猫の狂詩曲
川畑は、グランドピアノを要求した。
「引き損なって曲から外れたら、ペナルティで、ミスの程度に比例して精霊力を持っていく仕様にしてくれ」
「それはお前と同じに引けなかったときという意味か」
「そうだな」
「引っ掛からんぞ。無茶苦茶に引いて私のミスを誘う気だろう」
「まさか。そんなつもりはない。元ネタから音やリズムを外したら、俺もペナルティを食らってかまわない」
「単なる精霊力だけではなく、生命の炎の力を掛けよう。それくらいじゃないと勝負とは言えないだろう」
「わかった」
川畑は用意されたグランドピアノの前に、死の精霊は隣に並んだグランドピアノの前に座った。
「曲はなんだ」
「名作だよ。映像はこちらで提供する」
なにもなかった空間が、川畑の位置を中心に、一瞬でコンサートホールに変わった。
ライトアップされたステージ上で、いつの間にか燕尾服姿になった川畑は白いハンカチで手を拭いた。
二人の前に厚みのない大きな四角い画面が表示された。
表示されたのはアニメーション映像で、燕尾服を着た青灰色の猫のキャラクターが、ピアノの前に座るところだった。
『カップ、キャップ。お前達の大好きな猫さんのコンサートだ。しっかり聞いとけよ』
川畑はハンカチをポケットにしまって、姿勢を正した。
もったいぶって高く上げた右手が鍵盤を叩いた。
タタン
川畑の動きに合わせて、死の精霊の手も動いた。
タタ タタン
重々しい旋律が響いた。
タタタ タタン タタ タタン・・・
冒頭の静かな旋律が一区切りついたところで、死の精霊は、バカにしたように川畑を見た。命がけの勝負で真面目な顔をして提案したのが、アニメーションの猫のマネなのだ。
戦闘の剣撃を見切るのに比べれば、曲に合わせて隣と同じようにピアノを弾く位、世界の主には児戯に等しかった。
明らかにこの勝負を馬鹿馬鹿しいと思っている様子の死の精霊を、ちらりと横目で見て、川畑は妖精王と戦ったときのことを思い出した。
「(ヨハンの家の猫を越えてやるよ、妖精王)」
曲が進むにつれ、指の動きはどんどん早くなっていった。
画面の中の猫の指はあり得ないほど滑らかに動き、カートゥーン特有のデフォルメで小指が伸びさえした。
川畑は画面内の進行に完全に一致させて曲を演奏した。
彼の指は鍵盤の端から端まで滑り、途中でやけにしつこく同じ音を連打し、時には縮地でも使っているかのように飛んだ。
曲が軽やかにアップテンポになるとどんどん川畑の調子は上がっていった。
「(来た!AT&SF)」
カップとキャップお気に入りの軽快な挿入曲は、往年の名画のテーマ曲だ。猫が演奏するクラシックにネズミのいたずらで突然挿入されるこの部分のジャズアレンジを、川畑は完璧に再現した。彼の背後からは綺麗どころを満載したピカピカの蒸気機関車が現れて、陽気な調べに合わせて、ピアノの周囲を回って消えていった。
死の精霊は突然変化する曲調と、彼から見れば脈絡なく現れた蒸気機関車に戸惑い翻弄された。
"演奏"は体術や剣術で要求される素早さとは、完全に異なる鍛練と習熟を要求する技術だった。
体の動きで次のアクションが読めるとか、曲の構造から次の音が先読みできるとか、そんなことはもはや何も通じなかった。
好きで特訓したマニア気質のこだわりだけが再現できる精度で、川畑はピアノを弾いた。
猫がネズミをこてんぱんにする映像に合わせて、川畑は死の精霊をピアノ演奏で叩きのめした。
そして曲のクライマックスがやって来た。映像ではネズミの逆襲が始まったが、川畑は死の精霊に逆襲をさせる気は更々なかった。
"おーさま、おーさま"とまとわりつく小妖精達を喜ばせるためだけに、必死で練習した日々を思いだしながら、川畑はその思いを鍵盤に叩きつけた。自分の奥からいくらでも力が湧いてくる気がした。
「(まだだ。まだ許さない)」
世界から魔法と精霊力の定義を無くして、すべての妖精を消した死の精霊への怒りを込めて、クライマックスの激しい旋律をリピートする。
終わると思ったところで、リピートが始まり画面内の猫と、死の精霊はあわてて鍵盤に指を戻し、旋律に合わせた。
ジャジャーン ジャジャーン……
「(まだだ)」
画面の中で猫が倒れる。川畑はお構いなしにリピートを始めた。
