島流し
そこはなにもない空間だった。
光も、音も、天も、地もなにもなかった。
「(泡沫時空の初期状態?転移の失敗か?)」
川畑は自分しか認識できない状況に焦った。
「(迷落の森の迷宮の時と同じだ。転移座標の起点が作れない)」
川畑はまだ、転移したことがあって座標を記憶している場所か、近くて認識できる場所にしか転移できないが、そもそも自分の現在位置が定義できない場合は、どこにも転移できなかった。
「(落ち着け。このままでは未来永劫ここから戻れん)」
川畑はまず体の状態を確認した。
いつも通りだったので、体を基準に縦横前後を決める。地面の定義は端をどこにするかスケールが面倒なので単なる均質な閉じた空間にした。自分の"後ろ姿"を観測するのは嫌なので、空間を閉じるのに必要な質量のいくぶんかを、光を散乱させる粒子にして分散させてから、光を発生させる。
ほぼ無重力の白い空間に川畑は浮かんでいた。
「(空間の設定をしても、この時空で転移の起点がとれないのは変わらないか)」
川畑は冷静に転移のパターンを思い返した。
自分が時空監査局のデバイスを使用して行える転移は、座標がとれないので使えない。エルフェンの郷や精霊界で門に使われていた方法は、虹色の石をカギにして特定の2点をつなぐ方式だから、使えない。勇者やノリコが召喚された方法は、用意された体に精神を憑依させる方式だから、使えない。賢者の使ってた方法は、精霊界の門に近かった。
キャプテンは何をどうしているのか推定不可能。帽子の男は……。
川畑はデバイスの"D"ボタンを押した。
「こんにちは。川畑さん、どーしました?」
現れた帽子の男に、川畑は妖精王の城のある世界に連れていって欲しいと頼んだ。
「それは難しいですね。あの世界は時空監査局の渡航禁止対象になってますから」
「じゃぁ、今の俺の部屋は?」
「私、いつもあそこに行くときは、川畑さんを目標に転移してるので、川畑さんのいないあの部屋には行けないんです」
「人魚の入江は?」
「先日、あそこでキャプテンと揉めて、人魚に嫌われまして、ほとぼりが覚めるまで出禁です」
「なにやってんだ、お前」
川畑は必死に考えた。ノリコを置き去りにしたまま、こんなところでいつまでも島流しになっているわけにはいかなかった。
「嫌!誰、あなた?近寄らないで」
ノリコは全力で拒絶を表明した。
「そう照れるなよ。俺だよ。毎朝会ってただろ?」
「いや、本当に誰?」
「知らないわけないだろ。俺は毎朝君が通学するの見てたよ。何度も目があったじゃないか」
「えっ、ストーカー?気持ち悪っ」
ノリコはかなりストレートに、片思いの男子の心をぶったぎった。普段ならもう少しマイルドな対応をするのだが、状況が状況なので、彼女も切羽詰まっていた。
こちらの世界に召喚されてから、勇者扱いでちやほやされていたアキハルは、ノリコの塩対応にキレた。
「うるさい。大人しく言うとおりにしろ。お前はこの世界で俺の王妃になるんだから」
「お断りします!」
無理やり腕を掴もうと手を伸ばしたアキハルの腹をノリコはおもいっきり両足で蹴飛ばした。
思わず姿勢を崩したアキハルは、玉座の縁で肘をぶつけて、肘と腹を抱えて後ずさった。アキハルが怯んだ隙をついてノリコは玉座から飛び出した。
黒い広間を走る。
「逃げるな」
ノリコを追おうとしたアキハルは、落ちていた水晶の欠片を踏んで、派手に転んだ。
「くそっ!」
悪態をついて起き上がり、ノリコの方に向かおうとすると、顔の回りを青い光がチラチラと舞った。
「なんだこれ!?虫か?」
アキハルはブヨを払うように目の前を飛び回る青い光を払いのけた。
「こいつめ、捕まえたぞ」
アキハルはカップを捕まえて、そのまま握りつぶそうとした。
『たいへん!たすけなきゃ』
キャップはあたりを見回した。
