大魔王降臨
太陽の間に戻ると、魔王がいた。
大きな襟付きの黒のロングマントは、内側は真紅。服はこれでもかというブラックフォーマル。いわくありげな指輪をいくつもはめた手には、これまた絶対に魔法とか使えそうな短杖。頭の両サイドの髪は、細い髭と同様にピンと跳ね上がっている。
「キャプテンさん!?」
「久しぶりだな、お嬢さん。可哀想に、まーた、こやつに巻き込まれたのか」
玉座にどっかり腰を下ろしていたキャプテン・セメダインは、ノリコと川畑を見て、大仰に嘆いてみせた。
「なんてカッコしてんだ。アイデンティティーはどうした」
「TPOだよ。TPO。似合うだろう」
キャプテンは忌々しく器用に片眉を上げた。
「とっても魔王っぽいです。キャプテンさん」
「よし。退治しよう」
袖をまくりかけた川畑をノリコは必死に止めた。
「短気で短絡的な男だなぁ」
玉座にふんぞり返ったまま、キャプテンは眉をひそめた。
「だーれもおらんが、お前、魔王と勇者とやらはどうした?」
「両方、退治して送り返した」
キャプテンはそんなことだろうと思った、と言わんばかりの顔で、うなずいた。
「あれは?」
手にした杖で、割れた天窓から見える青空と太陽を指し、キャプテンは川畑の顔を見ながら顎をしゃくった。
川畑は少々バツが悪そうに答えた。
「……さっき創った」
「ほー」
「こ、今度はちゃんとここの世界の事情に合わせて創ったからな!あのときみたいに無自覚に全置換とか、野放図に自分の世界観でリセットとかしてないから」
「へー」
「現地の常識と地元の意見も汲んで、発展の余地を残した開発を実施したし、自分の趣味は控えたぞ」
「ふーん」
「ここの城の裏に生えてる樹を見ろ。元々、インテグラルツリーモドキだったのを、サイズダウンして普通のユグドラシル風の大樹にしたんだぞ。本当は静止衛星軌道を重心にした吊り橋構造の軌道エレベーターにしたかったのを我慢したんだ!」
「当たり前だ。バカもん。そんなもん造ろうと思ったら、地平の惑星化と自転から始めにゃならんだろう。こんな小さな世界に負荷が過ぎるわ」
「ううう、構造強度とかエネルギー収支の諸々に目をつぶって、そういう存在です!と割切るのにどれだけの精神力が必要だったことか」
「ひじょーに気持ちは分かるが、それっくらいやって当たり前だ。この青二才」
「悪かったな!俺は未成年で、ただの学生で、世界創造の経験とか積んでないんだよ!!」
「はー」
キャプテンは額に手をあてて長々とため息をついた。
「時空監査局の奴らが、ワシがここに介入したというから来てみれば、こんな若造が手探りで拙いことをやっとるときたもんだ」
「ぐ……」
川畑は言葉に詰まった。
キャプテンは短杖を揺らしながら、しばらくブツブツ呟いていたが、おもむろに杖を川畑に投げ渡した。
「赤点で落第だ。デバッグしてやったから修正しろ」
杖を掴むと、川畑の知覚に世界設定の構造上の弱点や矛盾点がありありと流れ込み、不要な法則や過剰な定義が、まるで赤ペンで添削されたかのように浮かび上がった。
「ううっ」
「解がエレファントすぎるぞ、青二才。もっと真理は単純かつエレガントにいけ」
大魔王コスプレの中年オヤジは、ニヤニヤ笑った。
「どうだ?降参して泣きついたら、ワシが直してやるぞ」
「……自分で直す」
川畑は歯をくいしばって世界の再調整作業を始めた。
キャプテンは懐から金時計を取り出して蓋を開いた。
「5分でやれ」
「無茶いうな」
キャプテンは肩をすくめただけで、川畑にはそれ以上返事をせずに、時計をしまって、玉座から立ち上がった。
「嬢ちゃんもこんなのの相手で大変だっただろう」
キャプテンは、唸りながら頭を抱えている川畑を横目に、ノリコの前にやってきた。
「今日は素敵なドレス姿だが、少々、薄着が過ぎるようだ。これを羽織りなさい」
キャプテンは魔王風のマントをバサリと音をたてて広げると、鮮やかに回して、ノリコに着せかけた。
「胸元は自分で留めなさい。その邪魔っ気な玉っころは持っていてやろう」
「あ、ありがとうございます」
首もとから足先まで、黒マントに覆われたノリコは、なんとか笑顔を浮かべてお礼を言った。
「魔王仕様だから、必要に応じて出し入れできて、汚れ目もたたないから大変便利だぞ。あげるからそのまま着て帰りなさい」
