170 白百合領視察 1
視察先として訪れたのは、聖山の麓に近いルナル村だった。
白百合領と言えば、聖獣と聖獣が棲む聖山が有名なため、聖山に近い村を訪問して、昔から伝わっている古い伝承や、その地の暮らしぶりを教えてもらおうと思ったのだ。
前もって話が伝わっていたらしく、村長らしき方の出迎えを受けたけれど、彼は王太子を見た途端、驚いた様子で数歩後ずさった。
「お、おお王太子殿下! こ、このような地をご訪問いただき、誠にありがとうございます!!」
突然の世継の君の登場に、緊張した様子を見せる村長に対し、王太子は気軽に片手を上げる。
「顔を上げてくれ。連絡もなく、突然来てすまなかったな。今日は村の中を好きに見て回る予定だから、案内は不要だ。村長がいると皆も緊張して、気軽な言葉を発しにくいだろうからな」
「え……」
村長の顔には、村の長ごときよりも、一国の王太子に相対する方が何倍も緊張するし、言葉を発しにくい、と言いたそうな気持ちが表れていたけれど、王太子に対して反論できるはずもなく、無言のまま頷いていた。
その様子がおかしかったため、私はこっそりラカーシュに耳打ちする。
「ラカーシュ様、聞きましたか? 村長よりも、王太子殿下を相手にした方が、何倍も皆さんは緊張するでしょうに、殿下は案外自分のことは分かっていないんですね。これは、村の皆さんを困らせないためにも、私が質問役を買って出た方がよさそうですね!」
すると、ラカーシュは私の頭のてっぺんから足元までを無言で眺めた後、小さく頷いた。
「なるほど、案外自分のことは分からないというのは、その通りのようだな。君ほどの佳人から話しかけられたら、誰だって言葉に詰まるだろうことを理解していないのだから。エルネストも君も不適と言うのであれば、ここは私の出番だろう」
「…………」
ラカーシュの言葉を聞いた村長は、ものすごく何かを言いたそうな表情を浮かべたけれど、立場上我慢したようで、無言を貫いていた。
代わりに、それほどの立場もなく、我慢強くもなそうな村人の1人が、ぽつりと呟く。
「いや……、フリティラリア公爵家様も同じ……」
その言葉を拾ったラカーシュが、全く理解できないという表情を浮かべたため、私はもう1度同じことを考えた。
まあ、本当に自分のことは分からないものね。
ラカーシュみたいに誰が見ても貴族の頂点から話しかけられたら、緊張で返事もできないでしょうに、そのことに気付いてもいないなんて!
そして、ラカーシュは私も同様だと考えているような発言をしたけれど、私は2人と違い元庶民だから、皆の中に溶け込むのはお手の物だわ! 見てなさいよ。
と、そう考えてにまりとする。
……そんな風に、それぞれしたり顔で頷く王太子、ラカーシュ、私の3人を、村の人々は生暖かい目で見つめていた。
さて、始まりこそそんな調子だったけれど、視察は案外スムーズに進んでいった。
予想以上に王太子がいい仕事をしたのだ。
もちろん、多くの者は王太子を相手に緊張している様子だったけれど、彼らは緊張しながらも、丁寧に王太子の質問に答えていた。
そのことから、彼が領地の者たちから慕われていることを理解する。
今も、わざわざこの村を訪れてくれた王太子のためにと、とっておきの籠を取りに行った住民を待っているところで、彼らは心から王太子を歓待しているようだ。
さらに、領民たちの話の端々から、王太子が頻繁にこの地を訪れていることが読み取れたため、公務と学園で忙しいはずなのに、合間を縫って自領を訪問しているなんて立派だわと感心する。
そのため、すごいわねーと思いながら王太子を見つめていると、止めてくれとばかりに片手を振られた。
「ルチアーナ嬢、他人を称賛の眼差しで見つめるなど、君らしくない行いだな。もしもこれが演技だとしたら、時間の無駄だから止めてくれ」
「まあ、婉曲な言葉の裏に嫌味をまぶす、王太子お得意の話し方はどこにいったんですか? 白百合領は領地だけあって、殿下はすごくリラックスできるんですかね。おかげで、人当たりのいい外面がお留守になって、素が出てきていますよ」
