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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第6章 豪華客船で行こう

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充足

ミラ・ロイズは不機嫌だった。


真っ赤なドレスは赤い髪と相まって彼女を情熱的に見せていたし、実際に彼女は美しかった。しかし、称賛者の不在は彼女を大いにくさらせた。

これまで彼女が出席するパーティーには、ファンと芸能レポーターが押し掛け、アクセサリーの端々までが話題になるのが常だった。しかし、今回のブルーロータスのレセプションパーティーの出席者は、マナーを心得た上流社会の人々ばかりで、芸能人に群がって無作法に詮索するような者はいなかった。有り体に言って、特等乗船客のほとんどは各界のひとかどの人物ばかりであり、休暇旅行中に、いちいち身分や役職をひけらかしたり、詮索するのは無粋だと思うような人々だったのである。


しかもパーティーの出席者はほぼパートナーをともなっており、お独り様のミラは居心地の悪い思いをした。ブルーロータスは行程の最終段階で、新規客は少なく、旅行中に相手を見つけたいと思っているような者はさっさと相手を作り終わっているから、これは仕方がなかった。

「(プールで声をかけてきたチンピラでも、いないよりはましだったかもね)」

ミラはジジババカップルばかりのホールを見て眉をひそめた。腹のたつことに、プールにいたあの軽そうな男も、ミラを大スターとしてではなく、単にその辺にいる若い女扱いだった。「いやぁね、お忍びなのよ。OFFでは一個人として過ごしたいわ」と言う気満々だったミラは肩透かしを食らっていた。


「(あら、彼はちょっといいんじゃない?)」

ミラは一人の男性客に目を止めた。栗色の髪は平凡な印象だが、スマートだし、顔もまぁまぁだった。しばらく様子を見てみるが、連れ合いがいる気配はない。

「(ラッキーな男ね)」

ミラは空いたグラスを返してから、声をかけようと男の方を振り返った。わずかに目を離した隙に、男の姿は消えていた。ミラはあわてて周囲を見回した。通路への扉の1つがしまるところだった。

「(そういう"偶然"もありよね)」

ミラは男を追ってホールを出た。


通路に人影はなかった。宴もたけなわな頃のため、部屋に戻る人もまだいないようだ。男も外に出たわけではなかったのかも知れない。ミラはつまらなくなって、だらだらと通路を歩いた。

「(劇場があるの?)」

ふと見ると、劇場の案内表示があった。今は何も催されてはいないようだ。ミラは舞台が見たくなって劇場の扉をくぐった。




ミラは売れっ子の歌姫だった。ク・メール人の彼女は、頭頂部にある一対の副耳で周囲の音を鋭敏にとらえることができた。彼女は一般的なク・メール人以上に音に関するセンスに長じていたため、一流の空間デザイナーの建築家と音響技師をスタッフに入れ、最高の音響体験をファンに提供するコンサートを売りにしていた。今時は仮想でならいくらでも最高も過激も消費できる。肉体で体験するアナログな音響というのは、生身の歌姫である彼女の重要なアピールポイントだった。


「ずいぶんクラシックな様式だけど、造りはまぁまぁね。ただしあのシャンデリアは音響効果的にはいただけないけど」

ミラは誰もいない客席の間を歩いて、舞台に向かった。劇場のホール内は最低限の照明だけが点っているだけで薄暗かったが、自分の足音の反響だけで、それなりにものの配置はわかった。

ミラは舞台の端に手をつくと、客席を振り返った。目を閉じて、カツンとヒールを鳴らしてみる。三角にピンと立った副耳がしばらく細かく動き、やがて力を失って伏せられた。

「(やっぱり聞こえが悪い……)」

ミラは顔をしかめた。


大スターのわがままらしく冗談で周囲を煙に巻いて飛び出してきたが、実はミラは体の不調を伴うスランプに陥っていた。

"聞こえ"を売りにしていた自分が耳の不調なんてことが知られたら、歌姫としての寿命は終わってしまう。

ミラは身近なスタッフにも相談できないまま、不調を隠し続けていた。


暗い劇場で、ミラは小さく歌を口ずさんだ。誰もいない客席に歌声が響く。

「(誰がどう聞いているか気にせずに歌うなんていつ以来だろう)」

前回のコンサートでは、耳の不調が激しくて、最後の方では客がちゃんと聞こえているのか気になりすぎてしまって、全く歌に身が入らなかった。評価もさんざんで、マネージャーが休暇を認めてくれたのもそれがあったからだと思われた。

「(私はまだ歌いたいわ)」

髪と同じ赤い色の毛の生えた副耳を伏せたまま、ミラは歌った。


「素晴らしい!」

一曲歌いきったところで、拍手と称賛の声をかけられて、ミラは驚いた。音の方に目を凝らして見ると、客席の最後列付近に人影があった。

「本番はいつですか?必ず聞きに来ます」

間接照明の常夜灯にぼんやり照らし出されたシルエットだけでは、わかりにくいが、たぶんパーティー会場で見かけた男性客だろう。

「いえ、ここでの公演の予定はありませんの」

「そうなんですか。では、私はずいぶん貴重な経験ができたわけだ。幸運に感謝せねば……いや、貴女の歌をあれ一曲しか聞くことができない不運を嘆くべきかな」

ミラは久しぶりに聞く手放しの称賛に、胸が高鳴った。


貴女の歌をもっと聞きたいと、男は熱くミラを口説いた。

「でもスタッフもいないし、機材もありませんから」

「最高のコンディションで歌を届けたいというプロとしての思いは尊敬に値する。だが私は先ほどの、ありのままの貴女の歌声にとてもひかれた。不完全で一度きりのその場だけで感じることができる体験というのもいいじゃないですか」