「ありがとう…ございます……」
ひきつり気味の笑顔のノリコを、キャプテンはまじまじと見て首をひねった。
「はて?嬢ちゃんはなんでまた偽体なんぞに入っとるんだ?時空監査官どもも、あのボウズもそんなもん使わずに実体を転移させるだろう」
「あの……私、今回はこの世界の魔法?で、召喚されたそうなんです」
「なんと!実体は?」
「多分、家で寝てるかと」
「そりゃいかん。早く戻らんと体に悪い」
キャプテンは川畑の頭を殴り付けた。
「痛てぇ!」
「何をやっとるかこのバカもん。嬢ちゃんをこんな状態で放置しよって。こんな木っ端世界にいつまでもかまけとらんで、さっさと嬢ちゃんの元の体を持ってこい」
「今、いっぱいいっぱいだ。脇で色々いうな……やべっ、崩壊する」
「しょーもない奴だなぁ。あっちこっちに忖度して、お利口さんな最適解ばっかり選ぼうとするから難しいんだ」
しょうがない、といってキャプテンは、小さなメモ帳を取り出した。
「解呪方法とおまじないを書いといてやるから、早めに戻りなさい」
「はい」
ノリコは渡されたメモを読んでみたが、あまり解呪というような難しいことをする方法にはみえなかった。
「これでいいんですか?」
「君はそれだけでいい。こっちは信用のできる相手に渡しなさい」
もう一枚のメモを畳んでノリコに渡すと、キャプテンは再び時計を見た。
「まだか小僧。ワシはもういくぞ」
「終わったよ、コンチクショウ」
川畑は短杖をキャプテンに投げ返した。キャプテンは受け取った杖で肩を叩きながら、目玉をぐるりと回した。
「ま、及第点かな。ただ、ワシが直接介入したというには、面白味が無さすぎる」
キャプテンは杖を床に打ち付けた。
小気味良い音がして、杖の先から同心円状に波紋が広がった。
「ぐあっ」
川畑は頭を抱えて仰け反った。
「なんてことしやがる!」
涙目の川畑を見ながら、キャプテンは腹がたつほどよく響く高笑いを残して姿を消した。
「川畑さん!今ここにキャプテン来ませんでしたか!?」
帽子の男が現れたのは、キャプテンが消えたすぐ後だった。
「いたよ」
川畑は苦々しさ満点の声で答えた。
「いたけど、もう帰った」
「あーっ、また逃げられた」
帽子の男は、がっくりと頭を垂れた。
「仕方ないか。……お二人は大丈夫でしたか?なんだかノリコさんすごいもの着てますけど、何かされました?」
心配そうな帽子の男と、ぎょっとした顔の川畑から見つめられて、ノリコはあわててマントの前を開けた。
「大丈夫。ほら、下が薄着だからってかけてくれただけ」
黒いマントのすき間から覗いてみえると、色白のノリコが多少透け気味で露出の多いドレスを着た姿は、かなり扇情的に見えた。
さっきまで、平気で抱きかかえていたのが、急に気恥ずかしくなって、川畑は思わず視線を逸らせた。
「何もないならいいですけど……って、ああっ!?」
帽子の男は天窓まで浮かび上がり、外を見て悲鳴をあげた。
「キャプテン、またこんな無茶苦茶をして!うわぁ、よくみたら精霊界が統合されちゃってるじゃないですか~!んもー、あの人ときたら。この調子で罪状増やすと本気で"生死を問わず"の手配書が"首持ってこい"にされちゃいますよ~」
ノリコは川畑の袖を摘まんで、小声でささやいた。
「世界の大改変って時空監査局では重罪なんだって。気を付けてね」
「……わかった」
川畑は神妙にうなずいた。
帽子の男は、さんざん騒いだ後、観測してきます、といって飛んで出ていった。カップとキャップも探検に行ったまま戻って来ないので、川畑とノリコは広間を出た。
「お城の形、ずいぶん変わったね」
元妖精王の城は、バロック寄りのルネサンス建築に変わっていた。壁や柱の縦横比やアーチの形は計算された比率に整えられ、理知的な調和をみせていたが、けして大人しくも古臭くもなく、どこかエモーショナルな印象を与える壮麗な城だった。
「船といいこの城といい、おっさんの趣味って、本人のイメージと一致しないんだよな」
「魔王っぽい人が創った魔王城なのに、妖精王の城より装飾が洗練されてるのよね」
ノリコの声に尊敬の響きを感じて、川畑は建築と美術の分野も履修しようとこっそり心に誓った。
見晴らしのいい場所まで出ると、城の背後にそびえる巨大な樹が見えた。
「天まで伸びてる……」
