208 王宮舞踏会 1
夜闇の中、壮麗な姿の王宮がたくさんの明かりに照らされてきらきらと輝く様は、離れた場所から見ても幻想的だった。
「まあ、何て綺麗なのかしら!」
デビュタントの際に王宮舞踏会に出席したことを皮切りに、ルチアーナは機会があるごとに王宮を訪れていた。
けれど、前世の記憶を取り戻して以降は王宮から遠ざかっていたため、華やかな王宮に関する全てが物珍しくて仕方がない。
私はまるで幼子のように馬車の窓にぴたりと額を付けると、はしゃいだ声を上げた。
その様子を兄が面白そうに見つめている。
「まるで子供のような言動だが、今夜ばかりは子どもに見えないな」
それはそうだろう。
今夜の私は、兄から贈られた見たこともないほど繊細で美しいドレスを身に着けているのだから。
前世の記憶が戻ってすぐの頃、恐ろしく悪趣味な兄の夜着とお揃いの夜着を贈られたことがあった。
その際に、兄から夜着の趣味の悪さについて太鼓判を押されたのだ。
「これは驚くほどの優れモノなのだ。着用すると着太りして見える上に、スタイルだって貧相に見えるのだからな。100年の恋も冷める、最高の逸品だ」
兄の言葉を聞いた私は、『そうだとしたら、攻略対象者避けになる素晴らしいアイテムね!』と喜んでいたけれど、趣味の悪い夜着をもらってにこにこと笑っている私の姿は、兄の目に哀れに映ったらしい。
その結果、兄は悪ふざけが過ぎたと思ったらしく、お詫びに美しいドレスを贈ることを約束してくれた。
「お前の寝室に辿り着いた者には、その夜着で審査するとしても、貴族令嬢としてまずは男性を引き付ける必要があるな。……それについては協力しよう。次の夜会用に、会場で1番美しいドレスをお前に贈ろう」
そして、実際に兄から贈られたドレスは、たとえ王宮主催の夜会であっても、このドレス以上に美しいものにはお目にかかれないだろうというほどに素晴らしかった。
なぜなら素材から違ったのだ。
遠い異国の地で作られるというシルクに似ていたけれど、光を受けると布自体が発光しているかのようにキラキラと光る、これまで見たこともない美しい布が使用されていたのだから。
それから、ドレスの色も独創的で、まるで虹の半分のような色合いをしていた。
上半身は純白で、未婚の女性らしい慎ましさを表しているのだけど、腰のあたりでは薄い水色になり、青、青紫とグラデーションがかかっていって、裾では濃い紫色になるのだから。
その布地をレースやリボンで華やかに飾り立てた結果、私が動くたびに光が零れているかのような、垂涎の一品が出来上がった。
そんなとっておきのドレスを本日の私は着用しているのだけど、肝心の髪は編みもせずにそのまま下ろしていた。
この髪型では、誰もが私の髪の短さを認識できるため、侍女たちは難色を示したものの、短い髪は私の決断の結果だから隠さなくていいと伝えたのだ。
なぜなら聖獣は立派に再生し、エルネスト王太子と契約を結ぶことができたのだから、私は自分の髪が短くなったことを誇るべきだと考えたからだ。
そもそも長期間、短い髪を隠し続けることは至難の業なので、王宮舞踏会という多くの貴族が集まる場所で一気にカミングアウトして、皆に私の短い髪を事実として受け入れてもらうことは悪くないように思われる。
そこまでやってしまったら、もはや隠し通すことはできないため、お母様は諦めて私を軟禁しないような気がするからだ。
「ただし、今夜ばかりは一晩中、白い目で見られるだろうし、ひそひそと陰口を叩かれたりするでしょうね。それくらいは、今夜限りのことだと思って我慢するしかないわね!」
思わずそうつぶやいたものの、私としては前向きな気持ちを声に出したつもりだった。
けれど、私の髪をセットしていた侍女たちからは、ギラリとした目で睨まれる。
そのため、私は慌てて前言を撤回した。
「あっ、い、いえ、言い間違えたわ! こんなに素敵な髪型をしているから、褒めそやされるかもしれないわね、と言いたかったのよ! その心づもりをしておかないといけないわね、とも」
私は侯爵家の令嬢なので、肩につかないほどの短い髪ですらよく見せようと、侍女たちが奮闘してくれていたのだ。
それなのに、初めから髪型を貶される気持ちで発言したことは、侍女たちに対して失礼だったわ。
もしかしたら会場内に1人くらいは、私の髪型をいいねと思ってくれる人がいるかもしれないのだから。
そう考えながら改めて鏡越しに自分の髪を見つめると、侍女たちが丁寧にブラッシングしてくれたおかげで、つやつやと艶が出ていた。
その髪に大ぶりの宝石を使ったサークレットをはめ、さらにそのサークレットから小さな宝石をつないだ鎖を何本も垂れ下げたことで、まるで髪全体に宝石が埋め込まれているような煌びやかな装いとなっている。
「まあ、見たこともない装飾だけど、流れる滝のように美しいわね! ドレスも素晴らしいし、この装いならば実際に、私の髪型をいいと思ってくれる人もいるんじゃないかしら」
思わずそう呟いた時、エスコート役の兄が私の部屋に現れた。
