乗船客名簿
「ヤバい。このままだと宙港使用料が払えない」
MMは頭を抱えた。船長兼船主のフリーランスの身分は気軽だが、一つ失敗するとあっという間に行き詰まる。彼の宇宙船は宇宙開発事業団の払い下げ品を改造した高速艇で、それなりに顧客の好評価を得ていたが、ニッチな商売だけに顧客の安定確保が難しかった。
宇宙ステーションの低重力階層の酒場で借金取りからしかメッセージの入っていない個人端末を睨みながら、MMは安酒をあおった。安酒を飲みすぎると内臓の買取価格が落ちるだろうか?と末期的な心配をし始めたところで、彼は酒場の入り口に人相の悪い男がいるのに気がついた。
どう考えても目付きがカタギでないその男は、フロアを見回すとMMの顔を見て近づいてきた。
「(借金取りか?こないだ出し抜いた同業者に雇われたその筋の人か?どっちにしろヤバいだろ!)」
MMはするりとスツールを降りて、店の奥に向かった。背後で人がぶつかる音と罵声が聞こえる。MMは振り返らずに、従業員用の狭い裏口から表に出た。
配管がむき出しの裏通路を駆け抜ける。低重力環境で移動するのはコツがいるが、上下を気にしないで動くのは得意だ。さすがにもう巻いただろうと、人通りの多い一般通路に出て一息ついたところで、肩に手を掛けられた。
「MMだな。蝿号船長の」
「残念、人違いだ。俺の船はタイムフライズ号だ」
「なんでもいい。お前の船はすぐに出港可能か」
MMは目を輝かせて振り替えると、個人端末の契約画面を表示した。
「毎度ありがとうございます。ご契約とお支払い条件はこちらです!」
人相の悪い中年男は、契約金額を見て顔をしかめた。
フラム・ロシェは通話ブースを出て小さくため息をついた。
フラムは他人との会話全般が苦手だったが、父親との会話は特に苦手だった。生まれてから母が死ぬまで、14年間ろくに存在を知らなかったのに、遺伝子的につながりがあるというだけで、身内として接しようとしてこられると困惑するしかない。フラム・ロシェは数学や物理学の分野では天才と呼ばれる類いの早熟な子供だったが、対人スキルについては並みの子供以下だった。この後、地球に行ってからの父親との同居生活を考えると憂鬱になったが、他に身寄りもなく、自立するには世間を知らなさすぎるし、押しが弱すぎるフラムには、どうすることもできなかった。
鬱々とした気分でラウンジに戻ったフラムは、うっかり人にぶつかってしまった。
「あっ、すみません」
「いや、こちらこそ不注意だった。申し訳ない」
相手は大柄な青年だったが、人がいいのか、フラムが逆に申し訳なく思うぐらい丁寧に謝罪してくれた。ラウンジにあるオブジェに夢中になったせいで、やって来たフラムに気付かずに後ろに下がって、ぶつかったという。
フラムは、そんなに熱心に見るほどの物だったかと、オブジェを見上げた。オブジェは豪華客船の形状を水で再現したものだった。
「どうやって水を浮かせているのか気になって……」
青年は恐縮した様子で、フラムの視線をたどった。
「ああ、これは単なる音波制御でしょう。有名なブルーロータスの理力場じゃないです。発生装置はここの床下に仕込めるような小型なものではないですし」
「力場?重力場や電場のことか?」
「いいえ、理力場はそれらとはまた別の力の場です。ルルド星系で発生装置が実用化されて、これから乗るブルーロータスが民間使用の第壱号機ですね」
フラムはラウンジのモニタに写し出された最新鋭豪華客船を指差した。ブルーロータス号はその名のとおり、蓮の花のような青い花弁状の構造が特徴的な船だった。
「バニシングエンジンから出る放射線をフォースフィールドで固定した大量の水で防いでいるんです。恒星間航行自体は、高次空間通信を応用した存在確率情報の先送りによる新高次空間跳躍航法システムを採用しているので、古典的平面航法やマンシェン駆動系のような重力場の影響は考えなくてもいいのですが、この複雑なフォースフィールド構造のために惑星重力圏に停泊できないらしいです。見栄えを優先しすぎですよね」
ついうっかりいつもの調子で、一般人には難しい専門用語まみれの解説をしてしまい、フラムはしまったと反省した。このせいでよく他人とのコミュニケーションに失敗するのだ。ところが、振り替えってフラムを見た青年は、フラムの予想に反して、好物を前にした小さな子供のように顔を輝かせていた。
「その辺り、もうちょっと詳しく」
フラムはこの変わり者の青年に、専門的な話を数式を交えて説明し始めた。青年は非常に熱心な聞き手で、突っ込んだ話をすればするほど喜んだ。しかも彼はほとんどなにも知らない状態だったのにも関わらず、恐ろしいほどの理解力と勘の良さを発揮して、的外れな質問はせず、貪欲にフラムの話を吸収していった。フラムは初めて、他人に自分の知識を教えて楽しいと感じた。
「公開されている論文のうち、まず読んだ方がいいのはここからここまでですね。航海中は個人端末での通信は制限されますが、船の客室備え付けの端末からここにはアクセスできるはずですから、ぜひ読んでみてください」
「ありがとう!もし他にもお奨めの資料があったら教えてくれ。いやぁ、これはいい旅になりそうだ」
一般人が聞いたら正気を疑うようなコメントをして、青年は無警戒にフラムに個人端末の連絡コードを教えた。青年はロイ・ハーゲンという名前らしかった。
ミラ・ロイズは苛立ちながら、ラウンジのバーカウンターでグラスを干した。"本日のお奨め"のオリジナルカクテルは甘ったるくて気分に会わなかった。
マネージャーからの今回のチケット手配不備に関する謝罪と、次回コンサートについての懇願めいた催促の通信履歴を削除する。
「次回なんて知るもんですか。私はとにかくバカンスでリフレッシュするのよ」
すし詰めだった仕事をことごとくキャンセルして、無理やり真っ白にした予定表を眺めてから、ミラは個人端末をOFFにして、バックに突っ込んだ。
「(これから船を降りるまで使わないっていうのはどうかしら)」
なんとなく枷が外れたような解放感を感じながら、ミラはもう一杯、さっきより強いカクテルをオーダーした。
ベルチュールは豪華客船ブルーロータスの特等客室付きのコンセルジュだ。注文の多い上流階級のお客様の我儘に振り回される苦情処理係である。ブルーロータスは銀河標準日で100日をかけて各星系の見どころを周遊するグランドツアーの最終工程であり、大小のトラブルと船客の我儘の数々は、先日ついにベルチュールの上役を病床に叩き込んだ。
胸に輝くチーフのバッチを軽く撫でて、ベルチュールは顔を引き締めた。最終寄港地の地球まではあとわずかだが、今回の寄港地でもわずかながら乗船客の入れ替わりがあった。慣れたルーチンワークだけという訳にはいかないだろう。ベルチュールは新しい乗客が、人の手を煩わせることに富裕層の喜びを感じるタイプでないことを祈った。
「チーフ、よろしいですか?客室の手配でチケットの発券ミスがあったようです」
コンセルジュ用の船内テレコムに了解の意を伝えると、ベルチュールはきびきびとした足取りで、問題の客室に向かった。




