21 フリティラリア公爵の誕生祭 12
遠目から見ても、セリアの表情は恐怖で引きつっていた。
血筋からいくと、セリアは優秀な魔術の使い手のはずなのだけれど、恐怖からなのか一切の魔術を行使できないでいるように見えた。
そして、魔物にも感情があるのか、セリアが恐れおののく姿を見て楽しんでいるように見える。
そんな妹が嬲られていると言えなくもない状況において、ラカーシュは冷静だった。
両手の指を複雑に組み合わせると、印を結ぶ。
それは、魔力を最後まで使い切る時に、魔術師が行う動作だった。
「魔力放出_火魔術」
ラカーシュが唱えた瞬間、世界の門が開く。
―――そして、ラカーシュは世界とつながるのだ。
「 <威の7> 焱災旋風!!」
それは、激しい炎を伴うつむじ風だった。
ごうごうという激しい風の音とともに、上空の一面が全てオレンジ色に染まる。
オレンジの色は熱を持っていて、炎の態を成していた。
ぱらぱらと火の粉をまき散らしながら、炎の突風が2頭の魔物を襲う。
突然の熱波に驚いた魔物は、次の瞬間、上昇気流によって体を持ち上げられていた。
“シャ―――!!”
足場が不安定な上空に巻き上げられた2頭の魔物は、長い舌を出すと威嚇音を出し始めた。
ラカーシュは両手を構えたまま、術を継続する。
一方の兄は同じく両手を組み合わせて印を結ぶと、声を上げた。
「魔力放出_水魔術」
―――その瞬間、兄のためにも世界の門が開く。
兄は世界と接続され、その膨大な魔力量に呼応して、湖の表面に自然とさざ波が発生した。
「 <威の9> 㵘脈流転!!」
「げふっ!」
薄々兄も上級魔術が使えるのではないかと思ってはいたけれど、実際に目の前で行使されると、驚きのあまりむせ込んでしまう。
兄が魔術を発動すると同時に、青い湖の一部―――赤く濁っていた部分のみの水が波立ち、回転を始める。
そして、渦を巻きながら、少しずつこちら側に近付いてきた。
「すごい……」
思わず私の口から、ぽつりと言葉が零れ落ちた。
上級魔術を行使できること自体が称賛に値することだけれど、兄といい、ラカーシュといい、このコントロールの良さは何なのだろう。
特に兄の術を見ると、赤く濁った部分のみが移動してくるので、その精度の良さがよくわかる。
私は両手を握りしめると、ラカーシュの魔術と兄の魔術が上手く一致して、2頭の魔物が赤い水の中に落ちることを祈った。
けれど、祈りというのは必ずしも叶えられるとは限らず。
赤く濁った部分まで、ほんのあと数メートルというところになって、炎の熱さにのたうち回っていた魔物が突然鎌首を上げた―――まるで、野生動物が死期を悟った時のように。
魔物特有の生命維持に関する直感が働いたのか、単頭緑蛇は2頭ともに体を真っすぐに伸ばすと、まるでドリルのように体を回転させ始めた。
それから、ラカーシュが作り出した風と炎の壁を突き破るかのように突っ込んでいく。
「く……!」
ラカーシュが破られまいと魔力をコントロールするけれど、元々この技は、壁としての機能が目的のものではなく……
「あっ!」
空を見上げていた私の口から、思わず声が零れ落ちた。
視界の先で、ぽとり、ぽとりと2頭の魔物がラカーシュの作った炎の中から逃げ出し、空中に落ちていくのが見えたからだ。
「む……」
兄が思わず声を上げる。
なぜなら、兄が必死で移動させていたにもかかわらず、赤く濁った水は、予想される魔物の落下位置から数メートルずれていたのだから。
このままでは、水中に落下した魔物はそのまま水の上を泳いで、すぐに岸へたどり着くだろう。
「セリア、城まで走れ!」
この後の事態を予測したラカーシュが、大声で叫んだ。
「ダイアンサス、君もだ!!」
……ああ、ラカーシュは当たり前のようにセリアと私を逃がそうとするけれど。
けれど、自分はここに踏みとどまって、何とか魔物を足止めしようとするのだろう。
そして、兄も何も言わないけれど、ラカーシュの言葉を聞いても微動だにしないということは、初めからラカーシュとともにこの場を守る気でいたのだろう。
……本当に、素敵な紳士たちだわ。
深窓のご令嬢としては、紳士の顔を立てて、一目散に逃げ出すべきなのだろうけれど。
けれど、ここで逃げ出すようでは、悪役令嬢の名折れだわ。
私は腕を伸ばすと、落ちてくる魔物に向かって両手の平を向けた。
さわりと、湖から吹く風が私の髪を巻き上げる。
……前世の記憶を取り戻してからずっと、不思議に思っていることがあった。
『どうして、ルチアーナは火魔術を使うのかしら?』
兄が言っていたように、魔術の系統は血に拠る。
火魔術の血統は火魔術に優れ、水魔術の血統は水魔術に優れる。
―――火魔術と水魔術の行使方法は全く違う。
そして、1つの属性を極めるためには、恐ろしいほどの時間がかかる。高みを目指せば目指すほどに。
だから、ごく稀に、複数の属性に適性を持つ魔術師もいるけれど、効率的ではないため、1つの属性のみを極めようとする。
魔術師の正しい姿は、それなりに行使できる複数の属性を持つことではなく、強力な1属性を極めることなのだ。
そして、たった1つの属性しか選べないため、選択の際には誰もが自分の血統に合ったものを選ぶ。
火魔術の血統は火魔術を、水魔術の血統は水魔術を。
上級貴族の多くは、属性の力を強めるために、同じ属性の者同士で婚姻を結ぶほどだ。
そして、我がダイアンサス家が受け継いできた属性は水、もしくは風だ。
基本属性は水なのだけれど、水と相性の良い風属性の血を時々に織り込んでいくことで、水属性を強化してきた。そのため、稀に血統の中から風属性に優れた魔術師も生まれるのだけれど。
けれど、火の血統は我が侯爵家には一切ないものだ。
―――私の髪を風が巻き上げる。
まるで、おもねるかのように風が吹く。あるいは、従うかのように。心地よい風が……
……ああ、私に適した属性は、間違いなく風だ。
不思議なことに、少し目を凝らすと、この場に存在する全ての風の濃度と速度、流れる方向が視えてくる。
ただ、今まで1度も風魔術なんて使用したことがないから、使用したとして、どれだけの威力があるかなんて不明だけれど。
けれど、私は腹を括ると、真っすぐに落ちてくる魔物を見つめながら声を上げた。
「風魔術_風花!」