そのため、私は何気なく視線を上げたのだけれど、次の瞬間、驚いて目を見張る。
なぜなら今夜の兄は、これでもかと美麗な格好をしていたからだ。
公的な場に出る時はいつだって、どこにも売っていないようなぎらぎらとした個性的な服を着ていたはずなのに、王宮舞踏会という国で一番の人の目が集まる場所に出席する今夜、誰もが夢見るような貴公子そのものの格好をしているのだ。
これまで兄がセンスのいい服を着るのは、侯爵邸の中だけに限られていたけれど、どうやら邸外でもその姿を解禁するつもりらしい。
それだけではなく、今夜の服装は王宮舞踏会仕様のようで、普段にない豪華さが加わっており、金糸銀糸でふんだんに刺繍がされた艶やかに輝く服を兄は着用していた。
さらに驚くべきことに、差し色には私のドレスと同じ色を使用している。
夫婦や婚約者が衣装の色を合わせるのは見たことがあるけれど、兄妹というのはどんな夜会でも見たことがなかった。
そのため、この色合わせはありなのかしら、と首を傾げたけれど、妹と衣装をお揃いにする兄というのは、今現在恋人がいないということを自ら証明しているようなものなので、兄に見惚れるご令嬢方は喜ぶだろう。
さらに、兄が家族思いであることも読み取れるので、兄自身のポイントがさらに上がる行為ではないだろうか。
聖獣の炎に焼かれ、少し短くなった前髪も、兄の爽やかさを増す効果を出していることだし、今夜の兄はセンセーションを巻き起こすこと間違いないはずだ。
「兄妹でお揃いの服装というのは、斬新でいいですね! お兄様がフリーであることも分かるし、今夜は大勢のご令嬢たちがお兄様の前に大挙するでしょうね」
兄を見上げながら興奮した口調でそう言うと、兄は面白そうに目を細めた。
「やあ、そちら側に思考するか。逆に考えれば、お前に特定の相手がいないことも分かるから、お前にこそ大勢の貴公子たちが大挙するのではないか?」
それはないでしょうね。この短い髪型を考えれば、1人でも来てくれればありがたいくらいだわ。
などと思ったままのことを口にできるはずもなく、私は兄の服装に話を移す。
「それよりもお兄様、今日の格好は一体どういうつもりですか? お兄様はいつだって、公的な場には趣味が悪い服で参加していましたから、このようにただただセンスがいい格好で夜会に出席するのは初めてですよね。今夜の夜会にどれだけの方が参加するのか知りませんが、間違いなく五本の指に入るイケメンになると思いますよ!」
心に浮かぶままに褒めたというのに、兄は当てが外れたような顔をした。
「やあ、これはまた手強いな。私はお前のために必死に着飾ったというのに、他4名と並ぶ程度でしかなかったか」
「えっ、ご、五本の指ですよ? すごいことですよね!」
貴族は整った顔立ちの相手と結婚する傾向にあるので、生まれた子どもの顔も当然のように整っている。
そのため、貴族が集まる夜会はものすごい美形率になり、その中での5本の指というのはとんでもないことだと思うのだけれど、兄にとっては不十分な誉め言葉だったようだ。
困った気持ちになって、次なる言葉を探していると、兄がにやりと唇の端を上げた。
「いずれにせよ、今夜の私はお前の装飾品の1つに過ぎない。他にも並ぶものがある程度でしかないことは反省するが、想像以上にお前が美しいのだから、このくらいで十分かもしれないな」
「いっ、いえ! そ、装飾品って……私がう、美しいって……」
突然、兄は何を言い出したのかしら、と言い返そうとしたけれど、動揺し過ぎて言葉が途切れ途切れとなってしまう。
すると、兄は自分の顎に手を添え、評するかのように私を見つめてきた。
「少なくとも私は、今夜の夜会で1番美しい女性はお前だと思うぞ。ルチアーナ、お前の紫の髪に触れたいと望み、その琥珀色の瞳に映されたいと願う男性が大挙することは、想像に難くない。花々はどれも綺麗で、それぞれの美点を持っているから比べられるはずもないと言うが、私にとって1番美しいのはお前だ」
「えっ、そそそうですか! あっ、ありがとうございます!!」
兄の質が悪いところは、大半の場面ではふざけているのに、肝心な場面では正直な思いを口にすることだ。
今だって、本気で私を美しいと思っているような目で見つめてくるのだから、変に顔が熱を持ってしまう。
―――と、あの時の私は両手を頬に当て、困ったようにただただ兄を見つめていたのだったわ……と侯爵邸での場面を思い出していると、かたりと音がして馬車が止まった。
どうやら会場に到着したようだ。
馬車の扉が開かれると兄が先に降り、完璧な紳士の仕草でもって、私に片手を差し出してくる。
「どうぞ、私のお姫様」
そう口にした兄の全身が、会場の灯りに照らし出されてキラキラと輝いていた。
頭のてっぺんから足の先まで麗しい兄の姿を目にした私は、ごくりと唾を呑み込む。
いや、私はお姫様ではありませんよ。そうではなくお兄様が……。
麗しい外見といい、流れるような紳士的な仕草といい、息をするように繰り出される甘い言葉といい……どこを取っても間違いなく、兄自身が王子様ではないだろうか。







