201 サフィア・ダイアンサスの宣戦布告 2
先ほど、聖獣を「リリウム」と呼んだ時に、兄が酷く顔をしかめていたので、どうしたのかしらと思ったけれど、どうやら『聖獣に何と酷い名前を付けたのだ』と考えていたようだ。
今さらそんなことを言われても、既に名付けは終了してしまったからどうしようもないわよね。
そう考えて返事ができずにいると、兄が私の頭の上にぽんと片手を乗せた。
「ルチアーナ、お前は本当にすごいな。聖獣を再生させ、失った私の腕を取り戻してくれたのだから。お前以外の者は決してできないことだ」
そう言うと、兄は私の額にこつりと額をくっつけてくる。
突然の接触にびっくりして目を丸くすると、兄は優しい笑みを浮かべ、心に染み入るようないい声でお礼の言葉を口にした。
「ありがとう、ルチ」
体の一部がくっついていたからか、その部分から兄の素直なお礼の言葉がしみ込んでくるような気持ちになる。
基本的に兄はふざけているけれど、大事な時にはいつだって、素直な気持ちを言葉にしてくれるのだ。
だから、お礼を言われた私はとっても嬉しくなった。
「どういたしまして。でも、元々は私が」
「そう、私が可愛らしい妹に傷一つ付けたくなくて、無茶をしたということだ」
腕が戻った今ですら、兄は片腕の喪失の原因を私にはしたくないようだ。
ちょっと甘やかし過ぎじゃないかしらと考えていると、兄は片手を私の髪に滑らせる。
何度もゆっくりと髪をなでるので、乱れているのかしらと心配になったけれど、兄が気になっていたことは別のことのようで、髪の一房を手に取ると唇を歪めた。
「腕が戻ったことはありがたくも喜ばしい話だが……その代償がお前が火傷を負った痛みであり、短くなった髪だというのであれば、代償が大き過ぎる」
「はい?」
言われた意味が分からない。
兄は手に取った髪を指に巻き付けると、寂しげな笑みを浮かべた。
「ルチアーナ、あれほど美しかったお前の髪が、肩までの長さになってしまった。私の腕以上の酷い損失だ」
「……ええ、髪ですね。また伸びますよね」
確かに腰まであった私の髪は燃えてしまい、ずいぶんと短くなってしまったけれど、時間が経てば元に戻るのだ。
そのため、兄は何を言っているのだ、と思いながら常識的な答えを返したけれど、兄は後悔したような表情のまま見返してきた。
その眼差しに、私の言葉に反対する意思をまざまざと感じ取ったため、訳が分からずに首を傾げる。
よく見ると、兄の麗しい青紫の髪も、炎に焼かれて短くなっていた。
それなのに、どうして私の髪だけをそんなに気にするのだろうか。
兄の心情を上手く理解できずに、ぱちぱちと瞬きを繰り返していると、エルネスト王太子とラカーシュが慌てた様子で近寄ってくるのが見えた。
「サフィア殿、尽力に心から感謝する!」
開口一番、感謝の言葉を口にした王太子を、兄はにこやかに見つめた。
「やあ、大したことではありません。ところで、私はこの場所まで魔術陣で来たので、妹を連れて帰ってもよろしいですか? あいにく2人用なので、お二方とはご一緒できませんが」
しかし、会話が始まったばかりだというのに、兄はこの場を離れる許可を取り始めた。
それはさっさと会話を切り上げたいとの意思表示にも取れるものだったため、いつだって完璧に対人マナーを守る兄らしくないと、内心で小首を傾げる。
「ああ、もちろん私たちのことは気にしなくて結構だ。ルチアーナ嬢は疲労しているから、一刻も早くこの場から連れて戻ってもらうのならばありがたいことだ」
「寛大なお言葉に感謝します。それでは、妹が疲れているようですので、これで失礼します」
その言葉とともに、兄は私の腰に手を回すと踵を返そうとしたけれど、それより早く王太子が焦った声を上げる。
「待ってくれ!」
そこで初めて、王太子の顔色が真っ青になっていることに気付く。その隣に立つラカーシュの顔色も。
「もちろん、一刻も早くルチアーナ嬢を連れて帰ることが正しいのだろうし、そのことは十全に分かっているが、ルチアーナ嬢と少し話をさせてくれないか。それから、サフィア殿、君とも。私はとんでもないことをしてしまったため、謝罪を……」
言いかけた王太子の言葉を、兄はにこやかに遮った。
「不要です。受け入れるつもりも、許すつもりもありませんので」
びくりと体を跳ねさせたエルネスト王太子とラカーシュは、同時に顔もこわばらせたけれど、それは私も同じだった。
え、お兄様は何を言っているのかしら?
