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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第5章 魔王の倒し方

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異界の魔

気がついたらノリコは、白い甲冑を着た金髪の騎士とストロベリーブロンドの女の子に、どこかに連れていかれようとしていた。女の子は切羽詰まった様子で自分になにか話しかけてきたが、言葉はまったくわからなかった。

石造りの回廊を抜けた先で広がっていたのは、日本とはかけ離れた眺望で、ノリコはまたしても自分がどこかの異界に転移してしまっていることを理解した。

「(妖精女王にもらったドレスをナイトウェアにしたバチが当たったのかな)」

前回、精霊界から着て帰ってしまった緑色のドレスが親に見つかったとき、とっさに友人とお揃いでネット通販で買ったネグリジェだと誤魔化してしまったために、ノリコはそれを着て寝る羽目になっていた。

「(こんなスケスケでヒラヒラなの外出用とはとても言えなかったから仕方ないんだけど……)」

ノリコは、はっきりしない頭で、益体ないことをボンヤリ考えていたが、ふと少し離れたところに飾られていた石像の色が黒く変わっていくのに気がついた。その獣とも鳥ともつかない怪物の像は、真っ黒になると、ブルリと1つ身じろぎして、台座から飛び立った。

『こっち来る!騎士さん、気付いて!』

羽の生えた黒い怪物が、襲いかかって来るという非現実的な状況で、無力なノリコは、せめて騎士が対処できる時間を稼ごうと、懸命に頑張った。しかし怪物が2体になって、どうにも避けきれなくなったとき、ノリコはとっさに女の子をかばって、身を丸めた。

「(怖いっ)」

思わず目をつぶった瞬間、周囲がひんやりとした。


パピシウスの前と後で、氷結した二頭の魔獣が、粉々に砕け散った。

「ロッテさん、凄い!偉い!」

「あたしじゃないわよ!」

ロッテは彼女達を覆うように張られた透明な氷のドームが薄れて消えていくのを、あっけにとられて見ていた。


ノリコはおそるおそる顔を上げた。

「のりこ……?」

いつの間にか、目の前に学生服姿の川畑が立っていて、彼女に手を差し出していた。

『川畑くん』

そんな場合ではないのはわかっていたが、つい、学ランもかっこいいなと見とれながら、ノリコは彼の手を取った。


ロッテは突然現れたハーゲンが、女の子を助け起こすのを見て、パピシウスに、手を貸すよう無言で要求した。目を白黒させているパピシウスの手を取ってロッテは立ち上がった。

「ロッテ、パピシウス、何があった」

ロッテは、こちらに向き直ったハーゲンを見て、違和感を感じた。

目の前にいる男は、身にまとう雰囲気が今までとまったく違っていた。ロッテが見知っているハーゲンの凡庸な親しみ安さは、剥ぎ取られたかのように消え去っており、異郷の存在の異質さと、抗いがたい迫力があった。ロッテは思わず一歩、後ずさった。

「勇者が死の騎士の棺をこちらに持ち込んだところまでは把握している。彼女がここにいる経緯を教えてくれ」

ロッテは状況をかいつまんで説明した。目の前の相手は恐ろしく険しい顔で聞いていたが、隣にいる少女が心配そうに見上げて声をかけると、少しだけ表情を緩めてうなずいた。

「事情はわかった。勇者の阿呆めが、よりによって全く無関係なのりこを巻き込みやがって。こちらの世界の体に精神が召喚された状況では単純に転移で送り返す訳にもいかん」

「なんのこと?」

「ロッテ、君は聖典と魔術の基礎は履修済だろう。この世界の人間は、肉体と魂と記憶と生命力で構成されている。彼女は今、棺に保存されていた生命の精霊の体に、異界から魂と記憶が召喚された状態だ。術を解いて魂と記憶を戻さないと、元の世界の肉体が廃人になる」

