面で私が聖獣と契約したりしたら、私はとんでもない極悪人だ。
いくら悪役令嬢と言えど、そこまで酷いことはしないと首を横に振ると、王太子はくしゃりと顔を歪めた。
「私が聖獣と契約したいと切望していることを知っている者ほど、私の上に立つために自ら聖獣と契約しようと考えるはずだ。しかし、君は本当に美しいものしか見つめないのだな。だからこそ、私の代わりに聖獣と契約するという道が見えなかったのだろう。さらに今度は、自らが聖獣の真名を忘れるリスクを冒してまで、父に儀式を行うことを提案してくれるとは……」
王太子が感情を制御し切れない様子で言葉に詰まったため、いつだって冷静で理路整然としている王太子らしくないわねと思う。
それから、やっぱり王家にとって一番大事な聖獣に関することだから、色々と思いが溢れてくるのでしょうね、と彼が落ち着くのを待った。
王太子は深いため息をついた後、私を見つめてきたので、決して押しつけがましくならないようにと注意しながら、おずおずと確認する。
「あの、国王陛下がご不快に思われないようでしたら、ご意向を確認しておいてもらえますか?」
王太子は頷きながらもう一度確認してきた。
「ルチアーナ嬢、本当にいいのか? 父に伝えた時点で取り返しがつかなくなるぞ。そして、君にはリスクしかない」
「リスクといっても聖獣の真名を忘れるかもしれない、ということだけですよね。忘れたとしても何の問題もありません」
というか、よく考えたら、一貴族でしかない私が、王家の秘匿事項である聖獣の真名を知っていること自体が問題よね。
むしろ忘れ去ってしまう方が私のためじゃないかしら。
「私はいつだって、我が国のために尽力してくださる国王陛下を尊敬しています! だから、もしも私に少しでもご協力できることがあれば、何でもしたいんです」
王太子は黙って私の言葉を聞いていたけれど、ぐっと両手で握りこぶしを作ると、はっきりと頷いた。
「ありがとう、ルチアーナ嬢。父に必ず伝えると約束しよう」
王太子は嬉しそうな表情をしているわけではなかったけれど、なぜか彼が喜んでいるように思われたため、ふっと微笑む。
すると、王太子は信じられないものを見たとばかりに目を見開き、かすれた声を出した。
「ルチアーナ嬢、私が原因だからこのようなことを言うわけではないが、……短い髪の君はとても美しい。もちろん、髪が長い君も美しかった。いつだってまっすぐ顔を上げ、正しいものを見つめる君は、どのような髪形をしていようと誰よりも美しいよ」
突然の誉め言葉に、私は戸惑いを覚えたのだけれど、―――熱っぽい眼差しの王太子と目が合ったことで、なぜだか気恥ずかしさを覚えたのだった。







