198 聖獣「不死鳥」 13
恐らく、私の推測は当たっていると思う。
先日、リリウム城の図書室で見た王国古語の中の一節。
『あまねく癒しを与える光、白き炎の中から蘇らん』というのは、今の状況を指すのだ。
そして、その一節が『世界樹の羅針石』には書き記されているのだろう―――誰にも読めない文字で。
「運命の紡ぎ手は、手の込んだ悪戯を仕掛けるものね。わざわざ救いの道を用意しているのに、それを誰にも分からないように隠蔽しているなんて」
思わず、愚痴るような言葉が唇から零れ落ちる。
それから、私は地面に横たわる聖獣に視線を向けた。
実際にその状況に陥らないと思い当たらないのは残念な話だけど、ぼろぼろになった聖獣を見て、必要なのは王家の炎だと気付いたのだ。
そして、王国古語の一節と一致することに、王太子の火魔術は発動の瞬間に白い炎がぱっと飛び散るのだから、きっと間違いはないはずだけれど……王太子にとってみたら、何よりも大切な聖獣を自らの魔術で焼き尽くそうとすることはあり得ない行動に違いない。
それでも、きっとこれが聖獣を救う唯一の方法なのだ。
「殿下、お願いします!」
必死な表情で頼み込むと、王太子は数瞬の間逡巡した様子をみせたけれど、覚悟を決めたかのようにぎゅっと目を瞑った。
それから、自分の心情を整理しようとでもいうかのように心の裡を声に出す。
「突き詰めて考えれば、私がルチアーナ嬢を信じることができるかどうかだ。……我が王家にとって何よりも大事な不死鳥の生命に関することだというのに、……何とまあ、私はいつの間にこれほど彼女を信用していたのだ」
自嘲めいた声で漏らした王太子の言葉は、私の発言を支持しているように思われた。
すかさず、王太子の決断を称賛するかのように、ラカーシュが王太子の肩に手を置く。
その手の上に自分の手を重ねると、王太子は何かを思い出したかのように苦笑した。
「いや、それだけではなかったな。ラカーシュ、他ならぬお前がルチアーナ嬢のことを『世界樹の魔法使い』だと口にし、傾倒した相手だからこそ、私は彼女を信用するのだろう」
ぽつりとそう零すと、王太子は聖獣に向かって両手を構えた。
「ルチアーナ嬢、君に賭けよう! 先ほど君が見せた奇跡は、魔法使いの手腕と言わざるを得ないような、他の誰も成しえないものだった。しかし、そのこととは別に、いつの間にか私は君を信用していたようだ。だが……私が発生させた炎が原因で不死鳥に何かあれば、私は一生立ち直れないだろうな」
それはそうかもしれないわね、とは思ったものの、他に方法が思いつかないため、一蓮托生で乗り越えてもらうしかないだろう。
ターゲットである聖獣を見つめて、王太子が口を開く。
「火魔術<初の1>……」
けれど、彼が口にしかけた呪文を聞いて、慌てて言葉を差し挟む。
「王太子殿下、違います! 発動する魔術は初級ではなく、上級にしてください!!」
王太子は驚いた様子で言葉を途切れさせると、信じられないとばかりに私を見つめてきた。
それから、諦めた様子で頭を横に振る。
「何という容赦のなさだ。いちかばちかの要素をはらんでいるにしては、思い切りが良過ぎる」
どうしても独り言を呟かずにいられなかったようだけれど、聖獣が求めているのはマグマの炎と同じくらい激しいものなのだ。
上級魔術で生み出した炎でなければ、釣り合わないだろう。
言葉にしなかった私の気持ちを正確に読み取ってくれたようで、エルネスト王太子は唇を歪めた。
「ルチアーナ嬢、君の手が正解だとしても、他の誰だってこれほど大胆なことを考えやしない。……はあ、しかし、唯々諾々と従っている時点で、私に何も言う資格はないが」
エルネスト王太子はそう零すと、片手を前に突き出して、もう片方の手を顔の横に構えた。
「火魔術 <威の9> 三火焱主!!」
王太子の言葉とともに、彼の両手の間に白炎が吹き上がる。
それから、その炎はすぐに王太子の手元から離れると、すごい勢いで聖獣に向かって行った。
どん! という音とともに聖獣に直撃するやいなや、白炎が球状に広がり、聖獣の全身を包み込む。
息を詰めて見ていたけれど、白炎に包まれた聖獣は苦しむ様子を見せなかった。
それどころか、余裕がある態度で首を伸ばすと、ゆっくりと自分を包む白炎を見回している。
安心したのもつかの間、聖獣はすぐに不快そうな表情を浮かべると、大きく口を開けて自ら炎を吐き出した。
「えっ?」
一瞬、何事かと驚いたけれど、その行為に思い当たることがあり、はっと息を吞む。
「これはもしかしたら……」
王太子の話では、初めてリリウム王家と契約を結んだ際、聖獣は王家の炎を自分に合うように加工したとのことだった。
もしかしたらこの行為がそれではないだろうか。
聖獣の炎が加わったことで、王太子の白炎に赤と金が混じりだし、まるで不死鳥そのもののような色に変わっていく。
