22 フリティラリア公爵の誕生祭 13
私の言葉を聞いた瞬間、兄とラカーシュが驚いたように私を振り返った。
まあ、そうだろう。
今まで1度も風魔術なんて使ったことはなかったので、突然何を言い出すのだと驚いていることは予想できる。
けれど、私自身不思議なことに、風魔術が使えない可能性を全く考えもしなかった。
声に魔力を乗せた瞬間、私は風魔術を使うことができるのだと体全体で理解したのだ。
果たして、私の手のひらからは渦巻く風が発生し、落下していた魔物の体を浮遊させた。
その状態のまま、数メートルの距離を横に移動させる。
高い位置で魔物を放り出すと、空中を滑るように横移動して、異なるポイントに着地されるかもしれないと心配した私は、魔物の高度を下げ、わずか1メートル程の高さで―――それは、正に赤く濁った水面の真上だった―――魔術を解除した。
どぼんという音とともに水中に沈んだ蛇型の魔物は、慌てて水の上に這い上がろうとしたけれど、赤い水―――に見えるほど寄り集まった赤い小さな水中生物に、取りつかれ始める。
“シャシャ―――!!”
魔物は苦悶の声を上げたけれど、赤い生物たちは構うことなく、魔物の表面のそこここに張り付いていく。
そして、たちまち元の鱗部分が一切見えなくなるほど表面を覆われ尽くした2頭の魔物たちは、ゆっくりと水中に沈んでいった……
「『黒百合の森に現れし緑の蛇は、赤き湖にて永遠に眠る』……か」
魔物が間違いなく水中に沈んでいったのを見届けた私は、遅ればせながら腰が抜けてしまい、ずるずると地面に座り込んだ。
やはり、『王国古語』の教科書に載っていたのは、救済のヒントだったんだわ、と側にあった切り株に抱き着きながら思う。
『黒百合の森』とは、黒百合を紋章とするフリティラリア公爵家の森のことで。
『緑の蛇』とは、先ほどまで対峙していた蛇型の魔物のことで。
『赤き湖』とは、湖の中の赤色の部分だったのだわ。
まさか、赤色というのが水中生物だったということまでは、分からなかったけれど……
今さらながら両手がガクガクと震えてくる。
私は情けない思いでそんな両手を見つめていたけれど、視線を感じたので顔を上げる。
すると、信じられない者をみる目つきで私を見つめている兄とラカーシュがいた。
……ああ、私が風魔術を使用したので驚いているのね。
確かに16年間、火魔術一本鎗だった私が突然、風魔術を使用したら驚くわよね。
私だって、ルチアーナがなぜ火魔術を選択していたか分からないのだけど、資質があったのは風魔術だったって告白すべきよね。
……と、そこまで考えたところで、突然、頭の中に答えが浮かんだ。
なぜ、ルチアーナが火魔術を使用していたかの答えが。
けれど、それはあんまりにもあんまりな答えだったので、信じたくなくて思わず両手で口を塞ぐ。
……まさか、まさか、まさか、まさか。
いや、でも、本当に。嘘だと思いたいけれど。でも、きっと。そんな。
……エルネスト王太子の属性は火だ。
ルチアーナは憧れの王太子と同じ属性を身に付けたかった、ただそれだけで火魔術を選択していたのだ。
「ルチアーナ―――!!!」
私は思わず、自分の名前を空に向かって叫んだ。
魔術属性の選択というのは、多くの人にとって、人生を掛けると言ってもいい選択のはずだ。
そんな選択において、『あこがれの人とお揃いの魔術になりたかったから』って……
本当に、行動の全てがピンク色に塗りつぶされていて、自分自身だけど引くわ!!
情けない思いのまま、両手で顔を押さえて俯いていると、ラカーシュの途切れ途切れの声が降ってきた。
「ダイアンサス……今の、君の……あれは、魔術ではない。……まさか、……まさかとは思うが……」
ラカーシュらしからぬはっきりしない物言いを不思議に思って顔を上げ、顔全体を覆っていた両手を少しだけ下にずらして覗き見ると、彼は片手で自分の胸元を握りしめ、何とも言い難い表情で私を見つめていた。
何とも言い難い表情―――あえて表現するならば、空想上の生物を思いがけず発見した、とでも言うような顔つきだろうか。
はああ、まあそうですね。
攻略対象者であるこの国(や一部近隣諸国)の上級貴族・王族・上職位者の全てから嫌われる悪役令嬢ですよ。こんなレアもの、滅多にいませんよねー。
そう思って頷いていたけれど、どうもラカーシュの様子がおかしい。
というか、ラカーシュの隣に立っている常に陽気な兄が、魔物を倒して命が助かったという饒舌にならずにはいられないような状況で、押し黙っているということ自体もおかしい。
な、何かしら……
身構える私に向かって、ラカーシュは尋ねるように……心の底から知りたいことを尋ねるかのように、質問してきた。
「ダイアンサス、君は……『ユグドラシルの魔法使い』なのか……?」
「へっ?」
けれど、質問をされたであろう私には、質問の意味すら分からなかった。