彼は傍らの少女を見つめた。

『川畑くん、状況は悪いの?』

『大丈夫。必ず君を無事にうちに返してやる』

『ありがとう』

互いを見つめる二人の交わした言葉は聞き取れなかったが、ロッテは二人が互いに相手をどう思っているかを理解した。

「(なるほど。ハーゲンが何者かはさっぱりわからないけど、こいつがどうして女の子に見向きもしなかったかは納得したわ。こいつ、この子以外は眼中にないんだ)」


半目のロッテの視線をよそに、川畑は虚空から光る結晶を取り出した。

『これを持って。のりこ、君の体には今あまり良くない力が働いている。これを使えば改善できるから、怖がらないで気を楽にして。慎重に進めるから少し時間がかかるよ』

『魔法の水晶?この前の砂州の石みたいね。中で火が揺れてて綺麗』

ノリコは結晶を両手で持って、目を閉じた。川畑は、祈るようにノリコの額に手をあてた。結晶の中の火が揺れて、ノリコの全身が微かに光った。


「ちょっ、ハーゲン?あなたなにやってるの!?」

「彼女の体を動かしている生命の力を、呪われた(オーブ)由来の悪しきものから、清浄なものに置換してる」

「なんであんたがそんなことできるの!?その結晶(クリスタル)は何?」

「元は邪神の神官が持っていた水晶(クリスタル)だ。勇者が見つけたという割れた(オーブ)の破片だろう。解呪済で中は妖精王の炎と同質になってる。魔法使いなら魔力の属性はみえるだろう?」

とんでもないことをさらりと言われて、ロッテは唖然とした。


「そ、そうだ、ハーゲン。私達、アキラを助けたいのよ。力を貸して。その力があれば、アキラを救えるかも」

はっと思いいたって、そう頼んだロッテに、川畑は冷ややかに答えた。

「勇者を救うことを俺の主目的にはしない。浄化前の水晶(クリスタル)で死者を操った神官は、術が解かれた後、魂と記憶が破壊され廃人になった。元に戻るかわからん奴を救うために、この世界の人達を失いたくない」

「この世界って……あなた一体?」

「俺は勇者が魔王を甦らせて、世界を滅ぼすのを止めるためにここに来た。最初は魔王発生の真因を解消したうえで、勇者を送還するつもりだったが、今は暴走した奴自身の力で世界が危険にさらされている」

川畑は下界を指差した。

「見ろ。精霊界にある妖精王の城が、迷落の森の直上に出現している。精霊界の膨大な力が迷落の森に落ちて、もともと城と森に設定されていた防御機構が暴走し始めている。このままだと城と森から出現した魔物が周辺の人々を襲い、制御する主を失った世界は崩壊する」

ロッテは絶句した。


「森の迷宮の機構は、管理担当の妖精でも手が付けられない状態だ。門を開けた奴がいれば、なんとかなるかもしれないそうだが……」

「あ!開けた人います!」

途中から理解を放棄した顔をしていたパピシウスが、最後だけわかったらしく、勢いよく申し出て、背中に背負っていた包みを下ろした。

「パピィちゃん、それは……」

「まだ息はあるみたいなんです!」

パピシウスはマントでくるんでいたエッセルの体を抱え上げた。腕や脚が半分ほどの長さになり、すっかり小さくなった体の表面から白い砂のような破片がかさかさと落ちた。

『キャップ、そっちにミルカはいるか。いたら連れてこい』

川畑が左手を払うように動かすと、突然、眼鏡をかけた少女が現れた。

「わ!?ここどこですか?ええっ、お姉ちゃん??」

「ミルカ!?今、一体どうやってここに?」

『おーさま、あっちははなしおわったよ。すぐによういするって~』

「よし。ミルカ、そのエルフェンの子に回復魔法を頼む」

「は、はい」

おたおたしながら、ミルカはエッセルに回復魔法をかけた。

「エルフェンは妖精と同じで死なない。パピシウス、よけいな粉を払ってやれ。おそらく解錠失敗のペナルティで、百年分の成長と経験で得た知識を奪われている」

回復魔法のおかげで意識を取り戻したエッセルは、大人の体の破片をバラバラ落としながら、身を起こした。その姿は人間の4、5歳児のようだった。

「エッセル!あなた、無事……じゃないけど、生きてたのね!」

ロッテは涙ぐみながら、ミルカと一緒にエッセルの体のチリを落としてあげた。いろいろ縮んで余った上半身の布を首の後で結び直してあげると、スカート丈はむしろ今でちょうどになった。

