脱出?
独房のような小部屋に閉じ込められた川畑は、目を閉じて息を整えた。
『キャップ、状況報告』
『あいさー、ますたー』
ノリコに同行させたキャップの耳目を通じてあちらの状況を確認する。ノリコはゾッとするほどの綱渡りで危機を回避していた。今はプールの階層で、他の区画に移動できる通路を探していた。
『キャップ、のりこに伝えてくれ。その第20区画は孤立している。通常の通路では隣の区画には行けないので、安全なところで待っていてくれ。必ず迎えに行く』
『あいさー。うけたま』
川畑はキャップがノリコに伝言を伝えているのを聞きながら、カップを呼んだ。
『カップ、無人で端末のある部屋はあったか?』
『はい。ますたー。ここならだいじょうぶ』
カップの視界を確認すると、暗い部屋で、隅に備え付けの端末の前にいるようだった。
『ガイドで赤い印を出すから、その通りにパネルを押してくれ。キーは小さいが、ピアノと同じだ』
『はーい』
薄暗い部屋でそこだけ光っているパネルの上で、小妖精はヒラヒラ舞うように跳ねながら、画面を操作した。
「(乗客向けにはろくに情報は公開されてないな。乗員向けの情報も錯綜してる。最初の混乱からは立ち直りつつある感じだけど、わりと無事で元気な客のクレーム対応に手が取られてるな。20区の状況はかなり悪いのにそれがこっちに伝わってない。救助は……しばらく望み薄だな)」
川畑が次の画面を表示しようとした時、カップの泣きが入った。
『ますたー、もうつかれたー。ムリ~』
キーボード入力並みの勢いで、全身運動でのパネル操作を要求されたカップは、完全にバテていた。
川畑は奥歯を噛み締めた。
「呼ばれて飛び出て、じゃじゃじゃじゃ~ん」
"D"ボタンで呼び出された帽子の男は、能天気に現れた。
「あれ?なんかえらいややこしい格好ですね。ハエ取り紙に捕まったトンボみたいになって。どうしたんですか?」
アクティビティ用のウイングを着けたまま、粘着テープでグルグル巻きにされたあげく、キャスターにベルトで固定されているひどい状態で、川畑は恨めしそうに、帽子の男を見上げた。口にも医療用のパットが貼られているせいで、いつもの憎まれ口は利けない。
「そんな目で見ても、私じゃ拘束は外せませんからね」
帽子の男は物理的な接触ができない手をヒラヒラ振った。
『ますたーから、おねがいがあるそうです』
川畑の体の影から、ひょっこり現れた妖精を見て、帽子の男は驚いた。
「ええっ!?君、川畑さんの妖精?なんでこの世界にもいられるの」
妖精は帽子の男の前に飛んできた。
『そういう説明は後。のりこが危険だから転移で回収して欲しい。んだそうです』
「ノリコさんどこにいるんですか」
『離れたところ』
「場所を教えてもらえれば、行ってきてもいいですが、ノリコさんが他の誰かと一緒だと転移で回収は避けたいです。この世界であんまり局のこと明かしたくないんですよ。そもそも、ここにいるノリコさんって偽体でしょ。一生懸命助けなくても大丈夫ですよ。本体は無事ですし」
『怖い目に会わせたくない、って言ってます』
「一定以上の精神的ショックをもたらす記憶は本体にフィードバックしないようになってますから平気です。それじゃ、お役にたてそうにないので、私は戻ります。事情はわかりませんが、川畑さんもあまり無茶はしないでくださいね。ここの世界はかなりいい精度で成立してるので、世界設定いじっちゃダメですよ。局の存在も特殊な部署の上層部の極一部にしか知らせてないので、派手な真似は止してください。いいですね。拘束も、この世界のルールに沿って解決してください」
釘を刺すだけ刺して、帽子の男は姿を消した。
「(使えねぇ!)」
川畑は唸った。
帽子の男が言うとおり、ここの世界のノリコはコピー的存在だ。助けなくても、本物のノリコに影響はない。