貴族社会において、身分の上下は絶対だ。
ましてや相手は王族で、さらに言うならば、将来間違いなく国の頂点である国王になる立場の王太子なのだ。
その王太子を「受け入れるつもりも、許すつもりもない」?
お兄様は何を言っているのだ!!
「お、お兄様、私は疲れていませんので、話をするくらい大丈夫ですよ」
「不要だ。今この瞬間に話さなければならないことなど1つもない」
兄はあっさりとそう言い切ると、再び私の腰に手を回して歩き出そうとした。
そのため、私は無理矢理その手を外させると兄に向き直る。
「お兄様、私がお2人と話をしたいのです!」
「……2人の罪悪感を軽くするために、彼らの懺悔を聞いてあげるのか? そんな慈悲が必要か?」
真剣に頼み込む私に対して、兄は再び反対の意を示した。
というか、短い言葉の中に好戦的な単語が交じり過ぎていて、兄は一体どうしたのかしらとハラハラする。
そんな私の心情を分かっているだろうに、兄はさらに好戦的な言葉を口にした。
「失態を犯した場合、内省して2度と同じ過ちを犯さないようにと努力すべきだ。力を向けるべき方向はそちらだ。安易に謝罪したとしても、罪悪感が軽くなるだけで状況は改善しない」
兄の口調はあくまで穏やかだったけれど、言葉の底に激しい感情が隠されている気がして、心臓がどきどきしてくる。
「お、お兄様、先ほどからどうしたのですか? 失態を犯した者など、ここには1人もいませんよ」
しかし、兄が答えるよりも早く、エルネスト王太子が会話に割り込んできた。
「いや、ルチアーナ嬢、私が失態を犯したことは間違いない。貴族令嬢である君に怪我を負わせたのだから」
続けて、ラカーシュも後悔に満ちた声を出す。
「私も同罪だ。私はこの地での君の安全を完璧に保証するとサフィア殿に約束したのだ。しかし、実際には君に大いなる被害を負わせてしまった」
2人の言葉を聞いた私は、目を丸くする。
なぜなら2人の言葉は事実ではなかったからだ。
王太子とラカーシュは明らかに、私をできるだけ戦闘に巻き込まないようにと努力していた。
そんな中、私が自ら白炎に突っ込んでいったのだから、火傷をしたのも髪が短くなったのも自業自得なのだ。
つまり、私の怪我は2人に負わされたのではなく、自ら負ったものなのだ。
けれど、兄は私と異なる意見を持っているようで、2人の言葉に同意する様子で大きく頷いた。
「やあ、現状把握ができているようで安心しました。それでは心行くまで内省して、次回に活かせるよう努力してください。では」
表情も声も穏やかだけれど、取り付く島もないとはこのことだろう。
再び歩き出そうとした兄の腕をがしりと掴むと、私はふるふると首を横に振った。
「ちょっと待ってください、お兄様! 落ち着いてください」
今のお兄様は、悪役令嬢の私よりも危険ですよ!!
前世の記憶が蘇って以降、私はずっと悪役令嬢である自分の立場に怯えていた。
いつかゲームのヒロインが現れて、彼女を陥れた罪で超高位者から断罪されるんじゃないかと心配していたのだ。
けれど、事ここに至って、本当に心配すべきなのはお兄様だったのかもしれないという気持ちになる。
兄は一見だらしなくて飄々としているけれど、実際は有能で思慮深いから、対人関係で間違うことはない、と絶対の信頼を置いていた。
けれど、私の髪が短くなったくらいでこれほど頑なな態度を取るなんて、大げさ過ぎるのではないだろうか。
そう言えば……と、嫌なことに思い当たる。
これまで私に関することで、兄が計算高いと思ったことは一度もなかった。
もしかしたら兄は計算ができるけれど、計算すべき時にも計算しない場合があるのかもしれない。
元々がとんでもないハイスペックのうえ、利害も立場も無視してやりたいことをやるとしたら、一番厄介なタイプに違いない。
「えっ、そんなの誰も手に負えないわよね」
あくまで穏やかな表情を浮かべながらも、妥協する様子を見せない兄にそろりと視線を移したけれど……微笑んでいるようでちっとも微笑んでいない表情が確認できたため、絶望を覚える。
……あああ、どうしよう。お兄様が正面切って王太子とラカーシュに喧嘩を売っているわ。
こうなってしまったら、誰の手にも―――もちろん私の手にも負えないわ。