画面が消え、川畑の精霊力と生命の炎の力が吸いとられ始めた。
「バカな!終わりではないのか!?」
死の精霊が叫んだが、川畑は気にせず続けた。
「まだ、俺もお前も倒れていない」
ただでさえ早い旋律がさらに高速化した。
死の精霊の手元は乱れ、鎧が軋んだ。死の精霊の中から赤い炎が容赦なく吸い出され、ピアノに吸い込まれていった。
ジャジャーン ジャジャーン……
「どうした。まだ曲は終わらないぞ」
緑の炎を迸らせながら、川畑は悪魔のように鍵盤の上で鉤のように曲げた指を広げた。
「ついてこられないなら、喰らい尽くす」
地獄の無限高速リピートに、死の精霊は悲鳴を上げた。
生命の炎の力を失って、死の精霊は鍵盤に突っ伏して倒れた。鎧の外装は各所で弾け飛び、薄れて消えかかっていた。
川畑は最後の旋律を弾いて曲を締めた。が、自身もまた力なくピアノにもたれかかった。
『どうだった、カップ、キャップ』
暗くなった中に万雷の拍手が響き、グランドピアノの上にスポットライトが差した。
ピアノの中から燕尾服を着た青と黄色の妖精が現れて、スポットライトの下に立って手を振った。
『おーさま、がんばったね。リピートいっぱいだった』
『たのしかった。ありがと』
川畑はぐったりしていたが、それでも嬉しそうに笑った。
川畑が讃えるように手の上に妖精を乗せると、死の精霊が呻いた。
「……バカな。なぜ妖精がいる」
「妖精は死なないって決めたのはお前達だろう」
カップとキャップは川畑の眷属だった。精霊力の定義さえあれば、川畑の存在を参照して再生可能だった。
川畑は指先で妖精達の頭を撫でた。
「結局、勝者はこいつらだ。お前は安らかに眠れ」
「お前や"勇者"がこの世界を奪うのか」
「そんなわけないだろう。気づいていないのか。お前や生命の精霊が捧げた魂がこの世界に何をもたらしたのか」
「おお、おお……」
「所詮お前は、記憶の残滓だ。かりそめの力で生き返ったように動いているが、その思考は本来のお前のものじゃない。お前、一番大切な最後の決断の心を覚えているか?生命の精霊が望み、お前が選んだ最後の決断がもたらした結果を無にするな」
川畑は妖精達を肩に乗せ、死の精霊を見つめた。
「精霊よ約束を果たせ。敗者は闇に戻れ」
死の精霊の鎧と、空間にヒビがはいって氷の細片のように剥落した。
2台のグランドピアノが燃え上がり、1つは赤、もう1つは緑の炎となって渦を巻いた。
緑の炎は川畑に吸い込まれ、赤い炎は大きな花の蕾のようなオブジェに巻き付いた。オブジェの花弁が燃え上がり中から卵型の玉座が現れた。赤い炎は玉座の中に身を横たえてたノリコの胸元に吸い込まれた。
「ノリコ……」
川畑は立ち上がった。彼が座っていた椅子もまた緑の炎になり、消えた。安堵の息を漏らして、ノリコの方に踏み出した川畑に、床に崩れ落ちた死の精霊は手を伸ばした。
「私は闇に戻る……だが、貴様もまた敗者だ。この世界を去り、永遠の虚空で朽ち果てよ」
振り向いた川畑の足元が光った。
『おーさま!』
光が消え、周囲が黒い石の広間に戻ったとき、川畑の肩に乗っていたはずのカップとキャップは宙に放り出され、川畑の姿は忽然と消えていた。
『おーさま、おーさま!!』
『おーさまが消えちゃったよう!』
カップとキャップは、消えた主人を探して大騒ぎした。二人は、床に倒れていた死の精霊の体が動いたのに気づいて、息を飲んだ。
鎧だったものと一緒に体表の一部が白い粉になって剥がれ落ちていく。
身を起こしたのは、勇者アキラとは異なる容貌の少年だった。
「は……なんだ?何があったんだ?」
14、5歳ほどの、ぱっとしない容貌の少年は、周囲を見回して、ノリコを見つけた。
「やったぞ。何がなんだかわからないが、俺は勝ったんだ!」
よろよろと起き上がると、森永アキハルは、ノリコが横たわっている玉座に近づいた。
「笛木」
中で炎が煌めく水晶を胸に抱いたまま、気を失っていたノリコは、数回瞬きしてから、うっすらと目を開けた。
「……誰?」
玉座の中の自分を、上から覗き込んでいる見知らぬ男子に、ノリコは怯えた。
「なんだ。目を覚ましたのか。キスで起こしてやるまで寝ててもいいのに」
とんでもないことを言われて、ノリコはゾッとした。




