216 王宮舞踏会 9
『お久しぶりですね』というのは変だし、『先日は失礼しました』と言って聖山のことを思い出させるのもよくないわよね……。
第一声を何としたものかしらと考えていると、ラカーシュは固い表情のまま一歩踏み出してきた。
そのまま数歩進んで私の前で立ち止まると、片手を胸にあててとても綺麗な礼を取る。
「ラカーシュ・フリティラリアです。ルチアーナ・ダイアンサス侯爵令嬢、私と踊ってもらえませんか?」
「えっ?」
彼が誰かだなんて、名乗られなくても分かっている。
それはもちろん、ラカーシュ本人も知っているはずだ。
ということは、ラカーシュは私にではなく、周りにいる貴族たちに聞かせるためにわざわざ名前を名乗ったのだろう。
「まあ、何てことかしら」
王太子と同じように、ラカーシュも自らに高値を付けて、売りに出そうとしているのだ。
恐らく、そのようなやり方はラカーシュが1番嫌いな方法だろうに……。
ラカーシュを見つめると、彼はまっすぐ私を見つめ返してくれた。
黒ダイヤのような瞳がきらきらと輝いて、真剣に私を見つめている。
その眼差しが以前とは異なっているように思われ、私はふと初めて会った時のことを思い出した。
あの時、ラカーシュからは敵意の眼差しを向けられたのだったわ。
それなのに、いつの間にか彼は私を受け入れ、今では優しい眼差しで見つめてくれる。
ラカーシュは多くの者を懐に入れるタイプではないはずだ。
だからこそ、受け入れてもらったことが特別なことのように思われて嬉しくなる。
私はまっすぐ手を伸ばすと、差し出された手に自分のそれを重ねた。
その瞬間、ラカーシュの手がびくりと震えたので、びっくりして彼を見つめる。
よく見ると、彼の瞳の奥が動揺したように揺れたのが分かった。
まあ、ラカーシュは私が彼の手をとらないかもしれないと思っていたのかしら。
手袋越しでも分かるほど彼の手が冷えているので、緊張もしているのかもしれない。
それなのに、表情からは全く読み取れないのだから、さすがは彫像様だわ。
ラカーシュが周りの貴族たちに見せつけるように、私の手を少しだけ高く掲げると、どよめきが起こった。
「そんなまさか……いつだって妹君としか踊られないラカーシュ殿がダイアンサス侯爵家のご令嬢をダンスに誘ったぞ!」
「王太子殿下に続いて、どうなっているんだ?」
「いやあああ、嘘だと言って、ラカーシュ様!!」
騒めく貴族たちの真ん中で、いつの間にか近寄ってきていたお母様が、感極まった様子でハンカチを握りしめている。
「分かっていた、分かっていたわ! あの子はいつか、大勢の男性を虜にするような傾国の美女に育つって。あああああ、だけど、王太子殿下に筆頭公爵家のご嫡子だなんて、傾国に育ち過ぎたわ……」
漏れ聞こえてくるお母様の妄想が酷い。
少なくとも王太子との間にあるのは友情なのに、存在しない恋情を勝手に読み取られている。
お母様らしいわねと思っていると、ラカーシュが私の手を取って歩きながら、気遣うように小声で話しかけてきた。
「ルチアーナ嬢、……久しぶりだな。元気そうでよかった」
私が学園を休んでいる間、ラカーシュは何度も私を訪ねてきてくれたと聞いた。
聖山で別れた時の私はともかく、兄は友好的とは言えなかったので、気にしてくれていたのだろう。
そんなラカーシュの心情に思い至ることなく、今日まで1度も連絡をしなかった私は思いやりに欠けていたわと反省する。
「ラカーシュ様、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。学園を休んでいた間は、気分転換を兼ねて兄と……旅行に行っていたんです。その間に我が邸を訪問いただいたと聞きました。応対できずに申し訳ありません」
心配してくれた相手に対して、遊んでいたと告白するのはどうなのかしらと思ったけれど、嘘をつくわけにもいかないので正直に答える。
ただし、実際に私が行っていたのは前人未踏の島だし、私の希望などお構いなしに勝手に飛ばされたので、旅行という言葉は当てはまらないだろう。
けれど、正確に表現するとややこしくなりそうなので、マイルドな言葉に置き換える。
私の言葉を聞いたラカーシュは、考える様子で返事をした。
「そうか……気分転換ができたのならばよいのだが」
その言葉とともに、ラカーシュが気遣わし気に見つめてきたため、心から私のことを考えてくれているのだわと胸の中がほっこりした。
彼のように高い地位にあり、かつ忙しい人物であれば、何度訪問しても私に会えなかった理由がバカンスだったと分かれば、怒り出すのが普通だろう。
けれど、ラカーシュは怒ることなく、私が気分転換できていればいい、と思いやってくれたのだ。
「ラカーシュ様はすごく優しいんですね」
心に思ったことをそのまま口にすると、ラカーシュは困ったような表情を浮かべた。
「そんな話ではない。当然のことだ」
そう言いながら私の髪にちらりと視線を走らせたラカーシュを見て、王太子と同じように、彼も未だに私の短くなった髪に罪悪感を覚えていることに気付く。
それなのに、ラカーシュは私に謝罪をして自分の気持ちを軽くしようとせず、全てを一人で呑み込もうとしているのだ。
「まあ」
小さくつぶやくと、ラカーシュは尋ねるように見つめてきたものの、声に出して聞いてくることはなかった。
王太子のファーストダンスが終わったため、既に多くの者が踊り出していたけれど、ラカーシュが歩を進めると、誰もが彼と私を避けるかのように場所を空けていく。
そのため、彼が立ち止まった場所には、ぽっかりと広い空間ができていた。
「これは筆頭公爵スペースとでもいうものかしら」
自分でもよく分からない言葉をつぶやいたけれど、ラカーシュは私の言葉を拾い上げることなく無言で見つめてきた。
それは普段のラカーシュらしからぬ態度だったため、疲れているのか、何か気に掛かることがあるのかしらと心配になる。
気遣わし気に見つめたところ、ラカーシュは困ったように眉を下げた。
「ルチアーナ嬢、君は本当にお人よしだね。君の人柄は分かっているのに……都合よく、私だから心配してくれるのだろうかと考えてしまいそうになるよ」
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