有能な助手
ノリコが通された部屋は、船室にしては広かった。テーブルセットがある華やかな印象のリビングと、落ち着いた調度の寝室。小さいながらバスルームもついていた。
「衣装室は別なので、着替えは後程お持ちしますね。身の回り品の収納は、このキャビネットを自由に使ってください」
少年はきびきびとリネン類を整えると、にっこり笑った。
「ご要望があれば、何なりとお申し付けください。ご入浴されるなら、お湯をお持ちしますよ」
ノリコは先ほどちらりと見たバスルームを思い返した。金属製の猫足がついた洒落た陶器製のバスタブの隣に、なぜか七輪と、大きなアルマイト製のヤカンが置いてあった。
「お湯は、あなたが運ぶの?」
「あい!少々お時間をいただきますが」
ノリコは、華奢な少年が大きなヤカンで熱々のお湯を何往復も運ぶところを想像して、首を降った。
「お風呂は家で済ませたからいいわ」
「あい!では、お茶をお持ちします。晩餐までおくつろぎください」
少年が部屋を出たところで、すぐにノリコは窓を確認した。格子窓は嵌め込みガラスで、開きそうな丸い船窓は、小さくて肩や腰がつっかえそうだった。部屋のあちこちを見て回ってもこれといったものはなく、案の定、通路へのドアは施錠されていたので、ノリコはやむなくソファーに身を沈めた。
「お茶と着替えをお持ちしました」
軽いノックとともに少年の声がした。黙って扉を見ていても開く様子がない。どうぞ、と返事をすると、扉が開いた。
「ああ良かった。お休み中なら、出直さなくちゃって考えてたんです」
少年は、ティーワゴンを押して、大きなバックを抱えて入ってきた。まずバックをカウチの方に置き、それからノリコの前のテーブルにテーブルクロスを敷いて、ティーセットと菓子皿をセットした。小さな砂時計を確認して、小さくうなずくと、可愛いキルトのポットカバーを外す。
「こちらでお入れしてよろしいですか?」
この子にこれ教えたの、あのキャプテンなの?と、ぼんやり考えながらノリコは曖昧に頷いた。
「クッキーはお好みでどうぞ。お客様用じゃないので、形は悪いですが、僕は好きです」
バターとココアとチョコチップの3種盛りのクッキーは、ハンドメイドっぽくて美味しそうだった。
「自分で作ったの?上手ね」
少年は自慢そうに胸を張った。
「キャプテンは、お菓子はレシピ通りきっちり計量して作るので、美味しいんです」
ノリコは手に取りかけたクッキーを、そっと皿に戻した。
「後でいただくわ、少し一人で休みたいのだけど」
「あい!晩餐用のドレスはこちらのバックの中です。手伝いがご入り用でしたら、このベルを鳴らして、お呼びください」
テーブルに小さなベルを置いて、少年は部屋を出ていった。
「晩餐のドレスって……。やだ、ホントにドレス。ネックレスまで」
大きなバックの中には、どこのプリンセスですかという感じのガチのドレスや宝飾品が入っていた。
「気がついたら、海賊に拐われて、囚われの姫って……冗談でしょう?」
ノリコは、助けに来てくれるのかどうかあてにならない王子様役?のことを思いながら、ダブダブの白シャツの袖口をギュッと握った。
「やっだ~、照れちゃって、かっわいー」
「お兄さんの腕、たくましいのね」
「ねぇ、彼女さんいるの?私、立候補しちゃおっかな~」
半裸の美女人魚に囲まれて、川畑は当惑していた。
その美しい入り江は、半分、洞窟状になった谷の奥にあった。高い崖から差し込む日差しが、幾筋もの細い滝の飛沫に、沢山の虹をかけていた。崖の途中や入り江を囲む岩の中からは、虹色に輝く結晶が突き出しており、とても幻想的だった。
そして、そこで戯れる人魚達も、蠱惑的で美しかった。
「なぁ、おい」
「はい。なんでしょう?」
川畑は、まとわりついてくる人魚のお姉さん達の輪から逃れて、帽子の男に尋ねた。
「人魚って魚類っぽいのに海生哺乳類なのかとか、ホタテ貝やヒトデ張り付けてるのは肌に悪いんじゃないかとか、いろいろあるが、とりあえず。なんで異世界の異生物が、ドラマにでてくる水商売の女みたいなノリで話しかけてくるんだよ!」
「そこで"ドラマ"ってとこが、未成年ですよね~。アレ?逆に本物は違うって知ってるとか?」
「知ったことかっ!」
「人魚ってお水関連だからじゃないですか?」
「真面目に答えろ」
まぁまぁ、そう怒らないで、と帽子の男は川畑をなだめた。
「コミュニケーションがとれるのは、監査局が誇る翻訳さんのお仕事のお陰なんですよ」
「翻訳さん?」
「はい。異種族間の異文化コミュニケーションを円滑にするために、視覚や聴覚に干渉して、リアルタイムで、認識しやすい情報に置き換えてくれているんです」
「同時通訳はありがたいけど、感覚に干渉って、どうやってるんだ」
「私の予備備品渡したでしょう。あれでコントロールしてます」
川畑は自分の左手首を見た。
「聴覚はともかく、視覚まで弄る必要があるのか?口パクがずれるくらい気にしないぞ」
「いやいや。亜人族の外観って、慣れないと結構"不気味の谷"に入っちゃって、友好的なコミュニケーションがやりにくいんです。あとはボディランゲージも文化圏の違いでかなり誤解を呼ぶので、翻訳さんの視覚情報補正はありがたいですよ」
「じゃあ、あの向こうで、きつめの美人のお姉さんに小突かれて、テヘペロしている可愛い系人魚さんは、翻訳がないと……」
「3秒だけOFFにしてみましょうか」
川畑はその場で膝から崩れ落ちた。
「ただせさえ海産物系モチーフは正気度削りやすいところに、ここの人魚さん達のヒト部分って、ほぼ疑似餌ですから、慣れないときついですよね」
「翻訳さん、すげぇ」
川畑は、クリオネの食事風景を見てしまった人のような遠い眼をして呟いた。
「翻訳強度は任意で変更できますが、未成年なら、レギュレーション付きでお任せにしておくのがいいと思いますよ」
「レギュレーション?」
「無いとホタテとヒトデが消えます」
「翻訳さん、有能すぎる」
川畑は、翻訳さんの協力を得て、なんとか人魚達から話を聞き出した。
翻訳さんの補正力は、人間擬きを、人がましい通り越して、美人&可愛いの域にぶっ混んできます。(補正なしの状態は考えてはいけません)