「ジャックと豆の樹みたい」
川畑がユグドラシルサイズに縮めたはずの樹は、上端が見えないほどの高さにそびえていた。
「あの野郎、世界に負荷がとかなんとか言ってたくせに、こんな……」
川畑は文句をいいかけて口をつぐんだ。この巨大樹がこの世界に負担をかけるどころか。この世界の精霊力循環と歪みの補正に必要な機構として組み込まれていることに気づいたのだ。
「(俺が最後まで解決できなかったエネルギー停滞の問題をこんな派手な力業で解決しやがって)」
挙げ句、地下に大迷宮、樹上に天空の城まで創って完全に攻略待ちな大魔王城アトラクション仕様になっている。
川畑は無性に悔しくて、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「何はともあれ、一通り型はついたことだし、君を元に戻そう」
「これ、戻るための手順だって」
ノリコは川畑にメモを渡した。
「手伝って」
メモを読んだ川畑はしばし沈黙した。
「難しいことが書いてあった?」
「いや……偽体から精神体を吸いだして、元の体に吹き込めって」
「私は、こっちの体で楽にして目を閉じたら、あとは元の体で目覚めるだけだって。あとは最初と最後にいうおまじないだって普通の挨拶が書いてあったけど、それだけ。吸いだすって一体どう……」
聞きかけて、ノリコは川畑の口元を見て固まってしまった。
「どこからどうとは、指定されてないんだけど……」
川畑もいたって歯切れ悪く言った。
「体の中央部分……心臓付近か、体腔の開口部からなんじゃないかと」
「ムネかクチ?」
川畑は赤面して視線を逸らせた。
「……できるだけ非接触での実施に努めます」
ノリコは決まり悪そうにしている川畑をじっと見つめてから「よし!」と言った。
「いいよ。この際だから川畑くんに全部任せる。元の体に戻れないと死んじゃうんだから、ごちゃごちゃ言わないわ。私の心も身体も全部預けるから、好きにやっちゃってください」
さばさば言い切ったノリコを見て、川畑は目眩でも感じたかのように目元を押さえた。
広間に戻って棺に横たわったノリコは、川畑を見上げて微笑んだ。
「吸血鬼気分だわ」
魔王マントを着たままなので、確かに白雪姫というよりは、吸血鬼だった。黒マントの前を少し開けて、白い胸元をさらしたノリコは、静かに目を閉じた。
「"おやすみなさい"」
ノリコがキーワードを口に出すと、ノリコを中心に球状の輝きが出現した。
倫理と衝動の激しい葛藤と、ノリコをオートガードする黒マントとの戦闘を乗り越えて、川畑はなんとかノリコを元の体に戻した。
「"おはよう"」
キーワードを口にすると、ぼんやりとしていた視界がはっきりした。
辺りはまだ薄暗い。見回すと、未明の空が部屋のカーテンの間から見え、憔悴した川畑が部屋の隅にいた。
「ちゃんと戻れたみたい。ありがとう」
安心させようと声をかける。
「良かった」
彼は心底ほっとしたという感じで微かに笑った。
川畑がくしゃくしゃに丸めたマントを抱えているのを見て、ノリコは少し迷った。この後の実生活では全く使う宛はないが、せっかくの好意の頂き物をすぐに捨てるのは忍びない。
「川畑くん。この後、またあの世界に戻るの?」
「ああ、まだ少しやることがあるから」
「じゃぁ、そのマント、良かったら使って。こっちで私が持ってるより、多分、あっちで川畑くんに使ってもらった方がマントも役に立てて嬉しいと思うの」
川畑は一瞬、ものすごく複雑そうな顔をしたが、「ああ」と低い声で了承し、丸めたマントを絞める手に力を入れた。
「気を付けてね。助けてくれてありがとう。怖かったけど、また会えて嬉しかった」
ノリコは、なかなかうまくマントを畳めず苦労していた川畑に、マントを着せてあげた。
「学生服にマントって変じゃないか?」
「向こうの人、学生服って思わないから大丈夫。結構、迫力あるよ」
ノリコは浮かない顔の川畑を見上げて、にっこり笑った。
「帰ってきたら教えて。今度は普通にこっちで待ち合わせしよう」
「ああ……うん」
川畑は苦笑して。ノリコから一歩離れた。
「それじゃあ、さよなら」
「またね」
ノリコが手を小さく振る前で、川畑は消え去った。
キャプテン、さらっとオーブもって帰った……。
「迷惑料だ」




