188 聖獣「不死鳥」 5
それからしばらくして、ラカーシュが戻ってきた。
「辺りを見て回った限りでは、危険はないように思われる」
そう報告してくれたラカーシュに、用意していた温かい飲み物を差し出すと、彼ははにかんだように微笑んだ。
それから、私の隣に腰を下ろす。
「ありがとう、ルチアーナ嬢」
ラカーシュがカップの中味を飲み干したところで、王太子が口を開いた。
「今夜のことだが、私は対応を間違った」
どういうことかしら、とラカーシュとともに王太子を見つめると、彼は悔いるような表情を浮かべていた。
「ルチアーナ嬢が聖山への同行を希望してくれたため、一緒に付いてきてもらったが……時間が経過して冷静になった今、このような危険な場所に貴族のご令嬢を同行させるべきではなかったことに気が付いた」
王太子は私を見つめると、後悔した様子で続ける。
「私はサフィア殿に、君の無事を約束した。私はその約束を守らなければならない。だから、君は予定通り、明日になったら白百合領を発ってくれないか。心残りではあるだろうが、後のことは私とラカーシュに任せてほしい」
何と答えたものかしらと戸惑っていると、ラカーシュが難しい表情で口を開いた。
「エルネスト、お前の考えはもっともなものだ。それを承知したうえであえて言う。私は沈黙を誓ったので詳しくは話せないが……ルチアーナ嬢は、私やお前ができない方法で、物事を上手く解決することができる。そのため、今回のように、お前の人生を左右するほどの重要な問題が差し迫っている場合は、彼女の力を借りるべきだ」
「どういうことだ?」
理解できないとばかりに眉根を寄せる王太子に対し、ラカーシュは真顔で答える。
「セリアの『先見』は誰も覆せない。運命を変えることは誰にもできないからだ。にもかかわらず、ルチアーナ嬢だけはそれを変えることができるのだ」
「まさかそんな」
半信半疑な様子でそう口にする王太子に対して、ラカーシュは真顔のまま続けた。
「もちろんルチアーナ嬢は守るべきご令嬢でもあるので、私もお前も、そして明日には到着するだろう騎士や魔術師たちにも、率先して彼女を守護するよう言い含めるべきではある」
王太子はしばらくラカーシュを見つめていたけれど、彼がこれ以上説明する気がないことを見て取ると、諦めた様子でため息をついた。
「セリアが『先見』の能力者であったことに続いて、今日は驚かされることばかりだな。ルチアーナ嬢が『運命を変える者』だと、お前は言っているのか?」
「ああ」
端的に答えるラカーシュを横目で見ると、王太子は皮肉気な笑みを浮かべた。
「そうだとしたら、彼女はとんでもない存在だな。……まるで『世界樹の魔法使い』のようじゃないか」
「…………」
「…………」
無言になった私たちを何と思ったのか、王太子はちらりと視線をやった後、再び炎を見つめた。
「新しいことを考えるには夜も遅い。ルチアーナ嬢、ここは私とラカーシュが見張っているから、君は眠るといい」
そう提案されたため、私は座ったまま膝を抱えると目を閉じる。
ぱちぱちと火が燃える音を聞いていると、心が落ち着いてくるのを感じた。
私は目を瞑ったまま、先ほど目の前で交わされた王太子とラカーシュの会話を思い返す。
ラカーシュは当然のように、私は運命を変えることができると口にしたけれど、問題は私自身にその自信がないことだ。
なぜなら私には、未だに正しい魔法の発動方法が分かっていないのだから。
それに……今回は、サフィアお兄様がいない。
これまで魔法を発動した時はいつだって、兄が私の傍にいた。
そして、私を力付けてくれたのだ。
学園にいる間、兄とはほとんど会うことがないため、兄の不在には慣れているはずなのに、白百合領では勝手が違うようだ。
どういうわけか、この地に来て以来、兄の不在を何度も寂しく感じたのだから。
「……困った時に、お兄様に頼る癖がついてしまったのかもしれないわ」
全くよくない傾向だ。
悪役令嬢に生まれ変わったと気付いた時は、1人で全てを乗り切らなければいけないと決意していたのに、いつの間にこれほど兄を頼るようになってしまったのだろう。
兄が甘やかしてくれるから、私は弱くなったのかもしれない。
ただ兄がいないというだけで、寂しく感じるほどに。
けれど、その兄は私を庇って片腕をなくしてしまったから……何としても、私が取り戻さなければいけないわ。
そう考えているうちに、私はいつの間にか眠ってしまったようだ。
―――なぜなら目の前に兄が現れたのだけど、その兄には両腕が揃っていたのだから。
どうやら兄のことを考えながら眠りに落ちたので、兄のことを夢に見たようだ。
その兄は、呆れたように微笑むと、私の頭を優しく撫でた。
『ルチアーナ、お前はいつまでたっても子どものようだな。私はいつまでお前の面倒を見なければいけないのか』
どうやら兄は、私をからかいたい気分のようだ。
『もちろん、もう既に面倒を見る必要はありませんわ。私は成人していますから』
兄の挑発に乗ることなく、妙齢の女性として冷静に返すと、兄は寂しそうに微笑んだ。
『そうか。だとしたら、お前はあとどのくらい、私の妹でいてくれるのだろうな』
『えっ?』
私が結婚して出て行くまでの期間を聞いているのだろうか?
小首を傾げながら、そのことを確認する。
『ええと、お兄様が言っているのは……』
けれど、その時兄が私の言葉を遮るように何かを言ってきた。
そのため、私は開いていた口を閉じて、兄の言葉に集中したけれど、発せられた言葉に衝撃を受けて再び口を開く。
そして、大きな声で叫んでしまったのだけれど、そんな自分の声で目が覚めてしまった。
「それはあああ!!」
恐らく、大声を上げた瞬間は、夢の内容を覚えていたはずだ。
けれど、目覚めた時の常で、意識がはっきりしてくるにつれ、それまで見ていた夢はどこかへ行ってしまい……私は夢の内容をすっかり忘れてしまったのだった。
「ルチアーナ嬢、どうかしたのか!?」
「大声を上げて、怖い夢でも見たのか? その割には、顔が赤いようだが」
突然大きな声を上げた私を心配して、ラカーシュと王太子が声を掛けてくれる。
それらの言葉を聞いた私は、思わず両手を頬に当ててみると、……確かにそこは熱を持っていた。
そのため、私は頬が赤らむようなどんな夢を見たのかしら、と首を傾げたのだった。







