203 サフィア・ダイアンサスの宣戦布告 4
「ええっ、お、王太子殿下!!」
あってはならない行為が目の前で発生したため、私は驚愕の声を上げた。
あまりにあんまりな事態に私の声は裏返っており、その普段にない声を聞いた王太子は私の心情を理解してくれたのかさっと顔を上げる。
それから、真剣な表情で見つめてきた。
「ルチアーナ嬢、私自身が楽になりたいがために口にすると考えてもらって構わない。しかし、せめて君に謝罪させてくれ。君を守り切れず、火傷を負わせてしまい申し訳なかった」
まあ、相変わらず高潔ね。
王太子は最大限に私を守ろうとしてくれたし、そのことは自分でも自覚しているだろうに、結果が伴わなかったがために、守りが不十分だったと言い出したのだから。
でも、これは私の自業自得なのだ。
「いえ、私が自ら白炎に突っ込んでいったのですから、全ては自業自得です。殿下が謝罪することは1つもありません」
きっぱりとそう言い切ったにもかかわらず、王太子は顔を歪めた。
そのため、王太子は本当に責任感が強いわね、ここまで私が言ってもまだ自分の責任だと考えているのかしらとびっくりする。
だとしたら、お礼の言葉に切り替えた方が受け入れてもらえるかもしれないわと、努めて明るい表情を浮かべた。
「確かに少し熱かったですけど、兄の腕ごと殿下の聖獣が治してくれましたわ。だから、私が一時的に負った火傷など問題にもなりません」
王太子は今度こそ、私の言葉を聞いて安心するかと思ったけれど、彼は別の角度から後悔し始める。
「しかし、君が味わった苦痛は消せやしない」
「それはそうですけど……私は嫌なことをすぐに忘れるタイプなんです。痛みの記憶はすぐに薄れますから、気にしないでください」
これ以上王太子に気にしてほしくないという気持ちは多分に含まれていたものの、実際に私は嫌なことを早めに忘れるタイプなのだ。
だから、全く問題ないのよねと思って王太子に笑いかける。
けれど、王太子が笑い返すことはなく、変わらず後悔に満ちた表情を浮かべていた。
「私が君に対して謝罪すべきことは他にもある。私が犯した最大の失態は、君の髪が短くなったことだ。長髪は高位貴族の令嬢としてのあるべき装いなのに、私はそれを失わせてしまったのだから」
兄も王太子もラカーシュも、とんでもないことが起きたとばかりに短くなった髪を話題にするけれど、そんなに問題かしら?
……と考えたところで、『確かに問題ね』と結論が出る。
貴族令嬢にとって、長く美しい髪は貴族の証であり誇りなのだ。
そもそも日常生活において、長い髪は邪魔になる。
そして、長い髪を常に美しく保つにはお金がかかる。
つまり、貴族令嬢の長く美しい髪は、財力があり、多くの侍女や侍従を雇う家の出であることを示す印なのだ。
そのため、伯爵家以上の高位貴族の令嬢の中に、理由なく短い髪をしている者は1人もいない。
だからこそ私も、幼少期よりずっと長く美しい髪を保っていたのだ。
そんな中、もしも私が短い髪を披露したら、社交界ではそのこと自体を瑕疵と見なされるだろう。
「うっ、そう言われれば確かに問題ですね。この髪では高位貴族の令嬢としては失格だと言っているようなものですものね」
というか、お母様はおかんむりになるだろう。
下手をすると、ある程度の長さに髪が伸びるまで、侯爵邸か修道院に閉じ込められるかもしれない。
それはまずいわと、両手で髪を撫でおろしながら髪の長さを再確認する。
……短いわね。
貴族社会はある意味足の引っ張り合いだ。
私の短い髪は間違いなく多くの人々に付け入る隙を与えるだろうし、たくさん陰口を叩かれるだろう。
とは言っても、私自身は今さら気にしないのだけど。
「ルチアーナ嬢、君は身を張って不死鳥を救ってくれた。おかげで、私は宿願であった聖獣との契約を成すことができた。そのことは感謝してもしきれない、が……」
王太子は苦し気な表情で言葉を途切れさせる。
「代わりに君の美しい髪を失わせてしまった。せめて君には一切瑕疵がなく、君の髪が短くなった原因は、国のためを思った尊き行動にあることを表明できればいいのだが……」
再び言葉を詰まらせた王太子の心情は理解できた。
「尊き行動にあることを表明できればいいのだができない」とはっきり言うことが躊躇われたのだろう。
なぜなら私はしょせん一侯爵令嬢に過ぎないのだから、王太子の立場の者が特別に目を懸けるわけにはいかないし、ましてや短くなった髪の理由を王太子自ら説明することもできないのだから。
国民も貴族も、王家がずっと途切れることなく聖獣を従えてきたと信じている。
にもかかわらず、実際には数年間契約が切れていた時期があり、再契約をする際に私の髪が短くなった……というのは、絶対に表に出せない話だ。
その話を聞いたものは皆、王家に裏切られたと感じるだろうから。
では、聖獣のことを隠した場合、……立派な理由もなく、私の短い髪に王太子が関わっていると分かったならば、酷い騒動になるはずだ。
『ルチアーナ嬢は王太子にとってどのような存在なのか』と取りざたされるだろうし、噂の風向きによっては、私がより非難される場合があるだろうから。
王太子と同じように、私自身もそんな未来は望んでいなかったため、きっぱりはっきりと言い切ることにする。
「聖獣を救おうとしたのは私の意志です! この髪は私の決断です」
「しかし!」
なおも食い下がろうとする王太子に、私は努めてにこやかに質問した。
「王太子殿下、私の短い髪は見苦しいですか?」
「そんなことはない!」
王太子は反射的に言い返したものの、一旦落ち着こうとでもいうかのように、じっと私を見つめてきた。
高位貴族のご令嬢は全員、腰までの長い髪を保っている。
王太子がこれまで目にしてきたのはそれらの姿ばかりだから、私の肩までの髪は異質なものに映るだろう。
だから、見苦しく見えるのかもしれないわ、と考えながら王太子の言葉を待っていると、彼は私に視線を定めたままごくりと唾を飲み込んだ。
「いや、………とても美しい。……君の髪は、これまで見た中で1番美しいと思う」
王太子の言葉が心からのものに聞こえたため、数多くのご令嬢を目にしてきた王太子から褒められるなんて、私も捨てたものじゃないわねと嬉しくなる。
そのため、自然と笑みを浮かべながら王太子を見つめた。
「ありがとうございます。でしたら、憂うことは何もありませんわ」
私の表情を見た王太子は絶句したように口を噤むと、なぜだか頬を赤らめる。
その姿を見て、あら、案外王太子は短髪が好きなのかしら? と、意外に思ったのだった。







