194 東星カドレア 2
カドレアは両手を広げると、まるでそこに壁でもあるかのようにぴたりと空中で静止させた。
「風・網・風!!」
その瞬間、速度を上げながら一直線に聖獣へ向かっていた飛竜たちが何かに引っかかったかのように前進を止める。
よく見ると、渦巻く風が網の目のように絡み合っていて、飛竜たちの進行を防いでいた。
カドレアが両手を動かすと、その風の網はぐるりと2頭の魔物を包み込むように広がって閉じる。
「ふふっ、これでしばらくはおとなしくしているかしら☆」
楽しそうにそう言ったカドレアは、聖獣と私たちを守ろうとしているように見えた。
そのため、一体どういうつもりなのかしらと用心する。
―――先ほど、カドレアは言った。
『ルチアーナ、あなたは「世界樹の魔法使い」だわ。だから、私にとってとても大事な存在なの。そんなあなたを傷付けようとされたならば、黙っていられないってことよ☆☆』
けれど、彼女の言葉をそのまま信じることは難しかった。
なぜならカドレアは、決して私たちの味方ではないからだ。
もしも私が本当に『世界樹の魔法使い』であり、その力に目覚めたのであれば、利用しようと近寄ってくるのだろうけれど、現時点の私はそうでない。
だから、カドレアが今の私に接触してくる理由はないはずだけれど……。
彼女を疑う気持ちは表情に表れていたようで、カドレアが困ったように眉を下げた。
「あなたは信じ切れていないようだけれど、ルチアーナは間違いなく魔法使いよ。だから、あなたが力に目覚めた際には、わたくしに協力してほしいけど、そうでない状態のあなたは不安定で、時には弱いから、わたくしが守ろうと考えたの★」
「あなたが私のために体を張ろうというの?」
信じられないわね、という気持ちを声に乗せると、カドレアは肩をすくめる。
「そうでもあるし、そうでもないわ。あなたを守るのはわたくしのためよ。あなたにしかできない役割があるし、何としてもあなたにはその役割を果たしてほしいから、来るべき時のためにあなたを守るということよ☆★」
つまり、カドレアは彼女の望みを果たすために、私を利用しようと考えているのかしら。
それならば納得できるけど、魔法使いとして目覚めるかどうかも分からない私のために体を張るのは割に合わないわよね。
そう首を傾げていると、カドレアは柳眉をしかめた。
「それに、わたくしは元々、南星が嫌いなのよね! 若くて、綺麗な顔をしていて、いつだって正論ばかりを口にするから、目障りなのよ★★★」
先日のオーバン副館長の説明によると、南星は男性だったはずだ。
カドレアとは性別が異なるから、外見を比較する相手にはなり得なさそうだけれど、彼女からしたら、南星が「若くて、綺麗な顔をしていること」だけで気に入らないようだ。
カドレアは緋色の髪をばさりと後ろに払うと、長い指でエルネスト王太子とラカーシュを指し示す。
「ところで、その2人は魔力が枯渇しているじゃない。私の風に吹き飛ばされたことで、魔術陣も消えてしまったことだし、もはや役に立たないわね★」
そう言うと、カドレアは両手の指を1本ずつ立てた。
「けれど、わたくし1人が戦うのも損をしている気分になるから、2人には私の魔力を分けてあげようかしら☆★」
「えっ、でもそれは!」
魔力の譲渡は、渡された者が酷い魔力酔いを引き起こすはずだ。
実際に、カドレア城でカドレアから魔力を返してもらった兄は、酷い魔力酔いを起こし、立っているのもやっとの状態だったのだから。
その時のことを思い出して、カドレアを止めようとしたけれど、それより早く彼女がくるりと指を回す。
「魔力分配10%・魔力分配10%・譲渡★」
その瞬間、彼女のそれぞれの指から力の塊が王太子とラカーシュに向かっていったのが見えた。
けれど、それは攻撃ではなかったようで、力の塊を受けた2人はびくりと体を硬直させた後、地面に倒れ伏すでもなく、驚いたように目を見張っただけだった。
気のせいか、2人の体からうっすらとオーラのようなものが出ているように思われる。
ということは、カドレアの言葉通り、本当に魔力を譲渡したのだろうか。
「えっ、こんなに簡単に魔力を受け渡せるの!?」
驚いて目を見張ったけれど、魔力を譲渡されたら、しばらくは酷い魔力酔いに悩まされて、とても魔術を行使するどころではないはずだ。
だから、この場面での魔力譲渡は有用な方法ではないわよね、と恐る恐る2人の顔色を確認する。
けれど、私の視線の先で立っていたエルネスト王太子とラカーシュの顔色はよく、体調が悪いようには全く見えなかった。
そのため、一体どういうことかしらと首を傾げていると、カドレアが悪戯っぽそうな笑みを浮かべた。
「ふふふ、わたくしは四星と呼ばれる存在だからね。その気になったら、魔力の性質を変容させて、受領相手にぴったり合う魔力に変化させることができるのよ☆」
「えっ、で、でも、サフィアお兄様の時は……」
兄は全身から汗を流していたし、ぐったりとしていて声も出せないほど体調が悪そうだったのだ。
その時のことを思い出して言い募ると、カドレアはつんと顎を上げた。
「あの時は、サフィアが強制的に契約を実行したから、何かを操作する時間はなかったわ。それに、時間があったとしても、彼のために魔力の性質を変容させるはずもないわね。このわたくしを騙し討ちするなんてと、サフィアに対して腹立たしさと悔しさを覚えていたから、嫌がらせをするに決まっているわ★」
「ええっ!」
呆れていると、目の端に空中で何かがふらりとよろめくのが見えた。
はっとして顔を向けると、聖獣がゆっくりと落ちてくるところだった。
驚いて駆け寄ろうとしたけれど、それよりも早く少し離れた場所にどさりと鈍い音が響く。
2頭の魔物を引き付けているうちに、聖獣が逃げてくれればいいと考えたけれど、どうやらもはや逃げる元気もなかったようだ。
驚いた私は、服の内ポケットに入れていた回復薬を手に取ると、聖獣に走り寄る。
この場には回復魔術をかけることができる者は一人もいないため、効き目は落ちるけれど、薬に頼るしかないわと考えて、たくさんの回復薬を準備してきたのだ。
近くで聖獣を見ると、飛ぶのが難しいほどあちこちの羽根が抜け落ちていた。
私は痛ましい気持ちを覚えながら聖獣の頭を抱えると、薬の瓶を口元に運ぶ。
「回復薬よ。少しは楽になるはずだから、飲んでちょうだい」
不死鳥は私が信用できる相手なのかを確認するかのように、じっと見つめてきた。
その瞳はキラキラと宝石のように輝いており、目の前の不死鳥が聖獣と呼ばれる特別な存在であることを再認識する。
「あなたはボロボロじゃないの。どうか飲んでちょうだい」
もう1度必死に頼んだけれど、不死鳥は決してくちばしを開かなかった。







