リコンディション
その谷の奥の美しい入り江には、高い崖からキラキラした日差しが差し込んでいた。幾筋もの細い滝の飛沫に、いつも通り幾重もの虹がかかっている。虹色に輝く結晶が突き出した幻想的な岩場の前には、白いビーチが広がっていた。
派手なビーチパラソルの下に、おしゃれな白いカウチ。傍らの小テーブルには大盛りのフルーツフラッペ。
死にそうな怪我人を抱えた川畑は、あまりにものんきな光景にあきれた。
「あんた、なにこんなところでバカンスしてんだ?」
「ここはワシのお気に入りの入り江だ。来て悪いか」
アロハシャツ姿のキャプテン・セメダインは、髭をピンと立てた。
「お前、いつぞやの小僧だな。なぜワシのマントを着とる」
「のりこに貰ったんだよ」
川畑はマントとアンダーウェアを消して、元のインナーとジョガーパンツの軽装に戻った。
「そんなことより、人魚達見かけなかったか?いつもはここにいっぱい居るんだが」
「ああ、アレ達は今日は留守だ。みんなで沖合いに漁に行ってる」
「くそう、それじゃ仙桃は無理か」
川畑はすでに気を失っているダーリングを砂浜に下ろした。
「なんだ。そやつ死にかけか」
「ここなら人魚に仙桃を分けてもらえると思ったんだ。アレなら一発で全快する。この人には今死なれちゃ困るんだ」
キャプテンは、横たわったダーリングの傍らに座り込んだ川畑を見下ろして、「ふーん」と気のない声を上げて髭をひねった。
「まぁ、ワシには関係ない話だな。ワシはバカンス中だし」
キャプテンはカウチに悠々と寝そべった。
「バカンスのビーチに男の死体が転がっているとか、勘弁してほしいんで、引き取ってくれんか?」
「……わかった」
沈痛な顔でダーリングを抱き上げた川畑に、キャプテンはひらひらと手を振った。
「そうしょげた顔をするな。かき氷の一杯位おごってやろう」
今はそれどころではないといいかけた川畑に、キャプテンは大盛りのフルーツフラッペを差し出した。
「ピーチ大盛りの特製だ。うまいぞ」
「ゾンビの口に塩を詰める作業って、こんな感じかなぁ」
意識のないダーリングの口に仙桃シロップがけのかき氷を突っ込みながら、川畑はまぶしい日差しを見上げた。
「気を付けろよ。初めてソレ食った直後は、体が根源から再構成されるせいで昏睡状態になるからな」
ビーチパラソルの下でカウチに寝そべったキャプテンは、何かのパンフレットを見ながらのんびりそう言った。
「あー、そういえば俺も食った後、ぐっすり寝た覚えがあるなぁ。まぁ、時間の方は戻るときあっちの出現時間を調節すればいっか」
川畑は時折少し痙攣するダーリングの口に、かき氷をもう一匙突っ込んだ。
「またなんかややこしいことに首を突っ込んどるのか」
「今度は別に世界の命運はかかってないぞ。豪華客船が宇宙戦艦に衝突して、収まりかけの戦争が再発しそうなのを止めようとしてるだけだ」
「嬢ちゃんは巻き込んどらんな?」
「のりこは自分の世界で、普通に学校に通ってるよ」
川畑はちょっと後ろめたい気持ちで目をそらせた。
「ほー」
「……ただし、のりこの偽体が豪華客船に乗ってます」
「ろくなことをせんな」
仰るとおり過ぎて、何も言い返せないので、川畑は腹立ち紛れに、潰した果肉をダーリングの口に突っ込んで無理やり咀嚼させた。
「最初からあまり大量に食わせると、変化に体が耐えられんぞ」
「えっ!そういうものなのか?」
「お前、ソレ、不老長寿の霊薬で精神的な力を馬鹿げた量増大させる劇薬だからな」
「そんな感じの効果があるとは聞いたけど、食い過ぎると体に悪いとは思ってなかった。あんたも何でそんなものフラッペにかけてんの」
「あー、まー、なんだ。疲れたときには、効くよな」
「あー、うん」
この話題はお互いにとって都合が悪そうだと思ったロクデナシ二人は、しばらく黙って波の音を聞いていた。