床に大きな丸い風呂敷包みが落ちていた。
『ようし、ええーい!』
キャップは風呂敷の端を持つと、精一杯飛んで、重い包みを持ち上げた。体の大きさでいえば、まるでカナリアがボーリング玉を運ぶようなものだったが、小妖精は主人からそれくらいはできるパワーをもらっていた。
『そーれ!』
キャップは水晶球の包みをアキハルの頭上に投下した。
「そうだ!お前、キャプテンがらみなら、どこの世界にも行けんじゃないか?」
川畑の指摘に帽子の男は面食らったような顔をしたが、「そうですね」とうなずいた。
「実はキャプテンがとある世界の存続を左右する事件に介入しようとしていてだな、是非ともお前に調査を依頼しなければと……」
「川畑さん、いかにも今思い付いたでっち上げに聞こえますが、何か物証はあるんでしょうね?口裏あわせの証言だけじゃ、渡航禁止世界への立ち入りには弱いですよ」
「大丈夫。物証ならある」
「ありがとう。カップ、キャップ」
ノリコは倒れたアキハルの隣から、凶器の風呂敷包みを持ち上げた。
「結構、重いね。中身は水晶球?」
「おーさまが、包んどけっていったの」
「川畑くん、何をしようとしてたのかしら」
ノリコは姿を消してしまったという川畑のことが心配でたまらなかったが、自分には彼を助けにいく能力も手段もなかったので、まずは彼がしようとしていたことを代わりに実行しようと思った。
「たしか、私が持ってた水晶をここに持ってこいって言ってたのよね?」
あたりを見回すと、アキハルが踏んづけた水晶が黒い石の床の上でキラキラと光っていた。
「うん。それでね、ここが"太陽の間"だよなってきいてた。それから、うえのアレをみてきてってたのまれたよ」
カップは頭上に吊るされた金の台座を指差した。ノリコは台座をじっと見て、手元の包みと見比べた。
「キャップ、これをあの台座の上に置いて」
「わかった」
キャップは風呂敷包みを受けとると、高く飛び上がった。丸い風呂敷包みは台座にぴったりの収まったが、何も起きなかった。
「うーん、大きさはあってるんだけど……こっちの欠片で何かするのかな?」
ノリコは、中で火が輝いている水晶片を拾い上げた。ノリコが手に取ると、彼女の手から赤い炎が吹き上がり、渦を巻いて水晶片の中に吸い込まれた。
「きゃ、なにこれ」
ノリコは欠片を取り落としそうになったが、水晶片は彼女の手の上に浮かんでクルクル回り、赤い炎を取り込んで輝きを増した。
「妖精王さまの炎のいろだ。きれーだねー。命や太陽とおなじちからだよ」
カップはうっとりと輝きに見とれた。ノリコは炎を取り込み終わって静かに手の上に戻った水晶片を握ると、まだ台座のところにいるキャップを見上げた。
「キャップ!風呂敷をほどいて」
「いいよ。んっしょっと……あれ?これ、われてるね。さっきおとしたときに、われちゃったのかな?」
「ううん。それ、さいしょから、かけてたよ」
「カップ、水晶球は欠けていたの?」
「うん。けっこうおおきくわれててね。そうだ、ちょうどこのカケラとおなじくらいなかったよ」
ノリコは目を凝らして、水晶球の様子を見ようとしたが、暗いのと、遠いのと、台座と風呂敷が邪魔になるのとで、よく見えなかった。
「カップ、お願い」
「なあに?」
ノリコは水晶片を差し出した。
「これを上の水晶球の欠けた部分にはめてみて」
「はーい」
カップは水晶片を持って、キャップのいる台座のところまで飛んだ。
下から上に行ったカップは、天窓の外を見て、上から下を見下ろしたキャップは、ノリコの方を見て、それぞれ叫んだ。
「ああっ!そらから!」
「ああっ!うしろから!」
「「あぶない!よけてー!!」」
上を見上げていたノリコの背後には、いつの間にか起き上がっていたアキハルが迫っていた。
勇者は呪われている




