20 フリティラリア公爵の誕生祭 11
「水魔術 <修の2> 淼轟槍!」
「火魔術 <修の1> 炎焦砲!」
兄とラカーシュが何発もの攻撃魔術を魔物に打ち込むのを見て、どれほどの魔力を秘めているのかと空恐ろしくなる。
魔物は連続した攻撃に戦いあぐねているようで、一定の距離を保ったまま、それ以上は近付いてこようとはしなかった。
それを見たセリアは、今こそが逃げ出すタイミングだと思ったようで、脱兎のごとく駆け出した。
―――城がある方向ではなく、木々が生い茂っている森の方向へ。
私は咄嗟に、えっ? と思ったけれど、この城はセリアが生まれ育った場所だ。
彼女が森側へ逃げるのならば、そちらの方が逃げおおせる確率が高いと判断した結果だろう。
けれど、どういうわけか、セリアが逃げ出したのを見た魔物たちは、2頭ともに戦闘中の相手を放り出して、滑るように森の中へ入って行った。
「えっ?」
戦闘中に背中を見せるのは、すごい悪手だ。
だから、それをやるとするならば、よっぽどの理由があるはずだけれど?
驚く私とは対照的に、ラカーシュは悔し気な表情を滲ませた。
「くっ、やはりセリアに……」
喉の奥で何事かをつぶやきながら、あっさりと魔術陣を捨てて森の中へ追っていく。
兄も一言も言わずに、後に続いた。
私は助けを呼びに行くべきかどうすべきか一瞬迷ったものの、そんな時間はないと判断して、兄たちの後を追う。
走って、走って、走って。
―――皆に追いついた時、セリアは湖を背にして立っていた。
セリアと向かい合う形で、5メートル手前に2頭の魔物。
そして、魔物のさらに5メートル手前に、兄とラカーシュ。
その光景を見た瞬間、私の頭の中でかちりと音がして、何かが一つはまったような感覚に襲われた。
かちりかちりと頭の中が整理されていき、必要な情報を取捨選択していく。
そして、……体は緊張に包まれていたけれど、頭は非常に冴えていて、全く関係がないことを思い出した。
―――先日、学園での空いた時間に試し読みをしていた、王国古語の教科書の一節を。
『黒百合の森に現れし緑の蛇は、赤き湖にて永遠に眠る』
その時は全く意味をなさない一文だと思っていたけれど、かちかちと頭の中で翻訳が始まる。
……ああ。
私は突然、理解する。
―――これは運命を覆す、唯一絶対の『救済の言葉』だったのだと。
この世界は平等で、失うべき時には必ず、救うべき道も用意されている。
ただし、その救いの道は絶対に分からないように隠蔽されているので、誰もが気付き得ないだけで……
私は魔物の気をひかないように、足音を潜めて静かに兄たちの元に近付いて行った。
できるだけ音を立てず、けれど、出来るだけ早く足を進める。
そして、ちょうど兄とラカーシュの真後ろに位置することができた時、遠目に、湖の際まで追い詰められたセリアと、その前で襲い掛かるタイミングを計っている2頭の魔物の姿がはっきりと見えた。
状況は、非常にまずいように見えるけれど……
そう思い、正面に立つ2人をさっと見上げて表情を探ると、兄は無表情で、ラカーシュも無表情だった。
くうう、この鉄面皮どもめ!
現状が分からないから、2人の表情から状況を判断しようと思ったのだけれど、この無表情からは、ピンチなのかチャンスなのかも分かりやしない。
いや、ピンチではあるのでしょうけれど、その緊急度合いが不明だ。
つまり、この2人が現状の打開策を持っているのか、持っていないのかが、一切分からない。
けれど、そこまで考えた時、後ろから見た2人のシャツが背中に張り付いていることに気付き、考えを改める。
これだけ均整の取れた体つきをしている2人だ。十分体を鍛えているはずだし、少し動いたくらいで汗をかくはずがない。
シャツの背中が汗で張り付くくらい、緊張しているということなのだろう。
表情からは全く分からないけれど。
つまり、打開策が見つからず、次の一手を捜しあぐねて緊迫している状況のはずだと、勝手に解釈する。
ならば私の提案も受け入れやすいんじゃないかしらと、ひそりと小さな声で2人に話しかけた。
「緊迫して取り込んでいる最中に誠に申し訳ありませんが、1つ秘策を思い付きましたので、ご協力いただけますか?」
「え?」
「ルチアーナ?」
魔物に対して物凄く集中していたのだろう。
話しかけるまで、2人とも私が後ろに位置していたのに気付いていなかったようで、驚いたような視線を向けられた。
気配に敏感な2人にしては珍しいことだと思いながら、ひそひそと早口で必要なことを口にする。
「ここから見ても分かるように、湖の水の一部に赤い部分があるでしょう? あそこに魔物を落とし込もうと思いますの。時間がないので説明は割愛しますが、あの赤い水は魔物に悪作用します。だから、ラカーシュ様は魔物を湖まで吹き飛ばしてください。お兄様は湖の赤く濁っている部分を、少しでも手前にくるように移動させてください」
「おいおい、ルチアーナ、突然何を……」
とまどったように口を開きかけた兄の言葉を最後まで言わせずに、私は至近距離から兄の瞳を覗き込んだ。
「私は思い出しましたよ、お兄様。なぜ、わざわざフリティラリア公爵家の誕生会に参加したのかを」
先ほどの兄のセリフを真似して繰り返すと、サフィアお兄様はわずかに目を見張った。
「……すごいな、ルチアーナ。お前はこの期に及んで、まだ諦めていないんだな」
私は兄を見つめると、こくりと頷く。
「上手くいくかどうかは分かりませんが、ここが、私が活躍できる唯一のチャンスです。ラカーシュ様に恋する乙女のようになっていただき、私に懸想していただくための。心優しいお兄様としては、妹の恋心のためにチャンスを作ってください」
私にも段々と、兄の動かし方が分かってきた。
このような奇天烈な言い回しをしない限り、兄はなかなか動かないだろうということが。
果たして兄は、面白いことを聞いたというように笑い声を上げた。
「ははは、面白い。私にしては不甲斐ないことに、活路を見出せなくて動きあぐねていたところだ。よし、お前に乗ろう」
そして、私の期待通り、協力することに同意してくれた。
けれど、私の遊び心を理解しておらず、正面から私の言葉を受け取ったラカーシュは、呆れたような声を出した。
「そのようなことを、私の目の前で言うものかね。ダイアンサス侯爵令嬢、後ほど、淑女の在り方について話をさせてくれ」
斜めからの回答ではあるけれども、未来のことを語るということは、私の提案に協力してくれるという返事なのだろう。
万策尽きた感のラカーシュ(と私は勝手に解釈しているのだけれど)にしてみれば、魔物を水中に落とすという新たなアイディアが、活路につながるかもしれないと思えたのかもしれない。
私ですら成功の道筋が見えていないのに、ありがたいことだわ。
そう思いながら、私はぎゅっと両手を握りしめた。
―――これが最後のチャンスだ。
待っていて、セリア。必ず私たちがあなたを助けるから。







