癒しの旅への招待
新章開幕
「もうやだ」
川畑は畳の上に転がった。
「お疲れ様です。相当まいってますね」
帽子の男は、大の字に寝転んだ川畑を見下ろした。相変わらず足元は透けたままだが、それなりにきちんと正座した風情で座布団の上に浮かんでいる。
「侍従長の要求がハードすぎる。あいつ絶対、青少年を健全に育成する気がねぇ」
「ご苦労なさってますねぇ」
「剣振り回す野蛮な中世世界はもう嫌だ。人権の概念がある平和な文明世界でのんびりしたい」
「あ、それなら」
帽子の男は、人差し指を立ててピコピコ降った。
「そんなあなたに朗報です。優雅な癒しの時間を提供するラグジュアリーな空間をあなたに。豪華客船でのクルーズ旅行の客室の空きがあります。いかがですか?」
「行く」
川畑は逃避気分だけで返事をした。
「中世世界と違って、センサー類が充実してますから、迂闊に転移はしないでくださいね」
美しいエントランスホールを移動しながら、帽子の男は川畑に注意事項の最終確認をした。
「魔法に類する力も、個人使用は公式には認められていませんから、目立つ使用は控えてください。こちらも物質的な現象に作用すればセンサーに引っ掛かります」
「わかった。わかった。ところでお前の扱いはどうなってんの?」
川畑は半透明なまま浮かんでついてくる帽子の男に視線を送らないようにしながら、小声で言った。
「私はセンサー対策ばっちりなんで大丈夫です。独り言を誰かに突っ込まれたら、そのイヤーカフで指向性の通話をしているとかなんとかの体でごまかせばいいです」
『それは嫌だから、こっちで話してもいいか』
「えー、妖精言語ですか?確かに秘匿性は高いですけど」
帽子の男は、どのみちこの先は同行しないので気にしなくてもいい、と言って搭乗カウンターを指差した。
「時間になったらあそこから入ってください。生体認証や身分証は局の偽装情報が効いてるので、心配ありません。ご自分の設定は覚えてますね」
『地方の豪商の若旦那が新婚旅行のはずだったけど諸般の事情により妻は同行せず……誰だこのクソみたいな設定考えた奴』
「空いたのが夫婦向けの二人部屋なんでしょうがないです。妖精王と妖精女王が早く帰還することになったから空いた枠なので」
『なるほど』
「彼らとは親の遠縁の知人という関係にしてあります。詳細は後でカバンの中の手帳を読んでおいてください。未成年だと色々面倒なので、成人年齢なことになってるの忘れないでください。あとは客船内でのマナー集も入れてあるはずですから」
『文明圏内で過ごす以上、マナー講座からは逃れられんか』
「よほど奇怪な行動をとらない限り人目につかないように、弱い隠密性は設定してありますから大丈夫ですよ」
『偽装情報の設定がゴシップの塊だけどな』
「そんなに嫌なら変更できないか確認してきます。あんまり期待しないでくださいね」
帽子の男はそういい残して姿を消した。川畑はため息をついて、搭乗待ちの客向けの椅子に腰かけた。
椅子に内蔵されたスピーカーが搭乗受付が可能になったことを知らせた。周囲の反応を見るとチケットを読み取った指向性のアナウンスだったらしい。洒落た帽子を被った女性と、身なりのいい男性が搭乗カウンターに向かった。川畑も手荷物を持って示されたカウンターに向かった。時空監査局の細工に抜かりはなかったらしく、川畑はなんの問題もなく手続きを終えた。
「良い旅を」
作り物めいた笑顔の案内係が、心地よい発音で、定番の挨拶で見送ってくれた。
案内表示どおりに進んで、専用ラウンジでしばらく他の乗客と歓談してくつろいだ後、川畑は滞りなく搭乗を済ませた。豪華客船に向かうにふさわしく、艀自体も贅沢な造りだった。割り当てられた座席は飛行機のファーストクラスを思わせる作りで快適だ。川畑は端々のテクノロジーに感動しつつ、シートに深く腰かけた。
「(今のうちに基本設定でもさらっておくか)」
手荷物から黒い手帳を取り出して、読み始めた川畑は、自分の偽装情報が変更されているのに気づいて愕然とした。
「お隣失礼しますね」
そこにいるはずがない人の聞きなれた声に、あわてて隣を見て呆然とする。
「のりこ?」
「困ってるから協力してあげて欲しいって言われて来たの」
「まじか」
川畑はこの後のことを考えて気が遠くなりかけた。
手帳には"新婚旅行中"の文字が浮かんでいた。
ほどなく、二人を乗せた艀は宇宙ステーションを離床して、銀河海運が誇る最新鋭恒星間周遊豪華客船ブルーロータスに向かった。
今度はスペオペだ