「ボードゲームでもするか」
フラッペの残りを平らげて、体を休めていた川畑に、キャプテンが声をかけた。
「いいけど、ボードどこに置く?」
川畑は、キャプテンのカウチから離れたところで、ダーリングの頭を抱えて座っていた。ボードゲームをするには少し距離があった。
「んなもの、頭ん中でいいだろ。盤のマスとコマの数が把握できてたら遊ぶのに問題はない」
「チェスとか将棋とかそういうやつか。いいぞ。どんなルールだ」
マス目が4次元配置の将棋モドキだった。
「くそう、勝てねぇ」
「はっはっはあー!小僧、筋はいいぞ。うちのボンドなんぞ、いまだに平面でも盤がないと指し間違いよる」
露骨に悔しそうな顔の川畑を見て、キャプテンは嬉しそうにニマニマ笑った。
「なんぞ飲み物でも飲むか?」
「俺が負けたんだ。俺が用意する」
川畑は前回のリベンジがしたくてそう提案した。
「ガキの入れた茶なんぞ要らんわ。それに今そいつを動かすのは良くない」
キャプテンはあっさり断って、川畑の膝に頭をのせたまま昏睡状態のダーリングを指差した。
「普通に寝かせれば良かった」
「まぁ、そういうな。その男だって、お前の膝枕なんぞありがたいとは思わんだろうが、頭部を保護してやるのは悪いこっちゃない」
キャプテンはだらだら歩いてきて、川畑によく冷えたグラスを渡した。
「こいつ、どんな男だ?」
「……責任感が強くて、真面目。自分がした約束に縛られるタイプ。巻き込まれると流されやすいところもあるが、危機に際しては強引なリーダーシップはある。こいつなら不可能を可能にすると周囲が信じるタイプの英雄」
「可哀想な男だなー」
キャプテンは自分のグラスを傾けた。
「もうちょっと気楽に自分本意に生きないと、しょい込んだものに潰されるか、こいつを利用したい奴らに使い潰されるぞ」
「時空監査局の人事部に目をつけられているらしい」
「ゾッとするな」
キャプテンはグラスの中身を干した。川畑も自分のグラスの中身を一気に飲んだ。
「それでこの男を助けたら、不可能が可能になりそうなのか?」
「いや、この人ではどうにもできない不可能案件で、状況は詰んでる。でも、この人を死なせたら、ミッションアンコンプリートだ。だからここに連れてきた」
川畑はダーリングの銀色の髪を整えた。
「不可能案件ねぇ……ちぃっとばかり視野が狭くなってるだけじゃないか?」
キャプテンは髭の端をひねった。
「あいつも妖精ちゃんもみんな消えちまって、俺、こんなところでどうすればいいんだよ」
視界にずっとあった船内図も、さっきまで隣にいた妖精も、きれいさっぱり消えてしまって、MMは"正常"になった自分に戸惑っていた。
とにかく何かしなければと、これ以上、通路からの襲撃がないように簡易バリケードを作り出したところで、頭に中に声が聞こえた。
「悪い、待たせたな。今、全員救出する。お前の視野にガイドラインを表示するから、それに沿って全員立たせてくれ」
「お、お前!今どこにいるんだ!?」
「衝突まで時間がないから急いでくれ」
声が途切れたところで、作りかけのバリケードを越えて、ダーリングが戻ってきた。
「あんた、大丈夫か。怪我はもういいのか?」
「ああ、怪我は全快したらしい。体調はこれまでになくいい。ただし気分は最悪だ」
ダーリングは、眉間にシワを寄せて吠えた。
「畜生め、こうなったら絶対全員無事に地球に連れていくからな」
ダーリングは捕虜達に声をかけ、床に表示された複数の円の中に数人づつ並ばせ始めた。MMは慌ててそれを手伝った。
「みんな、たすかるって。よかったね」
いつの間にか現れていた妖精が、MMの肩をトントンと叩いた。
「……ああ、安心したよ」
MMはかわいい青い妖精を見て、ほっとした自分に苦笑した。




