131 兄妹デート 1
動きやすい格好でと言われ、着替えてきた私が連れて行かれたのは、景色のいい自然公園だった。
高位貴族の兄が考えるデートといえば、街のお洒落なカフェに入ったり、高級店でショッピングをしたりすることだと思っていたので意外に感じる。
季節は紅葉の時期で、私はリボンがたくさんついた日除けのパラソルを片手に持つと、兄と公園内を並んで歩きながら、赤や黄色に色付いている木々を眺めた。
兄とは身長差があるため、足の長さも異なるはずだけれど、普段通りのペースで歩けているので、歩幅を合わせてくれているのだろう。
こういう気遣いはさすがだわと感心していると、兄は公園内の見どころを順番に案内してくれた。
1つ1つ丁寧に足を止めては私の表情を確認しながら、興味に合わせて説明の長さを調整してくれる。
至れり尽くせりな態度に感心していたけれど、兄は楽しそうな表情を崩さなかったので、人をもてなすことが好きなのかもしれない。
兄のウィットに富んだ説明を頷きながら聞いていると、近くで景色を楽しんでいた幾人かのご令嬢たちが、うっとりした様子で兄の説明に聞きほれていた。
それから、こそこそと小さな声で言葉を交わし始める。
「なんてお美しい殿方でしょう! お声も麗しいし、その上、博識なことといったら! 何を質問されても言いよどむことなくお答えできるなんて、並大抵の知識量ではありませんわ」
「本当に。着用されているお召し物も高級ですし、よっぽど名のある貴族の方でしょうね」
手放しで褒められる兄を見て、ああ、確かに兄は素敵よね、そんな彼を独占するものではないのかもしれないと気が引けていると、兄は片手を差し出してきた。
「ルチアーナ、公園の東側にある湖へ行ってみないか? 湖面に映る紅葉が見事だぞ」
女性たちの声が聞こえていないはずはないだろうに、あくまで私しか目に入らない様子で誘い掛けてくる兄に、頬が熱を持つ。
ああ、誰よりも女性に優しい兄が、周りに集まってくるご令嬢たちに微笑みもしない光景を初めて見たわ。
そのことを気恥ずかしくも申し訳なく思いながら、差し出された兄の手を取る。
兄の肘に手を掛けて並んで歩いていると、通行が制限されている小道の前で立ち止まられた。
小道の前に立ち塞がり、通行を取り締まっている様子の男性に、兄が2言、3言、言葉を発すると、その男性は「お待ちください」と言いながら小道の前に巡らせてあった太い紐を外してくれた。
「お兄様?」
どうして通してもらえるのかしらと不思議に思って尋ねると、兄は肩を竦めた。
「うむ、残念なことに、先月の強風被害の影響で、この道は整備不良の状態なのだ。そのため、自己責任で対応可能な者だけが、通れるようになっている。この道の向こう側から眺める湖は絶景なので、通り抜けたいと思うのだが、どうする?」
「いや、いくら自己責任といっても、通行禁止の道を通してもらえるはずないですよね。一体、何をしたんですか?」
じとりとねめつけると、兄は小さく微笑んだ。
「さすがルチアーナだ。お前は言われたことを鵜吞みにせず、きちんと自分で考えるのだな。立派なものだ」
兄は私を褒めることで返事に替えると、手を取って小道を歩き始めた。
私が転ばないように補助するためかと思ったけれど、その道はどこまで歩いても整備不良という印象はなく、とても綺麗な道だった。
立ち止まり、小首を傾げる私を見て、兄がコメントしてきた。
「ルチアーナ、私もお前と同じように驚いている。実際に昨日までのこの道は、とても通れる状態ではなかったのだからな。この道の先にお前を案内したかったので、魔術師団の連中に整備を依頼したのだが、……なるほど、短時間での突貫作業にもかかわらず、いい仕事をするものだ。明日以降にでも、この道は一般解放できるだろうな」
「えっ!」
どうやら兄は、我が王国が誇る魔術師団の魔術師たちに、この道を魔術で整備してもらったらしい。
確かに兄は3年前まで魔術師団の一員で、多くの魔術師たちが我が家を訪れていたことからも、仲が良い方がたくさんいることが推測できるけれど、それにしたって貴重なる魔術師様の使い方を間違っているのではないだろうか。
魔術師の方々は間違いなく、『オレは道を整備するために魔術を身に付けたんじゃない!』と苦情を言っていたはずだ。
けれど、兄がそんな無理を言ったのも……幾らかは魔術師の方々との変わったコミュニケーションのためかもしれないが、残りはきっと私のためなのだろう。
