222 王宮舞踏会 15
私はもう十分踊ったわ。
そう考えて、休憩をしようと足を踏み出したところで、ぴたりと動きが止まった。
というのも、近付いてきた背の高い男性を見てびっくりし、硬直してしまったからだ。
そんな私の目の前まで歩いてきた人物を見上げると、私はぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「えっ、……アレクシス?」
私の視線の先にいたのは滅多にないような美貌を持つ長身の男性で、貴族のみが集まる会場にあっても、多くの視線を引き寄せる強烈なオーラを放っていた。
黄色とオレンジ色の神秘的な2色の髪の下からは翠玉色の瞳がきらきらと輝き、左目の下にある泣きぼくろが何とも言えない色気を醸し出している。
独特の存在感からも、その顔立ちからも、目の前に立っているのはカンナ侯爵家の嫡子で、海上魔術師団のアレクシス師団長で間違いないはずだ。
けれど、前回見た時とは異なり、腰まであった髪が肩までの長さにばっさりと切られていた。
アレクシス師団長は子どもの頃からずっと髪を伸ばしていたはずだ。
にもかかわらず、その髪をすっぱりと短くしたことにびっくりする。
「えっ、髪を短くしたの?」
気安い調子でアレクシス師団長に話しかけたところで、周りの貴族たちが驚いた様子で目を見張った。
そうだった。学生である私と海上魔術師団長であるアレクシスの接点はないはずだし、アレクシス師団長はすこぶる女性関係が派手なので、気安い友達であるかのように話しかけたりしたら、一体どういう関係なのかしらと興味を持たれてしまうのだった。
社交界の噂は恐ろしいスピードで貴族の間を駆け巡るから、声に出されることなく、胸の内であることないこと想像されることが1番恐ろしいのよ。気を付けないと。
と用心していたところ、はっきりと言葉にした質問が飛んできた。
「随分と仲がよさそうだこと。一体どういうご関係なのかしら?」
びくりとして顔を上げると、母が顔を引きつらせて立っていた―――なるほど、私に堂々と質問をしてきた相手は、見知らぬ他人ではなく実の母親だったのね。
「ええと、それはその……」
一言で説明するならば、アレクシス師団長はこの世界の基になった乙女ゲームに登場する攻略対象者の1人だ。
だから、当然のようにイケメンで、ハイスペックで、魅力的な男性だ。
けれど、もちろんそんな説明ができるはずもない。
だから、この世界における私との関係を説明すると、アレクシス師団長は学園を休んでいた期間に知り合った相手だ。
「社交界の華」と言われるカンナ侯爵夫人の影響力を借りて、私の短くなった髪の評判をいいものに変えたいと思い、夫人の息子であるアレクシス・カイ・カンナ海上魔術師団長に近付いたのだ。
とは言っても、相手は海上魔術師団長という雲の上の地位にいる相手だったため、同じく魔術師団長であるジョシュア師団長のコネを利用して、アレクシス師団長が主催する船上パーティーに参加したのだ。
そうしたら、アレクシス海上魔術師団長はもちろん、パーティーに参加していたサフィアお兄様、ジョシュア陸上魔術師団長とともに、『魔の★地帯』と呼ばれる未知の場所に飛ばされてしまった。
そして、その後1週間もの間、4人で一緒に過ごすことになってしまったのだけれど、……そのおかげで、互いに気安く話ができるほど仲良くなることができたのだ。
けれど、『魔の★地帯』自体が口外してはいけない秘密の場所だったし、『四星』もかかわる話だから、多くの人の前でオープンにできるものではないのだ。
そのため、一体何と説明したものかしら、と頭を悩ませていると、アレクシス師団長が片手を胸に当てて軽く頭を下げた。
「初めまして、ダイアンサス侯爵夫人。ずっとお会いして、お礼を言いたいと思っていました」
「お礼ですって?」
お礼を言われる心当たりが全くない母が、目を細めて聞き返す。
明らかに不信感を露わにしている母に対し、アレクシス師団長はどこまでもにこやかに微笑んだ。
「はい、我がカンナ侯爵家はルチアーナ嬢に救われたのです。大袈裟なことを言うとお思いかもしれませんが事実です。そのため、我が家の恩人であるルチアーナ嬢に、出来得る限り感謝の気持ちを示したいと思っております」
「まあ、そうなの? 私の娘が『社交界の華』と呼ばれるカンナ侯爵夫人のお役に立てたのだとしたら光栄なことだわ」
母がまんざらでもない顔をして、アレクシス師団長が差し出した手の上に手を乗せる。
すると、アレクシス師団長は流れるような仕草で、母の手に唇を落とした。
「私の気持ちをご理解いただきありがとうございます。今後、私はルチアーナ嬢を我が家の恩人として、家族の一員のように尊重していきたいと思います」
「まあ、それはうちのルチアーナが、『社交界の華』から娘のように扱われるということかしら。……いいわね」
母はうっとりした表情で呟いたけれど、お母様、私がカンナ侯爵夫人から娘のように扱われたら、お母様の役割がなくなりますよ、と心の中で助言する。
けれど、母が満足している様子だったので、下手なことは言うまいと口を噤んだ。
何かの皮算用をしてにまにましている母に向かって、アレクシス師団長がにこやかに微笑む。
「妹のように大切なルチアーナ嬢と、一曲踊ってもよろしいですか?」
「そうね、あなたはとかく噂がある人だけれど、家族のように扱うのであれば構わないわ。私の娘を光り輝かせてちょうだい!」
無理難題を押し付ける母に向かって、アレクシス師団長は魅力的な笑みを浮かべた。
「はい、出来得る限り尽力します」
まあ、安請け合いしちゃって。知らないわよ。
