223 王宮舞踏会 16
しばらく無言で踊っていたところ、アレクシス師団長が思い出したように口を開いた。
「両親が今夜の王宮舞踏会に所用で参加できないことを非常に残念がっていた。2人から、ぜひ君とサフィアに直接会って、お礼を言いたいと言付かってきたんだ。ご足労願って申し訳ないが、一度、我が家に招待してもいいかな?」
まあ、それは願ったり叶ったりだわ。
私にはカンナ侯爵家について色々とやるべきことがあるのだから。
「ええ、もちろんよ! もう少ししたら学園は冬休みに入るから、カンナ侯爵領に招待してもらおうかしら」
「え、領地まで来てくれるの? 滅茶苦茶嬉しいんだけど」
ぱっと顔を輝かせたアレクシス師団長を見て、うううと眉を下げる。
困ったわ。私は下心を持って発言しているから、純粋な喜びを示されると胸が痛むのだけど。
「ええっと、その、カンナ侯爵家に行きたいのは侯爵夫妻にお話しがあるというか、カンナ侯爵領で見たいものがあるというか……」
さり気なく、カンナ侯爵領に行きたいのは理由があるのだということを示してみると、アレクシス師団長が寂しげに微笑んだ。
「そうか、……そうだな。何か理由があるからこそ、侯爵領に来てくれるんだよな。だが、理由が何であれ、君が我が領地を訪問してくれるのはいい話だ。私はサフィアから、母の社交界での威光を利用して、短髪となった君の価値を上げてほしいと頼まれていたんだ。私はその望みを何としてでも叶えなければいけないと思っていたからいい機会だ」
アレクシス師団長は初対面の時からお兄様を気に入っていたようだけれど、今ではお兄様の弟子みたいになっていて、何でも言うことを聞くのよね。
アレクシス師団長は29歳で、19歳の兄より10歳も年上なのに、一体どうなっているのかしら。
「母は基本的に自領に客人を招待することはないから、君がカンナ侯爵領を訪問することで、母のお気に入りだと認識されるはずだ」
そう言うと、アレクシス師団長はきゅっと眉を下げた。
「ルチアーナ、君は本当に素晴らしい女性だから、髪の長さごときで評判を落としてほしくないんだ」
ああー、私はアレクシス師団長みたいな遊び人は大の苦手なのだけれど、どういうわけか彼だけは小さな子どもみたいに思えて大丈夫なのよね。
私に色恋を仕掛けてこないことが分かっているから、安心できるのかもしれないわ。
カンナ侯爵領を訪問する約束に頷いたところで、ちょうど音楽が終了した。
アレクシス師団長はそつのない態度で私をダンススペースの外まで誘導すると、胸に挿していた鮮やかなカンナの花を差し出してきた。
彼の髪色と同じオレンジ色と黄色が混じっている、とても美しい大輪の花を。
「ルチアーナ、カンナの花言葉は『情熱』や『熱い思い』だ。私の想いがこもったこの花を君に捧げる」
うーん、無害とは言っても、やっぱり遊び人だけのことはあるわね。
何でもない一言一言に深い意味が込められているかのように、意味深な雰囲気を演出するのが上手だもの。
そう考えた矢先に、アレクシス師団長が言い聞かせるような声を出した。
「ルチアーナ、私は生き方を変えると宣言した。だから、今後は意味なく軽々しい言葉を口にすることはないし、思わせぶりな視線を送ることもしない。深い意味が込められているように見えるとしたら、実際に私が深い意味を込めている時だけだ」
私は頷きながら返事をする。
「あるいは、私の乙女脳が何もないところにありもしないものを読み取ろうとした時でしょうね。ふふふ、綺麗な花だわ、ありがとう」
「……どういたしまして」
なぜだかアレクシス師団長はがっくりと落ち込んだ様子で肩を落とすと、私を兄のもとまで送り届けてくれた。
その際、師団長はきちんと兄にお伺いを立てる。