王太子からストレートに悪口を言われたため、驚いて言い返すと、彼はため息をついた。
「どういうわけか、私が綺麗に覆い隠したはずの本音を、君は正確に読み取るからな。婉曲な表現を考えるために頭を使うことが、馬鹿らしく思われてきたのだ。そのため、他の者がいない時は、素直に思ったままを口にすることにした」
「なるほど。それは理にかなっていますね」
元々王太子には合理的な一面があるし、ものすごく忙しい立場にあるから、悪役令嬢にまで頭を使っていられないわよね、と納得する。
すると、王太子は考えるかのように小首を傾げた。
「一方、私は君の心情を読み取れないから、君は自分の考えを隠すために黙っていればいいのに、つられて心の裡がぺらぺらと口に出ているぞ」
「えっ!」
王太子に指摘されたことで、普段は心の中に留めておくような本音をしゃべってしまったことに気付き、慌てて両手で口元を押えると、彼はおかしそうな表情を浮かべた。
「君みたいな口調を歯に衣着せぬと言うのだろうな。嫌いではないから、私の前ではその調子で構わない」
「いや、ですが、私はできるだけ悪役令嬢っぽくない言動を取りたくてですね……」
「悪役令嬢? 浅学のため、その単語の意味は分からないが、……君は変わったな」
王太子は正面から私を見つめると、しみじみとした声を出した。
「えっ?」
「元々、ラカーシュから君は変わったと聞いていた。だが、今の彼は少々特殊な状態にあるため、話半分に聞いていたのだが……」
そう言いながら、王太子が隣に立っているラカーシュをちらりと見つめると、彼は不快そうに顔を歪めた。
そんなラカーシュに苦笑すると、王太子は再び私に顔を向ける。
「今日、一緒に行動したことで実感した。以前のルチアーナ嬢は自分のことだけを考えて行動していたが、今の君は思いやりを身に付けている。君が発する言葉も……今のように鋭いことを言う時はあるが、口にするのは事実だし、他人を傷付けるものではない」
突然の誉め言葉ともとれる王太子の発言に、私はびっくりして目を見張った。
一体王太子はどうしたのかしら、と戸惑いを覚えたけれど、彼は同じ調子で言葉を続ける。
「正直、こんな短期間で人は変われるものなのだと、私は驚いている」
そのため、あれ、これは本気で私の変化を認めてくれているのかしら、と驚いて言葉が滑り出た。
「えっ、それはありがたいお言葉ですが、判断を下すのが早過ぎませんか? 私が下心を持っていて、しおらしい演技をしているかもしれませんよ」
けれど、王太子から即座に、「君の態度にしおらしさは感じない」と否定される。ぎゃふん。
「私は王宮で、多くの者に囲まれている。皆、色々な思惑を持って近付いてくるから、私にとって1番必要なのは、人の本質を見抜く能力だ。幼い頃から多くの者を観察してきたため、その精度はだいぶ上がってきたと考えているのだが……その私の目から見て、君は以前とは別人だ。演技ではない」
王太子からはっきりと断定されたため、私はぎくりと身をすくませた。
そんな私を冷静に見つめると、王太子はふっと小さく微笑んだ。
「君にとって、その変化は悪いものではないだろう。人格は生まれや育った環境に影響される。君の家族は君を大事にしてきたようだから、そのせいもあって、君は自分を特別だと思い込み、あのような性格が形成されたのだと考えていたが……それを途中で見直せるとしたら、大したものだ」
いつも読んでいただきありがとうございます!
おかげさまで、ノベル4巻&コミックス1巻のどちらも重版しました!
たくさんの方にお手に取っていただいたおかげです。ありがとうございます(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)”
また、電子版もノベル&コミックスともにすごく好調とのことで、こちらもありがとうございます(♡ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
(お礼を言いたくて更新しました)







