魔王の敗走
「おーさま、おかえりなさい」
川畑が城に戻ると、カップとキャップが飛んできた。
「あっ、マントだぁ。カッコいいー」
「ばさぁっ!てやってー」
マントは妖精達に好評だった。
所有権を変更されて、拗ねていたマントは、かわいい妖精にちやほや誉めそやされて機嫌を直したらしく、川畑に変に絡むのを止めて、綺麗にひるがえった。
「まおーさま、ホントにまおーさまっぽい」
「しっ!キャップ、ホンニンのまえでそのよびかたダメ!」
「んん」
あわてて口を押さえたキャップを見て、川畑は怪訝な顔をした。
「カップ、キャップ。呼び方がなんだって?」
二人が白状したところによれば、以前、川畑が精霊界で妖精王とひと悶着した時、怖い思いをした城の妖精達が川畑に着けたあだ名が"まおーさま"だったらしい。しかし、本人を前にそう言うわけにもいかず……。
「"ま"を省略して"おーさま"か」
川畑は肩を落とした。
「まさか敬称じゃなくて蔑称だったとは」
カップとキャップはあわてて主人を慰めた。
「ちゃんとボクたち、けーあいしてるよ」
「だいすきだよ。ときどきこわいけど、わりとたんじゅんなりゆうでおこってるだけだから、へーきだもん」
「けっこうボクらにたよってるから、いつもそばにいてあげなきゃっておもうし」
「そうそう。ほかっとくと、すぐにボーソーしてなんかやらかすから、しんぱいだし」
「いつもは、おせわされてとーぜんみたいなカオしてるけど、たまにやさしいし」
「ナイトごっことか、はずかしがりながら、ノリノリでやってるの、こどもっぽくてかわいいよね」
「うん。おちこんだときとか、さみしそうにしてるの、スッゴクかわいい」
「でも、わりとかんたんにキゲンなおるんだよね」
「ね」
川畑は片手で顔を覆って、天を仰いだ。妖精のぶっちゃけトークに滅多うちにされて、再起不能の気分だった。
「あーっ、居た居た、川畑さん」
帽子の男が能天気な声をあげて帰ってきた。一通りの観測が済んだので、一旦戻るという。
「安定してるっぽいので、あとは専門のチームに任せます。川畑さんはこの後、どうされますか?」
「妖精王と妖精女王はどうなる?」
「早晩、帰ってくることになるはずです」
「そうか。良かった。俺は妖精王からこいつらを預かってるから、妖精王が帰ってくるまではここにいるよ」
川畑は、知り合いに挨拶するために街に行くつもりだと告げた。
「わかりました。ではなるだけ早く妖精王にご帰還いただくように手配しますね」
「頼む。妖精王がいないと各地の妖精が復活できないんだ。あいつらが消えたままなのは淋しい」
帽子の男は、川畑を見てクスリと笑った。
「最初に妖精を見たときは、存在をまるっきり無視してたのに、変われば変わるもんですね」
川畑は口をへの字に曲げて黙った。
青と黄色の妖精が、左右から川畑の頭を撫でた。
ランバーの街は、まだ平穏からはほど遠かったが、それでも緊急事態の一応の終息を迎えて、落ち着きを取り戻し始めていた。
与えられた部屋で、シャリーはようやく一人になることができた。窓際の椅子に座って、ぼんやりと外を眺めると、天に向かってまっすぐに延びる柱のようなものが遠くに見えた。もう会えないのだろうかと、シャリーは姿を消した大切な人のことを想った。
『シャリー!』
黄色い光が飛んできて、彼女の周囲をくるくると回った。
「キャップ!」
シャリーは窓の外を見回した。
『おーさまは、ここだよ』
振り向くと、青く輝く妖精を肩にのせて、彼女の想い人が立っていた。
「シャリー、お別れを言いに来た」
彼女はなにも言わずに駆け寄って、抱きついた。
川畑はシャリーの頭を撫でた。
「嫌」
シャリーは川畑を見上げた。
「私が大人になるまで待ってて」
「大丈夫。君が大人になれる世界を創ったから。もう、俺がいなくても平気だよ」
「そうじゃないの!」
シャリーは川畑の胸に顔をうずめた。
「そうじゃ……ないの」
川畑はシャリーの両肩に手を置いたまま、黙って立ちつくした。
「私、殿下と一緒に帝国に行くことにするわ」
泣き疲れて目をはらしたシャリーは、窓際の椅子に座ると、ポツリと言った。
「一緒に来て欲しいって誘われたの。皇子殿下はそのためにこの国に来たんですって」
「な!あいつそんなことは……いいのか?」
「この後、きっと煩わしいことになるはずだから、一緒に居た方がいいって。帝国なら皇子の権限で守れるからって」
シャリーは隣に膝をついている川畑を見つめた。
「正直迷ってた。ここを離れたら、あなたが来てくれたときに会えないんじゃないかって不安だった。でも……」