そのことが分かっていたため、兄にお礼を言う。
「お兄様、ありがとうございます」
すると、兄は大したことではないとばかりにひらひらと片手を振った。
その姿が兄らしく、思わず笑みが零れる。
「お兄様はお礼を言われると、途端に自分の手柄ではないという顔をするんですね。けれど、少なくとも明日からこの小道を使用される方々は、お兄様と魔術師団の方々に感謝するはずですわ」
兄は肩を竦めることで返事に替えると、再び歩き出した。
道の先は、紅葉が美しい大樹が幾つも植わっている場所だった。
さくさくとした音を響かせながら枯葉を踏みしめ、綺麗に色付いた木々を見上げる。
少し進んだ先には、お目当ての湖が広がっていた。
その湖に紅葉した木々が映り込んでいるのだけれど、少し離れた場所から眺めたその「逆さ紅葉」は、息を飲むほどに美しかった。
これだけ見事な光景だ。
普段であれば人で溢れかえっている場所だろうに、通路が使用禁止になっていたため、兄と私以外は誰もいなかった。
そのため、美しい光景に静謐な荘厳さが加わっている。
思わず足を止めて見惚れていると、さわさわと湖を渡る風が吹いてきて、何とも言えない心地よさを感じた。
……ああ、色々なものから解放されていくようだわ。
頭のてっぺんから足の先までまとわりついていた重く不快なものたちが、爽やかな風によって吹き払われる感覚を味わう。
しばらくの間、無言で風に吹かれていると、体中が生き返ったような気持になった。
そして、冷えた頭で理解した。
―――お兄様は、私が必要としている場所に、正しく連れてきてくれたのだわ。
街中で華やかなものたちに囲まれて心浮き立たせるのもいいけれど、私はこのしんとした空気の中に立って、心を落ち着かせることが必要だったのだ。
心が洗われたような気持ちになって湖面を眺めていると、風向きが変わったのか、ふわりと爽やかなパルファンの香りが漂ってきた。
その香りが誰のものであるのかを理解した私は、ゆっくり振り返ると、感謝とともに兄を見上げる。
「……お兄様」
すると、優しい目をした兄と視線が合った。
その表情を見て、私は即座に理解する。
……ああ、そうか。
兄は私が自分と向き合えるようにと、気配を消して辛抱強く待っていてくれたのだ。
また、やられてしまった。
デートという単語に慌ててしまい、あわあわと一緒についてきたけれど、恐らく兄は最初から、私のために今日一日を使うつもりでいたのだ。
けれど、素直にそう提案されたら、迷惑を掛けた私のために、さらに兄の時間を使わせるわけにいかないと断ることが明白だったため、兄は敢えて私が動揺し、判断不能になるような刺激的な単語を使ったのだ。
そして、私はそんな兄にまんまと乗せられてしまった。
……ああ、こんな風にどこまでも思いやってくれる兄に対し、私は一体何ができるだろう?
―――実際に、腕を失ったのは兄だ。
だからこそ、リハビリの期間が終わり、日常生活に戻ったことで、兄は隻腕になったことを実感する場面に幾つも遭遇したはずだ。
たとえば肘から先が潰れた服のシルエットを目にする度に、あるいは片腕であることに不自由さを感じる度に、何度も何度も腕を失ったことを思い知らされ、やるせない気持ちを抱いたに違いない。
にもかかわらず、一度も―――ただの一度も、兄は後悔している様子も、疲れた様子も、落ち込んでいる様子も見せず、いつだってこれまで通りの姿を私に見せてくれている。
当事者でもない私がこんなにも後悔して、疲弊して、落ち込んでいるのだから、兄がそれらの感情を覚えないはずはないのに、全てを抑え込んで私には決して見せようとしない。
そして、逆に、兄の半分の半分の半分以下の疲れを感じている私を心配して、連れ出してくれ、気分を変えようとしてくれているのだ。
……ああ、私は兄のために何でもしようと思っていて、そのことは心からの思いだというのに―――兄が私を想う強さには、とても敵わないような気持ちにさせられる。
そんな兄は、私が罪悪感を抱えていることを理解しているからこそ、その気持ちを払拭するために無茶をしでかさないかと心配しているのだ。
そう考えた時、兄が私を連れ出した真の目的が分かったように思われた。
―――ああ、そうだ。
恐らくサフィアお兄様は、失った兄の腕を取り戻すために何もしないよう、私を説得するつもりなのだ。