「(だけど、必ず迎えに行くって約束したんだ)」
道具類は何もかも取り上げられ、着ているものはジムのトレーニングウェア。そもそも徹底的に体の自由が効かない上に、口車も使えない状態で監禁……という冗談のような八方ふさがりだったが、川畑は諦める気はなかった。
「(身元明かさず、ここのルールの範囲内でやってやろうじゃないか)」
まずは協力者の調達だなと、川畑はカップに指示を出した。
『"熊さん"のお部屋に行ってくれ』
『ひとりのほう?たくさんのほう?』
『1人の方だ。今、お前の視野に船内図と合わせて矢印を表示する』
『あっ、このセンナイズってさっきしらべたヤツだ。いつものメイロゲームよりかんたんだね。いってきまーす』
レザベイユは画面を見て、丸い目を瞬かせた。
"たすけてレザベイユあなただけがたよりです"
流通語の綴りが、勝手に入力されていく。手元の入力パネルの上では青い光がちらついていた。
画面が船内図に切り替わり、テーブルの上の工具が固定具から外れて、ふわりと浮き上がった。工具はまっすぐ画面に近づくと、船内図の一点を指して止まった。
レザベイユは柔毛の生えた顔をこすった。黒い鼻先は乾いていないし、丸い耳も垂れてはいない。病気なわけでも、寝ているわけでもないらしい。直面した怪現象に彼は当惑した。
呆然とするレザベイユに焦れたように、工具が彼の手に突っ込んできて、また画面に先ほどと同じように文字が並んだ。
"たすけてレザベイユ"
"うごけフォースばか"
レザベイユは両耳をピクリと跳ねさせた。何者だか知らないがフォース制御技術の第一人者である彼を馬鹿呼ばわりするのは許せない。
工具を握りしめたまま、レザベイユは待機命令を無視して、船内図で示された場所へと向かった。
銀河連邦保安局の特別捜査官エザキは、小型艇係留区で爆破犯人と思われる男に追い付いた。
「残念だったな。テロリストめ。これ以上は逃がさん」
エザキは相手の動きを見ながらじりじりと間合いを詰めた。犯人の手が懐から何かを取り出そうと動いた瞬間に、エザキは相手に向かって飛びかかった。
その時、脇の通路から何者かの怒鳴り声と共に、救急搬送用のキャスターが暴走列車の勢いで突っ込んできた。
「どぁああああっ!!」
キャスターの直撃を受けて、エザキは壁に激突した。銃声が響き、爆破犯は逃走した。
「確保しろ!そいつが犯人だ。私は逃げた仲間を追う!」
と言い残して。
「貴様か、このやろう」
エザキは脇の通路からの銃撃を、横転したキャスターで防ぎながら、キャスターにうつ伏せにくくりつけられた川畑の後頭部を掴んだ。
「…………!」
声を出せず、唸って抗議する川畑の頭を押し付けるようにして、キャスターを持ち上げながら、エザキは銃を取り出して通路奥の相手に撃ち返した。エザキの隣で目を回していた熊のような頭をした小柄な乗員が、銃声に飛び起きて悲鳴を上げた。
「ああ?なんでルルド人がいるんだ?」
「……!……!!」
唸りながら暴れる川畑を助けようと、ルルド人はエザキの脚に飛び付いてきた。
「こら、止めろ!」
閉口したエザキはルルド人を脚から引き剥がそうとしたが、彼は意外に力が強く、短い手足でしっかりしがみついて離れなかった。
「くっそ厄介な」
通路の奥の追っ手が応援の人員を呼んでいる声が聞こえた。エザキはもう1発発砲すると、キャスターのベルトを外して、川畑を羽交い締めにした。壁を背にしてキャスターを蹴り飛ばすと、低重力環境下でキャスターは通路の奥に飛んでいった。
エザキは通路の向こうの追っ手が怯んだ隙に、川畑が着けたままだったウイングの操作ボタンを押して、エアジェットを吹き出しながら床を蹴った。
ほどなく小型艇係留区から2隻の小型艇が許可なく発進したという報せが船橋に入った。
各部署への指示を出しながら、ダーリング船長は、心中で悪態をついた。