そう考える私の手を取ると、アレクシス師団長はにこやかに微笑んだ。
「侯爵夫人から許可をいただいた。君を輝かせる時間だ」
アレクシス師団長に手を取られてダンススペースまで進みながら、私はもう1度彼に尋ねる。
「アレクシス、どうして髪を切ったの?」
すると、アレクシス師団長は珍しく言葉に詰まった様子を見せた。
「うん……その、長い髪だとチャラチャラして見えるかと思ってね」
「まあ、長髪にそんな効果はないわよ。ジョシュア師団長も長髪だけど、ちっとも軽薄には見えないもの」
驚いて言い返すと、アレクシス師団長が苦笑する。
「それはジョシュア師団長が、外見から想像もできないほどの堅物だからだよ。あそこまで異性関係にストイックだと、それはもうどんな格好をしていても軽薄には見えないよね」
確かにそうね。というよりも、アレクシス師団長と同じくらい、女性関係が派手な方はなかなかいないでしょうね。
そう心の中で呟いていると、アレクシスがぐっと唇を引き結んだ。
「君が心の中で何を考えているか分かる気がするが、私には君の考えが誤りだと指摘することができない。指摘できないことがすごく辛い。だから、生き方を変えることにしたんだ。そのために、まずは外見から変えようと思って」
アレクシスはフロアの真ん中で立ち止まると、私の手を取ってポーズを構えた。
そのため、彼と見つめ合う形になる。
「カンナ侯爵領は海に面していて、海とともにある生活をしているのでしょう? そして、海とともに生きるカンナ侯爵家の者は、性別にかかわらず髪を伸ばすものだと聞いているわ」
実際、カンナ侯爵夫人はもちろん、侯爵も腰まで髪を伸ばしていたのだ。
だから、アレクシス師団長が勝手に髪を切って大丈夫なのかしらと心配になったのだけれど、彼は問題ないと首を横に振った。
「髪を切ったのは私の決意表明だ。一度、全てをリセットする必要があったんだ。君の言う通り、一族の慣習があるから、再び髪を伸ばす可能性は高いが……もう1度長い髪形になったとしても、2度と軽薄だと謗られないような生活を送ってみせる」
真剣な表情でとつとつと語るアレクシス師団長を前に、私は首を傾げる。
『空が青い』と言うのと同じくらい、『アレクシス師団長は女性関係が派手』というのは自明の理だったはずなのに、どうしちゃったのかしら。
「アレクシス、一体どうしちゃったの?」
「ルチアーナが軽薄な男性は嫌いだと言ったんじゃないか」
アレクシス師団長は口を尖らせると、まるでそれが全ての答えであるかのように言い放った。
ふうん、私のことを家族のように尊重してくれるらしいから、私の言葉にも真剣に取り合ってくれるということかしら。
そう考えている間に、新たな曲が始まったので、音楽に合わせて踊り出す。
アレクシス師団長は多くの女性と踊ってきただけあって、そのリードはとても踊りやすいものだった。
「さすがねアレクシス、とっても上手だわ」
心から褒めたというのに、彼は不満そうに唇を引き結ぶ。
「褒めたのに、どうしたの?」
「男心は複雑なんだよ。多分、私は『さすがだ』と言われたくなかったのだろうね。無理なことは分かっているが、私は君に降り積もったばかりの雪のように純真だと思われたいのさ。はあ、ジョシュア師団長になりたいと思う日が来るなんて思いもしなかったな」
項垂れるアレクシス師団長を見て、分かるわと大きく頷いた。
「分かるわ。ジョシュア師団長は異性の目から見ても素敵だから、同性の目から見ても素敵なんでしょうね」
「あっ、やっぱり君が褒めたから、彼になりたいとの発言は撤回するよ! 私の発言の意図はそういう意味じゃないから。私は……堅物と言われるような生活を送りたかったんだよ」
まあ、一体どういう風の吹き回しかしら。
「アレクシスは華やかな生活を楽しんでいたのじゃないの?」
私にはパリピな人々の生活や気持ちは分からないけれど、アレクシス師団長は正にそのタイプで、人生を謳歌していたように見えたけど……でも、そうだったわ、彼の本質は真面目だったのよね。
「華やかな生活は楽しいのだ、と自分に言い聞かせていただけで、それほど楽しめていたわけではないよ。正直に言うと、私には合わなかった。毎晩のように酒を飲んで、バカ騒ぎをして、……自分自身を消費していっただけだ。ルチアーナ、何一つ会話がないとしても、君と2人で本を読んで過ごす時間の方が100倍楽しいよ」
うん、分かるような気がするわ。
「アレクシスの本質は、きっと真面目なのよ。その証拠に、女性を目にしたからって、だれかれ構わず粉をかけるわけではないでしょう? 私はよく疎いと言われるけど、そんな私でも分かるくらい、アレクシスは女性としての私に興味がないし」
「………………それが、君の側にいられる唯一の方法だからだよ。君からそう見えるように、私はものすごく努力をしているんだ」
どうかしたのかしらと思うくらいの時間たっぷりと黙った後、アレクシス師団長はものすごく小さな声で返事をした。つもりなのだろうけど、声が小さ過ぎて聞こえない。
「え、何ですって?」
聞き返すと、アレクシス師団長は寂しそうな笑みを浮かべた。
「何でもない」
彼の表情はちっとも何でもないと思えるものではなかったため、気になって見つめていると、アレクシス師団長は言いたくない言葉を無理矢理口にするような表情を浮かべる。
それから、歯切れ悪く言葉を発した。
「そうだね、私が君に求めるのは妹のような関係だよ」
いつも読んでいただきありがとうございます!
お待ちいただきありがとうございました。
今日はあと1回更新する予定ですので、よろしくお願いします。







