184 聖獣「不死鳥」 1
「何だって!?」
王太子は驚愕した様子で声を上げた。
「えっ、聖獣が?」
同時に、私もびっくりして声を上げる。
なぜなら聖獣が亡くなる可能性について、考えたこともなかったからだ。
私がプレイした乙女ゲームの世界では、今から1年後の未来にも、聖獣はしっかり生きていた。
そのため、聖獣が存在し続けることについて、疑問を抱いたこともなかったのだ。
……けれど、と考えながら、私は唇を噛みしめる。
実のところ、少しずつゲームの世界とこの世界がズレてきているのは感じていた。
亡くなるはずだったセリアが生きているし、ゲームの中にはなかった『世界樹の魔法使い』や『四星』といった存在が登場しているのだから。
他にも足に後遺症が残ったはずのラカーシュが無事だったり、だらしのない2級品だった兄が特級品に変わったり、といった違いがいくつも見られるのだ。
もしかしたらこの世界は、ゲームの世界と同じもののように見えて、実際は非常に似通った異なる世界なのかもしれない。
あるいは、何らかの異分子が混入したことで、ゲームの世界が変化し始めたのか。
いずれにしても、「ゲームの中ではこうだったから、この世界でもこうなる」とは、もはや言い切れないように思われる。
つまり、聖獣が1年後も無事かどうかは分からないのだ。
けれど……聖獣が無事でなければ兄の腕は戻らないし、聖山には再び魔物が棲み付いてしまうし、聖獣の存在に安心感を覚えている国民の希望が失われてしまう。
「セリア様、『先見』で聖獣が魔物に襲われるところを見たとのことですが、どのような状況だったか分かりますか?」
何かできることはないだろうかと考え、セリアに質問すると、彼女はぶんぶんと大きく首を縦に振った。
「ええ、お姉様! 辺りは真っ暗闇だったので夜でした。そして、相手は2頭いましたわ。でもそれ以上のことは分かりませんの。聖獣が襲われた次の瞬間、『先見』は新たな場面に切り替わってしまいましたから。そして、その場面では既に、聖獣はボロボロの姿で地に伏していました」
「まあ、……でも、夜に2頭の魔物から襲われることは、間違いないんですよね? 眠っているところを2頭で襲うなんて、卑怯な魔物だわ! というよりも、『鳥目』と言うくらいだから、暗闇の中で鳥は目が見えないわよね。その弱点を狙ったのだとしたら、さらに卑怯だわ。い、いえ、聖獣を鳥と同じ扱いにしていいかは分からないけど」
腹立たし気に感想を漏らすと、ラカーシュが冷静に訂正してきた。
「ルチアーナ嬢、『鳥目』というのはただの言い回しだ。多くの鳥は夜でも目が見える」
「えっ!」
そ、そうなの? 知らなかったわ。
「恐らく不死鳥も夜目は利くはずだ」
そ、そうなのね。知らなかった……。
大いなる勘違いを披露した私は、これ以上無知を晒してはいけないと考えて口を噤むことにする。
黙って聞いていたところ、聖獣が襲われる日時は特定できないけれど、襲われる時間帯は日没から夜明けまでで、場所は聖山の頂付近らしいことを理解する。
誰もが聖獣を守護することを最優先事項と考えているようで、日時が分からないのであれば、早速今日から毎日、夜の間は聖獣の近くで過ごそうということで話がまとまった。
そのため、私たちは準備を整えると、日が暮れる前に転移陣で聖山の頂に移動することにする。
けれど、そこで突然、セリアが自分は同行せずにリリウム城に残ると言い出した。
「私はここへ残ります。エルネスト様にお兄様、お姉様の3人が突然いなくなったら、どんな説明を受けたとしても生徒たちは動揺するでしょう。ですから、私はここに残って、皆様をフォローしておきます」
きっぱりとそう言い切ったセリアは、高位貴族のご令嬢として立派な責任感を持っているように見えた。
セリアとの最終調整も終わり、さあ、出発しようという時になって、王太子の側近や騎士、魔術師たちが詰めかけてきた。
聖山への転移陣は1度に3人しか使用できないのだけれど、王太子とラカーシュ、私の3人で向かうことに苦情を申し立てに来たのだ。
王太子とラカーシュは絶対に自分が行くと言って譲らなかったし、私はもしかしたら力になれるのではないかと思いながら立候補すると、ラカーシュが後押ししてくれたために決まったメンバーだ。
この3人にプラスして騎士たちを同行できればよかったのだけれど、魔術陣と同じように、転移陣も1度使用した後は一定の時間を置かないと、再度使用することができないのだ。
そのため、王太子を護衛する騎士や魔術師、彼の身の安全を案じる侍従たちが、王太子の代わりに聖山に行くと申し出てきた。
けれど、王太子は全く聞き入れる様子がなく、一顧だにしていない。
私がお粗末な火魔術しか使用できないことは周知の事実だ。
