17 フリティラリア公爵の誕生祭 8
たった1発の初級魔術を発動しただけで、息も絶え絶えの状態になってしまった自分を省みて、私は心底情けない思いだった。
学園で行った魔術の演習では、数発の魔術を行使できたはずで、その際もこれほど消耗してはいなかったのにと考える。
実戦の緊張感は演習時のそれとは比べ物にならず、体が不必要に強張っていることが原因だと思われた。
息が上がり、はぁはぁと荒い息を繰り返す私をちらりと見ると、ラカーシュは冷ややかな声を掛けた。
「下がっていろ、ダイアンサス侯爵令嬢。その程度の魔術では、意識逸らしの役にすら立たない。せめて私の邪魔にならないようにしてくれ」
声を出すことも難しかった私は、かすかに頷くと、後ろ向きに下がろうとした。
そのため、一瞬だけ足元を確認する。
けれど、その一瞬の隙をついて、魔物の頭の一つが私を目掛けて襲い掛かってきた。
「ダイアンサス!」
気付いた時には、ラカーシュに突き飛ばされていた。
「えっ!?」
基本的に、魔術師は魔術陣を展開している際、その陣から離れることはない。
なぜなら、魔術師が円陣から離れた瞬間に魔術陣は消失してしまい、再度魔術陣を描こうとする場合、一定時間の経過を待たないといけないからだ。
だからこそ、その中に位置するだけで魔術を強化できる陣を捨てることなど、魔術師は絶対に行わない。……だというのに。
なのに、ラカーシュは陣を捨てて飛び出してくると、私を突き飛ばしてくれた。
正に今、その強力なあごで魔物にかみ砕かれ、絶命しようとしていた私を救うために。
「……はっ、はっ、はっ」
私は床に倒れ伏したまま、どうにも乱れた呼吸を繰り返しながら、茫然と目の前に立つラカーシュを見つめていた。
「どうして……」
思わず言葉が零れる。
どうして、自分の身を危険にさらしてまで、私を救ってくれたのだろう?
ラカーシュはつきまとう私に迷惑していたはずだ。
ラカーシュにとって大事なことは、自分の命と妹の命を守ることのはずだ。
目の前の魔物が非常に強力であることを認識したラカーシュには、私のことまで気に掛ける余裕はないはずだ。
なのに、どうして……
「貴族の義務だ」
ラカーシュは何でもないことのように言い捨てると、ちらりと私を見た。
「下がれ。そして、隙を見てセリアと逃げろ」
その時の私には、正しい判断ができる情報を何も持ち合わせていなかった。
魔物のランクが分からない。ラカーシュの強さが分からない。
だから、それらを一番理解していそうなラカーシュに従った。
震える足で立ち上がると、うずくまっているセリアの元まで駆け寄り、腕を取って立たせる。
それから、セリアの背中を押すようにして、扉まで誘導した。
ふらつく足を叱咤して、出来るだけ急いで扉に向かう。
けれど、私たちの進路を妨害するかのように、何かが目の前に落ちてきた。
ぐしゃりと。
不自然に足がねじ曲がった状態のラカーシュが。
「ラカーシュ!」
「お、お、お、お兄様!!」
「………騒ぐな。生きている」
ラカーシュは短く答えると、素早く立ち上がり魔物へむかって片手を向ける。
「火魔術 <修の5> 炎粉盾!」
ラカーシュの言葉に呼応して、ラカーシュの身体全体を守るかのように、ぱらぱらと炎の粉をまき散らしながら半円状の炎の盾が出現する。
「はっ……守護にまわるあたり、悪手もいいところだな。セリア、ダイアンサス、私が堪えている間に、その扉から……」
双頭緑蛇を見つめながら言葉を発していたラカーシュだったけれど、驚いたかのように目を見開くと、不自然な形で言葉が途切れた。
なぜなら、双頭の魔物が目の前で二つに分かれたからだ。
まるで、初めから1頭1尾の蛇であったかのように、まっぷたつに。
そして、そのうちの1頭は素早く扉の前にすべっていくと、扉を塞ぐような形で位置した。
「く……」
ラカーシュが悔し気に唇を噛む。
1度に2つの魔術を行使することはできない。
つまり、2頭の魔物が2方向に出現している現状では、1方向しか守れない盾では対応できないということだ。
決断を迫られたラカーシュはあっさりと魔術の盾を消失させると、扉の前に位置した魔物へ向かって片手を構えた。
「いいか、私が隙をつくる。その間に扉から外へ出ろ。絶対に君たちに被害は出さない。だから、怖くても、魔物が追いすがってきても、決して足を止めるな」
ラカーシュは2頭の魔物を両にらみしながら、セリアと私に話しかけた。
そして、返事も待たずに魔術を発動させる。
「火魔術 <威の2> 尖叉青槍!!」
言葉と共にラカーシュの両手からそれぞれに、青い炎の槍が出現した。
思わず息を詰める。
それは、見ているだけで呼吸が苦しくなるような、迫力と威力をもった炎の槍だった。
先ほどまでの魔術とはエネルギー量が全く異なることは、目を瞑っていても分かるほどだ。
ラカーシュが両手を振り下ろすと、ごおおおと不穏な音を響かせながら、炎の槍はその周りに青い炎を巻き付かせて、一直線にそれぞれの魔物を狙っていった。
そして、避ける間もなく2頭の魔物の喉元を貫通する。
それを見た私はセリアの手を握ると、一目散に駆け出した。
どうしてラカーシュが上級魔術を使えるのだろうとか、ものすごい精度だわとか、色々と思ったけれど、全ての考えを頭から追い払い、ただただ足を動かす。
けれど、槍の太さが不十分だったのか、それとも、急所からずれたのか、2頭の魔物は絶命することなく、苦悶の表情を浮かべながらも尾の部分のみを地面に接地すると、ぐんと頭部を高く持ち上げた。
扉口で待ち構えている双頭緑蛇だったモノのうちの1頭が、大きく口を開ける。
噛まれるかもしれない、とは思ったけれど、それでも逃げられるとしたら今しかないと走り続ける。
少なくともセリアだけでも逃がせればと、握っていた手を繋ぎ変えて、魔物側に自分がくるように場所を入れ替わる。
「火魔術 <修の2> 炎燃槍!」
ラカーシュが再び魔術を発動する声が聞こえた。
上級魔術は威力が桁違いな分、消費する魔力も桁違いだ。
中級魔術に切り替えたことから推測するに、多分、ラカーシュが発動できる上級魔術は1度きりなのだろう。
相変わらずの精度の良さで、魔術の槍は魔物の額に刺さったけれど、残念なことに威力が足りていない。
単頭緑蛇は僅かに頭をかしげたけれど、気にした風もなく大きく口を開け、私を丸のみしようとでもいうかのように迫ってきた。