「でも私、本当にOFFの一人旅で……舞台側との出演交渉もできませんわ」

「そんなものは私がしましょう。雑務でアーティストである貴女を煩わせたりはしません。いかがですか。よろしければ、この後もう少し落ち着いた場所でお話しましょう」

「では……私のお部屋ではいかが?」

「喜んで」

男が差し出した腕に、ミラは腕を絡ませた。

彼女の機嫌はすっかり直っていた。




朝食後に船室のリビングで、アクティビティメニューを見ていたノリコは、ふと顔を上げて隣に座っている川畑を見た。川畑はさっきから空中を見つめながら何かに集中している。ノリコの視線を感じたのか、川畑は彼女の方をちらりと見た。

「なにしてるの?」

「ん?精霊力の理力コンバート。カップとキャップがいたら喜ぶかなと思ってさ」

「カップとキャップって、あの青と黄色の妖精さん?」

「ああ、この世界は精霊力に相当する力が、理力っていう概念で設定されてるから、妖精も理力で創れば顕現できるんじゃないかと試してたんだが……のりこの偽体ってアストラルボディとの連係どうなってんだ?ちょっと参考にさせてくれ」

「うぇい!?……あ、ちょ、ちょっと……」

ノリコはひょいっと川畑の膝の上に乗せられてしまった。

「(あっ、まずい。これは魔法とか考えてて意識から羞恥心がなくなってるときの川畑くんだ)」

ノリコは水晶球をチャージしたときのことを思い出してあわてたが、時すでに遅かった。




「『レザベイユ、ではその人物は、ルルド語を話したのだな』」

「『はい。テラン系の人種ですが非常に流暢に話しました。聞き取りの方も問題ないようです』」

使節団のリーダーは、レザベイユの話を聞いて、なんとかその乗客を通訳として雇えないかと考えた。

彼は着ている飾り気のないガウンのようなものの帯から下げた翻訳機を手に取った。これは画期的で便利な機械ではあるが、翻訳の正確さに不安がある。言葉のニュアンスや細かい表現がうまく再現されないのだ。

そもそもルルド語は特殊な言語だ。音声として機器で拾えるのは、極単純な語句の羅列のみで、修飾やニュアンスは対面でしか伝達できない。

高次通信があるにも関わらず、彼らが和平使節団として、わざわざ出向くのもそのためだ。もちろん会談の場にはルルド語を解する通訳が用意される。また、指導者層には、ここの船長のように、人種によらず多少の"聞き取り"ができる者の割合が多いので、問題はないと思う。が、それでもオクシタニ星系の戦乱を終わらせるために、同胞の命運をかけて交渉に赴く立場として、言葉に不安があるのは望ましくなかった。


彼はこげ茶色の柔毛で被われた顎を撫でた。

「『これは我々には吉報ではないでしょうか?導師(メンター)』」

広いが殺風景な部屋の奥で、床の小さな敷布に座った老ルルド人に尋ねる。全身の毛が白い彼は理力の深淵に通じ、導師(メンター)として彼らルルド人の間では、とても敬意をはらわれていた。

「『大いなる理力のざわめきを感じる。それが吉か凶かはまだわからぬが……異端(カタリ)の者たちの手がどこまで延びているかわからぬ。その人物が何者かは確認しておいた方が良かろう』」

「『かしこまりました。ではそのように』」

使節団のリーダーは両手を胸に当てて一礼した。




「あ、できた」

川畑の目の前に青と黄色の光が出現した。

『よんだ?』

『きたよー。ここどこ?』

カップとキャップは、いつもの草花モチーフの出で立ちではなく、体にぴったりした少しメタリックな光沢のボディスーツ姿だった。

『おひっこしした?』

格好こそ違うが、以前からの記憶はあるようだ。川畑は眷属の顕現成功にほっとした。

「のりこと二人で旅行に来てるんだ。ここは船の客室だよ」

『ノリコどうしたの?おひるね?』

『おーさま、またやらかした?』

妖精達は覚えていなくてもいいことまで、覚えているようだった。川畑は決まり悪そうに咳払いして、ぐったりしているノリコを抱え直した。

「その"おーさま"っての"魔王様"の略なんだろう。別の呼び名にしてくれ」

『おーさまじゃないの?』

「この世界での身分は社長かなんかだったかな」

『しゃっちょさん?』

響きが安い太鼓持ちだった。

「……"社長"は止めよう」

偽名呼びは妖精達が嫌がり、本名や半端なあだ名は川畑が嫌がった。

おっちゃん……却下。

にーちゃん、あんちゃん……なんか違う。

あにさん……芸人か。

だんな、との、うえさま……時代劇?

ごしゅじんさま……キャップがかんだ。

厳選の結果「マスター」になった。


「お茶を入れてあげるから、その間、お部屋探検しておいで。部屋の外はお茶の後でみんなで行こう」

『わーい』

『ますたーのいれるおちゃすきー』

喫茶店感が半端なかった。

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