「サフィア、両親がぜひ君とルチアーナに直接会って、礼を言いたいと切望している。そのため、2人には我が家を訪問してもらいたい。もちろん王都にあるタウンハウスでもいいのだが、できるならばカンナ侯爵領を訪問してもらいたい」
兄が確認するかのように片方の眉を上げると、アレクシス師団長は分かっているとばかりに頷いた。
「もちろん、君とルチアーナの希望次第だ。ルチアーナにも話は通してあるから、相談して結果を伝えてくれ」
アレクシス師団長は片手を胸に当てると、わざとらしいほど丁寧な一礼をして去っていった。
その後ろ姿を見ながら、兄に希望を述べる。
「お兄様、今のお話ですけど、冬休みに入ったらカンナ侯爵領を訪問したいです」
兄にカンナの花を手渡しながらそう言うと、兄はしかつめらしい表情で頷いた。
「なるほど、自ら火の中に飛び込んでいこうというわけか」
「え、何ですって?」
「うむ、お前は鈍感なのに行動的という、最も手がかかるタイプだということだ。いや、側にいると退屈する暇がないと考えれば、楽しい資質なのかもしれないが、世話が焼けることは間違いない」
兄は重々しく締めくくった後、にやりと口元を歪めると、私に向かって片目を閉じた。
「お前がカンナ侯爵領を訪問したいというのならば、私は付いていくまでさ。冬休みならば時間はあるし、私はお前の世話をするのが好きだからな」
「まあ、お兄様ったら……」
言い返そうとしたところで、兄が私の後方にある何かに視線を固定した。
そのため、何に気を取られているのかしらと振り返ると、ユーリア様のお兄様方であるグレッグとジーンが近付いてくるのが見えた。
2人は兄に向かって頭を下げると、私に笑みを向ける。
「ルチアーナ嬢、王宮には珍しい白百合が咲く温室があるのだが、よければ案内するよ」
まあ、この2人は取ってつけたような笑みを浮かべているわ。
2人の自然体は今みたいな態度ではないはずだから、何かの役回りを仰せつかっていて、余所行きの表情をしているというところかしら。
そもそもこの2人は、王族警護が主業務の近衛騎士だ。
ということは、彼らが口にした「白百合」とは王家のことを指すのだろうか。
王太子と一緒にダンスをした際、後ほど話があると言っていたことだし、恐らく王太子が温室で私を待っているということではないだろうか?
「ルチアーナ、一人で花を鑑賞するのが寂しいのならば、私も一緒に行こうか?」
兄がさり気なく助け舟を出してくれる。
サフィアお兄様のことだから、間違いなく温室で私を待っている人物が誰であるかを分かっていて、そのうえで助けてくれようとしているのだろう。
けれど……グレッグとジーンが顔をしかめたので、兄が付いてくることは王太子の意向に反しているに違いない。
「ありがとうございます、お兄様。ですが、花を見るだけですから1人で大丈夫です。どんなに白百合が美しくても、決して触れたりうなずいたりしませんわ」
王太子が何を言ってきたとしても、その場で返事をしないと仄めかすと、兄は思案する様子で見つめてきた。
兄にとっては私に付いてくることの方が容易いものの、私のためにどちらがいいのかと考えているのだろう。
そのため、兄が私を一人で送り出せるようにと、微笑みながら見上げる。
「1人で大丈夫です、お兄様」
先ほど、エルネスト王太子は彼の主義を曲げてまで、私とダンスを踊ってくれたのだ。
そうであれば、私も彼の望み通り、1人で彼と相対すべきだろう。
「何かあったら私を呼びなさい」
「……はい、分かりました」
常識的に考えたら、兄は温室から離れた場所にいるのだから、私が大声で呼んだとしても兄に声が届くはずはない。
けれど、なぜだか私が呼んだら、兄は来てくれるような気がするから不思議だ。
グレッグとジーンに続いて数歩歩いたところで振り返ると、兄はこちらを見ていて、安心させるように微笑んだ。