そのため、このまま王太子が彼らを突っぱねていると、私の代わりに騎士たちが同行すると言い出す未来が見えるような気がした。
そして、そう主張された場合、「私の方が役に立ちます!」と面と向かって言い切れる自信が私にはなかった。
フリティラリア城で「風花」の魔法を発動した時も、虹樹海で「藤波」の魔法を発動した時も、どちらもギリギリの状態で何とか行使することができただけなのだから。
そして、残念なことに、私は今だもって魔法の発動方法がよく分かっていなかった。
カドレア城から戻った後、一人で魔法の練習をしてみたけれど、一度も発動することができなかったのだから。
そのため、ここは皆さんに貴重な1席を譲るべきだろうか、と行動を決めかねていると、セリアがぎゅっと手を握ってきた。
「お姉様、ここは私たちが引き受けますから、お姉様はいったんこの部屋から退出してください。我こそはと考えている騎士や魔術師たちから、『自分と代わってくれ』と言い出されたら、対応が大変ですから」
「セリア様……」
そのいかにも私が同行することが決定事項とばかりのセリアに、自信を持ち切れない私は弱々しく呟く。
けれど、セリアは私の自信のなさをはねつけるかのように、きっぱりと言い切った。
「侯爵令嬢であるお姉様を、危険な場所に向かわせることは非常識だと、十分理解しています! ですが、私は幼い頃から、王家の皆様がどれほど聖獣を大切にしてきたかを見てきました! 聖山ではお姉様の力が必ず必要になります! どうか私を救ってくれたように、聖獣を救ってください!!」
セリアの言葉は迷っていた私を後押しするのに十分な、力強いものだった。
「そう……その通りだわ。私にできることがあるのならば、精一杯やらないと」
私は自分に言い聞かせると、セリアにお礼を言って部屋を出た。
その際、「私は先に転移陣のところに行っていますと、お2人に伝えておいてください」とセリアに伝言を頼む。
すると、セリアから何か言いたげに見つめられたため首を傾げた。
もしかしたらセリアには、まだ何か心配ごとがあるのかしらと思ったけれど、彼女は何でもないと話を打ち切った。
そのため、私は首を捻りながらも、1人で転移陣が描かれている部屋に向かったのだった。
足早に転移陣がある部屋まで移動すると、既に話が通してあったようで、扉を守る騎士たちから扉を開けて中に通された。
部屋の中には、王宮へ通じる転移陣や辺境伯領へ通じる転移陣―――この城は、有事の際の脱出用も兼ねているので、隣国との国境付近へ通じる転移陣もあるのだ―――に交じって、聖山へつながる転移陣が設置してあった。
両手で荷物を抱えたまま、聖山へつながる転移陣の前で待っていると、しばらくして扉が開き、王太子とラカーシュが現れた。
2人きりで、誰も付いてきていない様子から、どうやら皆を納得させられたみたいね、とほっと安心する。
けれど、私を見た途端、2人ははっきりと眉根を寄せた。
「どうかしましたか?」
何かまずいことでもあったのだろうかと心配になって尋ねると、王太子が難しい顔をしたまま口を開いた。
「もちろん、どうかしたに決まっている。なぜ君は正確に、聖山につながる転移陣の前に立っているのだ? そもそもこの部屋の場所すら秘密にしていたはずで、君がこの部屋に辿り着けたことが驚愕に値する。もっと言うならば、この城に転移陣があることすら秘密にしていたはずなのだが、君はセリアが転移陣で移動してきたという話を、当然のこととして受け入れていたな」
「えっ!」
王太子が次々と口にする言葉を聞いて、こういうところだわと反省する。
誰もが当然のように理解していることとして振る舞った場合、私もつられて、知っていることとして行動してしまうのだ。
「か、勘と想像です! 私だったらこのお城の、この部屋の、この場所に転移陣を設置するかしら、なんて勝手に想像していたら、たまたま当たったというか……」
自分で話しながら、妄想でここまで具体的に思い浮かべるとしたら、私は絶対に近寄りたくない人物だわと思う。
けれど、2人は私よりも許容範囲が広かったようで、ため息1つついただけで、それ以上は突っ込まないでいてくれた。
あるいは、これから聖山に向かうのだから、無駄な時間を使いたくなかっただけかもしれない。
「騎士や魔術師たちは、徒歩で聖山を登ることで納得してもらった。1日か2日もすれば、皆は山の頂まで辿り着くだろう。私たちは夜毎に転移陣で聖山を訪れる予定だから、上手くいけば、明日の夜からは皆と合流できる」
王太子はそう説明すると、転移陣の上に立つよう促してきた。
そのため、ラカーシュと私は王太子とともに転移陣の上に立つ。
王太子が陣発動の呪文を口にすると、転移陣は光を放ち、私たちは一瞬にしてリリウム城から消え失せたのだった。







