207 ダイアンサス侯爵邸でのお籠り生活再び、と思いきや……
兄の悪い顔を目にし、逃げ出したい気持ちになった日から20日後―――私は再びダイアンサス侯爵邸の応接室にいた。
そして、前回以上に疲れ果てた状態で、だらしなくソファにもたれかかっていた。
なぜならあの日、兄が思いついた企みは、私の悪い予想の3倍はとんでもないものだったからだ。
そのため、全く無関係なことに、私はジョシュア師団長のお見合いの席に連れていかれたのだ―――悪役令嬢として、師団長と別の女性とのお見合いを邪魔するために。
それは一体どんな状況かしら!? と思ったけれど、兄の企みはそれだけでは終わらなかった。
さらに海上魔術師団のパーティーに参加することになったのだけど、そこの師団長がびっくりするほどチャラいイケメンで……。
「あああ、何度思い返してみても大変だったわ! ああいうのをきっと、怒涛の日々と言うのよ。というか、私はよく頑張ったんじゃないかしら。ええ、よく生き延びたものだわ!!」
そもそも元喪女でイケメン耐性が低い私が、キラキラしいイケメンに囲まれて過ごすこと自体が間違っていたのだ。
ゴリゴリと体力と精神力を削られることが、分かり切っていたのに。
「けれど、そんな日々もおしまいよ! 私はダイアンサス侯爵邸に帰ってきたわ!!」
ぐったりとソファの上に体を投げ出しながら、私はぶつぶつと独り言ちる。
「元より私は勘違いをしていたのよ。お兄様が『しばらくの間、ルチアーナには学園を休ませる』と王太子に宣言したのは、私を侯爵邸でゆっくりさせるためだと考えていたんだから! 実際にはまさか、学園外で特別な企みを実行するためのお休みだったなんて!!」
驚くべきことに、私が1か月近くも学園を休んだ目的は、火傷した体を癒したり、髪が短くなったショックから立ち直ったりするためじゃなかったのだ。
(※注:火傷は聖獣に治癒してもらったので、最初から完治しています。また、ルチアーナは髪が短くなったことについて、大きなショックを受けていません)
「でも、誰だって考えもしないわよね! まさか私に学園を休ませた理由が、私に高い価値を与えるためだったなんて!!」
結局のところ、お兄様はお兄様だった。
だからこそ、短い髪でも私には男性を引き付ける魅力があるのだと証明してくれたのだ。
「ありがとう、お兄様。いつだって私のことを考えてくださって」
思わず感謝の言葉を呟くと、私は短くなった自分の髪を確認する。
両手で髪を撫でおろしながら、私はふと自分の心が落ち着いていることに気が付いた。
わずか20日前には、お母様にバレて侯爵邸に軟禁されたりしたらどうしよう、とドキドキしていたのだけど、今はびっくりするほど心が落ち着いている。
それもこれも、お兄様が無理矢理、私を『怒涛の日々』に放り込んでくれたおかげだろう。
様々な場所に連れ出され、想定外のことがいくつも起こったことで、『あの大変な日々に比べたら、お母様に怒られることくらい大したことないわ』と思えるようになったのだ。
「同じ状況にもう1度遭遇しても、私はまた聖獣を救うだろうし、やっぱり髪は短くなるだろうから、初めにお兄様が言ってくれたように堂々としているべきよね。お母様が何か言ってきたら、私は短い髪を恥じていないし、この髪でもいいと思ってくれる人もいるのよ、と返してみるわ」
もちろん、その際、言い方には気を付けないといけない。
なぜなら『いいと思ってくれる人』が、ジョシュア師団長やラカーシュだということが分かれば、「格上の公爵家!!」と母が目を輝かせて、どちらかとの婚約を成立させようと画策し始めることは火を見るよりも明らかだからだ。
そのため、私は母が納得するほど素敵な相手から好意を持たれていることを匂わせながらも、はっきりと相手を明言しないという、高等テクニックを披露しないといけないのだ。
「うーん、そんなことが私にできるのかしら?」
大きく首を傾けていると、聞きなれた声が響いた。
「ルチアーナ、お前に何ができるのだって?」
顔を上げると、庭に続く扉から兄が部屋に入ってくるところだった。
腕には一抱えの紫の花を抱えている。
小さな花がたくさん咲いていて可愛らしいわね、と花に意識を向けていると、兄がそのうちの一輪を差し出してきた。
「ポラリスがお前の部屋に飾るようにと摘んだものだ」
「まあ」
ポラリスは私がこの邸に連れて帰った男の子だ。
とある商会で酷い扱いを受けていたので、我慢ならずに連れてきたのだけれど、それ以来、庭師見習いとして侯爵邸で働いてくれているのだ。
「今夜はこの花を髪に挿すといい」
「今夜?」
何か予定があったかしらと聞き返すと、兄はこともなげに返事をした。
「ああ、今夜は王宮舞踏会が開催される」
「そうでしたね」
冬の間に開催される各種舞踏会の皮切りとなる、国王主催の舞踏会だ。
主だった貴族は全て招待されるため、我がダイアンサス侯爵家にも招待状が届いているはずで、家族全員の出席が義務となっている。
「どうするルチアーナ? 気が乗らないのであれば欠席すればいいし、出席するのであれば私がエスコートしよう」
相変わらず過保護な兄は、私の意向を尋ねてくれた。
多分、どちらの答えを返したとしても、私の希望通りになるように兄が取り計らってくれるのだろうけれど……私は堂々としていると決意したのだ。
それに、私が学園を休んでいる間、エルネスト王太子とラカーシュの使者が、何度も我が侯爵邸を訪ねてきたと聞いた。
さらに、王太子本人が2回、ラカーシュ本人が5回、直接侯爵邸を訪ねてきたとも。
しかも、その際に王太子は、直筆のメッセージを添えた王宮舞踏会の招待状を自ら持参してきたというのだ。
これはもう、逃げ隠れしている場合ではないだろう。
だから……。
「出席します!」
「そうか」
兄はそれ以上何も言わなかったけれど、私の決意を支持するかのように頭を撫でてくれた。
あるいはただ、幼い子どものように扱われただけかもしれないけど。
「ルチアーナ、お前の髪型は波紋を呼ぶだろうが、私が常に側にいる。それから、面倒事は一気に済ませる方が楽だろうから、髪型についての話は両親も含め舞踏会でまとめて受け付けることにしよう。そのため、舞踏会の前に父上と母上に遭うことがないよう取り計らっておく。王宮行きの馬車も別にさせよう」
さすがお兄様だ。
私の決断に伴うあれやこれやの事柄を先読んで、色々と処理してくれる。
というか、王宮舞踏会に出席するために領地から戻ってきている両親と、未だ1度も顔を合わせないのは、兄が裏で手を回してくれているからだろう。
本当に有能な兄だこと。
そう考えながら、私は有能なだけでなく、滅多にないほど整った外見を持つ兄を感心して見つめた。
それから、舞踏会で最も重要視される、麗しい見た目を持った兄と一緒であれば、すごく心強いわと考える。
この兄と一緒であれば、王宮舞踏会も何とかなるのではないかと私には思われたのだ。