シャリーは川畑の頬に触れた。
「もう、お別れなのね」
「ああ」
シャリーはお休みなさいの挨拶よりも少しだけ長い口付けをした。
「私、あなたのことを知っている人と一緒に帝国に行くわ。そしてあなたの話をいっぱいして、あなたを思い出にしちゃうわ」
「シャリー」
シャリーは鮮やかに微笑んだ。
「さよなら」
「……さよなら」
川畑は立ち上がり、一歩下がった。
暗くなった誰もいない部屋で、シャリーは椅子に座ったまま、ただ窓の外を見ていた。
『プリンセス、あかりをどうぞ』
小さな声がして、シャリーの手元が明るくなった。
「厄払いの樹!?どうして?消えてしまったはずなのに」
そこにはずっと彼女を守ってくれた妖精がいた。
『プリンセスがのぞんでくれたからかえってきたよ』
「他のみんなは?」
『たぶんすぐにやってくるよ』
「ああ……」
『なかないで。ボクにできることならなんでもするから。ね。いつまでもずっといっしょだよ』
新世界の主の一員であるシャリーの眷属として顕現した妖精は、彼女の周りをくるくる回った。
コトリと音がして、振り向くとテーブルに丈の高いグラスが置かれていた。
『あっ!おーさまからのおいわいだ』
よく冷えたグラスの中には氷と、暗紅色の飲み物が入っていた。
"シャリー・テンプル・ブラック"
「精霊って約束を忘れないのね」
些細な約束を忘れないでいてくれた人のことを想いながら、シャリーはグラスを光にかざした。グラスの中では細かい泡が立ち上っていた
「大人になりたかった理由が、これで全部なくなってしまったわ」
小さいころ憧れたカクテルは、思い出どおり甘かったけれど、少しだけ苦かった。
臨時の指令本部になっている詰め所で、バスキンは硬いパンを噛りながら仕事をしていた。
「チーズぐらいなかったんですか」
「贅沢言ってる場合じゃな……」
顔を上げたバスキンの口からパンが落ちた。
「ハーゲン!いや、精霊王様」
「なんですかその呼び名は」
川畑は眉をひそめた。
殺風景な狭い詰め所の部屋で、仰々しい黒マントを着た男が、グラスを片手に立っているのは変な光景だった。
「お前、いったい……」
「状況報告とお詫びとお別れを言いに来ました。飲みますか?」
川畑は暗紅色の不思議な飲み物の入ったグラスをふった。
「酒か?」
「違います」
「ならいい」
「勤務中になにいってんだか」
川畑はバスキンに、手短に森と城の状況を説明した。
「森はこれまでどおり禁足地とすることをオススメします。王家の直轄領としての領有を主張しない方がいいでしょう。権利を盾に揉めたり欲張ったりしない方がいいと、王都の有象無象にいっといてください。妖精王が帰還したら妖精王に献上するのが無難です。森にはエルフェンの郷も統合されてますから、彼らとの交流の窓口もバスキンさんお願いします。森番衆の皆さんに協力してもらえばいいでしょう。いやぁ、バスキンさんがこの街に赴任してくれていて良かった」
バスキンは酒瓶を取り出した。
「素面でやってられるか」
川畑はバスキンの前から酒瓶を取り上げた。
「聖騎士団の心象が悪くなるので、あちらの隊長さんとの打ち合わせが終わるまで、酒はダメです」
「くそっ、まだ他にも仕事を押し付ける気か」
「すみません。世界の構造を一新してしまったので、来たときのように転移で部隊を聖都までお送りできなくなってしまいました。隊長さんにお詫びして、帰還に必要な諸々を手配してあげてください。あ、よろしければ助力いただいたボーデン領の先生方の分もお願いします」
「何にもよろしくないがやらざるをえんのか」
バスキンはうめいた。
「ロッテとパピシウスを使って王都から勇者予算を引っ張り出せばいいですよ。勇者のせいにすればいい」
「お前のせいじゃないか」
川畑はグラスの中身を飲み干した。
「妖精のいうところでは、俺は勇者じゃなくて魔王だったらしいですよ」
バスキンは目を剥いた。目の前の男は"凡庸で無害"とは程遠い雰囲気を纏っていた。
「王都の郊外で始めてみたときの印象は間違ってはいなかったというわけか」
「どんな印象だったんです?」
川畑はグラスを虚空にしまいながら不思議そうに尋ねた。
「厄介な慮外者」
「ひどい言われようだ」
川畑は顔をしかめた。
「では、俺はもう行きます。後のことはよろしくお願いします」
「この後、お前はどこに行くんだ?」
魔王を称した男は、いささか投げやりな様子で忌々しそうに答えた。
「地獄……ですかね」
彼にはまだ契約書の履行という仕事が残っていた。
川畑が自分の部屋に戻るまでには、まだまだかかるようだった。




