98 カドレア城 17
兄の発声を聞いた瞬間、言い間違えたのだと思った。
なぜなら、兄が口にしたのは「天の1」だ。
この世界にある魔術は、初級「初」、中級「修」、上級「威」の3つだけで、「天」という区分は存在しない。
だから、魔術の発動が失敗して兄にはね返ることを心配した私は、ふらふらとした体で慌てて兄の下に走り寄っていったのだけれど。
私の予想を裏切って、兄が魔術名を口にした途端、―――世界の門が開いた。
無風だった部屋の中、温度の異なる空気が流れ込み、兄の髪を巻き上げる。
「……えっ!?」
何が起こっているのか分からず驚く前で、兄は伏せていた目を上げた。
白銀の瞳がきらきらと輝き、その瞳を中心に膨大な量の魔力が兄の周りを渦巻いている。
―――ああ、あの瞳は特別だ!
瞬間的に、兄の瞳の特異さを理解する。
どういう仕組みかは不明だが、兄の瞳は膨大な量の魔力を反射させ、増幅させる役割を担っているように見えた。
だからこそ、1度にこれほど大量の魔力を使用した魔術を発動できるのだろう。
息をすることも苦しいほど、圧縮された大量の魔力が1点に集中していく―――兄の左手に。
魔術陣に描かれた撫子と同じ模様が刻まれた左手を兄がかざすと、うねる水の螺旋が竜を形取って左右から東星に襲い掛かった。
同時に、東星の攻撃も発動していたけれど、―――そして、それは鋭い刃のように兄に襲い掛かっていたのだけれど、力というのはシンプルに強い方が勝つのだと示される。
ぐしゃり、ぐしゃりと、発生する力の大きさを示すほどに大きな音を立てて、風の槍と水の竜がぶつかり合ったけれど、水の竜は力でもって風の槍を喰らうと、ほとんど威力を落とすことなく、そのまま東星に襲い掛かった。
「なっ★」
東星が咄嗟に風の防御壁を出現させたけれど、焦っていたのか無詠唱であったため、それほどの威力があるようには思われなかった。
私の見立て通り、2頭の水竜は難なく風の壁を力でもって叩き壊すと、その大きな口を開け、頭から東星を飲み込んだ。
水の渦巻く音が東星の叫び声をかき消す。
しばらくの後、水竜が姿を消すと、息も絶え絶えの様子で床に座り込んでいる東星の姿が現れた。
ぜーぜーと荒い息を繰り返しており、体中のあちこちから出血している。
「悪いな、カドレア。この魔術は繊細な魔力制御を必要とするのだが、私は体に戻ったばかりの魔力を上手く制御できていない。だから、これ以上戦うと、私の本意とは異なり君を傷付けてしまうだろう。ここで一旦、休戦してもらえないか?」
「……サフィア」
「ああ」
「サフィア、サフィアァ、サフィアァァァ!!」
「ああ。……ああ。……ああ」
怒りのあまり兄の名前を叫び出した東星に対し、兄は律義に呼ばれた数だけ返事をする。
「お兄様、礼儀正しい」
こんな非常事態にもかかわらず、女性(東星)に対して礼儀正しくあろうとする兄に対し称賛の声が零れたけれど、師団長が呆れたように否定する。
「いや、あれはおちょくっているだけだ」
あ、やはりそうですか。非常事態だというのに、すごいですね。
「それから、ああは言っているが、サフィアに東星を許すつもりはないだろう。ここで解放しても、東星は再びルチアーナ嬢を襲うだろうからな。サフィアは見かけによらず、きっちりと詰めにいくタイプだ」
ジョシュア師団長の言葉通り、兄は再び東星に対して両手を構えた。
それを見た東星は、悔し気な表情をすると素早く立ち上がり、両手を真横に大きく突き出した。
それからよく通る声で、呪文を唱える。
「転移陣展開<|北|・|南|>」
すると、東星の声に呼応するかのように、東星の右側と左側の空間に大きな門のような形をした転移陣が出現した。
次に、東星は両手を向ける方向を前後に変えると、類似の呪文を唱える。
「転移陣展開<|東|・|西|>」
先ほど同様、東星の掌から真っすぐ伸びた先に転移陣が出現する。
「方角・|東|―――転移<虹樹海・第6層「藍」>」
その瞬間、空間に展開されていた転移陣のうちの1つ―――東方向の陣が強く輝いたかと思うと、足元に大きな転移陣が現れた。
その陣は東星や兄、ジョシュア師団長、ラカーシュのみならず、心配して近付いていた私、その私を心配して近付いたルイス、コンラートまでをも飲み込んだ。