ああ、聖獣がこの炎を食べれば、きっと元気になるわ……と考えた時、聖獣は突然、高い鳴き声を上げると翼を広げた。
それから、羽ばたくような動作を繰り返す。
「えっ、どうしたの!?」
ばたばたと翼を動かす聖獣は、何かに動揺しているように見えた。
元々、魔物の攻撃で怪我をしていた聖獣は、マグマの中に飛び込んだことでさらに傷付いていたのだ。
そのため、聖獣が暴れるに従って、既にほとんど残っていなかった羽根がさらに抜け落ちていく。
「怪我が酷くなるから、動いてはダメよ!」
そう言いながら行動したことは無意識だった。
途方に暮れたような聖獣の目を見つめながら駆け寄っていくと、聖獣が包まれている炎の中に飛び込み、弱った体を抱きしめる。
聖獣は一瞬、びくりと体を強張らせ、威嚇するかのように大きくくちばしを開いたけれど、ぎゅううっとより強く抱きしめた途端、ぴたりと動きを止めた。
それから、何かを確認するかのようにじっと私を見つめてきたので、安心させるかのように笑みを浮かべてゆっくりと体を撫でる。
十中八九、私の笑みは引きつっていただろうけれど。
―――なぜなら王太子が生み出した炎に包まれたことで、ものすごい熱さを感じていたからだ。
それはもう奥歯を噛みしめて必死に耐えようとしても我慢できないほどの熱さで、声など出せるはずもなかった。
そのため、聖獣を安心させるための言葉を紡ぐこともできず、分かってもらおうと無言のまま聖獣を見つめる。
「ルチアーナ嬢!」
ラカーシュが慌てた様子で駆け寄ってくると、炎から私を救い出そうと手を伸ばしてきたけれど、いつの間にか炎自体が遮断壁になっていたようで、バチリという音とともに弾かれる。
大丈夫よ、と伝えたくて一瞬だけラカーシュに視線をやったけれど、奥歯を食いしばったままだったので、上手く伝わったかどうかは分からない。
私はもう1度聖獣に向き直ると、ゆっくりゆっくりとその体を撫でた。
私たちを包む炎が熱いのは間違いないけれど、……多分、火傷くらいは負っているだろうけれど、聖獣が炎を足したことで成分が変わったのか、私の命を取るものでないことは理解できたため、心は落ち着いていた。
密着してるためか、腕の中の聖獣が震えているのを感じ取ることができる。
……ああ、聖獣は何かを怖がっているのだ。
それが久しぶりに食したリリウムの炎に違和感を覚えて怖くなったのか、魔物に襲われたことを改めて恐ろしく感じたのは分からないけれど、私に縋りたいと思うくらい聖獣が怖がっていることは理解できた。
辛抱強く聖獣の目を見つめて撫で続けていると、突然、聖獣はくたりと力を抜いて私にもたれかかってきた。
その瞬間、炎の勢いが弱まったように思われ、私はやっとのことで口を開く。
「大丈夫、大丈夫よ。私が側にいるから怖くないわ」
私の言葉を聞いた聖獣は甘えるかのように私の首元に額をすり付け、……少しずつ、少しずつ小さくなっていった。
「ええっ?」
何が起こっているのか分からない。
けれど、再び炎が強まったかと思うと、聖獣の全身に炎が集まり始めた。
まるで、聖獣を焼き尽くし、浄化するかのように。
……ああ、これは特別な白炎だから、命を取られることはないだろうけれど、それでもやっぱり炎は全てを滅することができる怖いものだわ。
聖獣を抱きしめたまま、これまでにない熱さを感じて歯を食いしばっていると、時間の経過とともに聖獣はどんどん小さくなっていき、最終的には私の腕の中に納まるほどのサイズになった。
体が小さくなるごとに新たな羽根が生えてきたため、いつのまにか聖獣の全身はふわふわの羽根に覆われている。
何が起こったのか分からずに呆然としていると、ミニ不死鳥は高く首を伸ばして私を見上げてきた。
その縋るような目を見て、聖獣の気持ちを理解したように思う。
……これが、カドレアが言っていた再生なのだわ。
『不死鳥は再生する際に古い記憶や過去の全てを捨て去る』とも言っていたから、不死鳥は今、まっさらな状態に戻ろうとしているのだ。
そのことに気付くと、王太子が聖獣の名前を聞き取れなかった理由が分かったように思う。
聖獣は再生の時期に差し掛かっていたのだ。
違うものになろうとしていたので、名前が合わなくなっていたのだろう。
そんな聖獣は今、生まれたてのような状態で、たった1頭でこの世界にいることに恐怖を覚えているはずだ。
だからこそ、王家に隷属していた記憶が未だうっすらと残っている今、その時の安心感と心地よさを思い出して、再び隷属したい気持ちになっているのじゃあないだろうか。
―――この子は今、誰かとつながり、安心したいと望んでいるのだ。
そのことを確信した私は、首を巡らせると、エルネスト王太子に向かって叫んだ。
「殿下、今です! 刻印付けの応用です」