「えーと?」

大きな目をパチパチさせながら、首をかしげているエッセルを指差して、川畑はキャップに指示を出した。

「森の迷宮前に送る。キャップは一緒に行って光苔(シストステガ)にこれが門を開けた奴だと伝えてくれ」

『はーい』

黄色い輝きはエッセルの頭の上に乗った。川畑が再び左手を払うように動かすと、エッセルとキャップの姿は消えた。

「えええ!?」

ロッテ達は何が起こっているかわからず、見えない何かに指示を出す川畑を呆然と見上げた。


「カップ、一度帰ってこい」

『ただいま、おーさま』

現れた青い輝きは川畑の周りをくるりと回って。差し出された左手の上に乗った。

「周辺の人里への避難指示は?」

『みんなでてわけして、おしらせにでたよ。こわいまものがくるから、おうちでかくれてなさいって』

「よし、パピシウス、お前は発生した魔獣から地上の人々を守りに行ってくれ。あそこにみえる町を防衛拠点にしろ。周辺の小さな村は妖精が総出で危機を知らせに行ってる」

パピシウスは途方にくれた顔をした。

「一人でやれとは言わんぞ。ボーデン侯爵のところの食客の先生方の力をお借りしろ。ミルカ、彼をサポートしてくれ。侍従長にこの手紙を持っていけばいい」

川畑は虚空から一枚の紙を取り出した。白紙の表に赤い光点が走り、薄く煙がたった。悪魔の契約書もかくやというその手紙を受け取ったパピシウスは、焦げ跡で書かれた文字を少し読んで、不安そうに尋ねた。

「あの、ここに"この手紙を持参した男は、本件解決後に好きにしていい"って書いてありますよ」

「良かったな。お前、常々もっと強くなりたいって言ってたじゃないか。あそこの修行は凄いぞ」

パピシウスはひきつった笑いを浮かべた。

「でも、ボーデン領なんてここからどうやっていけばいいんですか」

「送ってやる。すぐに迎えにいくから、出現地点に最前線での乱戦希望者を集合させておけ」

川畑が肩を叩くと、手紙を持ったパピシウスとその隣にいたミルカの姿が消えた。


「あんたがお伽噺の悪い魔物に見えてきたわ。実はハーゲンの姿を真似た魔物なんじゃないの」

川畑は悪い笑みを浮かべた。

「お前の実年齢を知ってるぞ」

「ぎゃー!」

「冗談はともかく、ロッテは王城の魔術士に顔が利くよな。事情を説明して、王都の防衛にあたらせてくれ。それから王城では忘れずに……」

ロッテは低くなった声を聞き漏らすまいと、身を乗り出した。

「俺の噂の火消しをしてくれよ」

「バカでしょ!あんた!!わかったわよ。あんたはハーゲンよ」

ロッテは川畑に指を突きつけた。

「あんたの正体がなんだかは知らないけど、話を信じて協力してやるわ!だから、あんたも1つ私の頼みを聞いてちょうだい」

「なんだ?」

「……もしも、救えそうならアキラを助けてあげて」

川畑はグッと顎を引いた。

「約束してくれないなら、あなたとパピィちゃんのあることないことを城の侍女達に吹き込むわ」

「"あること"なんてなんにもないだろう!!」

「お願い。"もしも"だけでいいの。あいつはどうしようもないろくでなしだけど、それでも私のパートナーなのよ」

川畑はため息をついた。

「わかった。奴に君をパートナーとして想うほどの正気が残っていたら助けるよう努める」

「ありがとう」

「王城ではお前は安全なところにいろよ」

「待って!?私もパピィちゃん達と一緒にランバーの町に行くんじゃないの?私、これでも魔王退治の選抜メンバーよ!」

「広い王城で君を探して迎えにいく手間がかけられない。最初から最前線に行くか、王都に現状を知らせに行くかのどちらかだ」

「ランバーに送って。パピィちゃんが戦力連れて来るまでに、避難と防衛の段取りを済ませておくわ」

ロッテは、意外そうな顔をした川畑をジロリと見返した。

「何よ。これでも拠点防衛と住民避難指示は成績良かったのよ。あのアキラにそんなことまかせられるわけないでしょ」

川畑は数拍の間、目を閉じた。

「君をランバーに送る。目視での中距離転移になるので、出現地点の精度が悪い。落下の衝撃に備えろ」

「ええっ、落下?ちょっと待っ……」

「幸運を祈る」

川畑が左手を振ると、ロッテの姿が消えた。


ノリコの体を包んでいた淡い光が薄れて消えるのを待って、川畑はふらついた彼女をそっと支えた。

『大丈夫か?』

『ええ。まだ少し変な感じだけど、さっきまでより頭ははっきりしてきたわ。やっとまともにものが考えられてきたところ』

ノリコは先ほどまで自分が、いかにどうでもいいことばかりに思考が流されていたか自覚して、いたたまれない気持ちになった。


『川畑くん、私、今、日本語で話してないよね?なんだか頭のなかに自分のものじゃない知識があるみたいなんだけど、説明時間はある?』

『時間はあまりない。ここは妖精王の城で、君は精霊の体に憑依させられた。これから魔物を退治しながら、その原因を何とかする』

『OK、だいたいわかったわ』

ノリコはうなずいた。根掘り葉掘り聞いても対して問題解決の役にたてそうにないなら、ここはわかってそうな川畑を信用すべきだと、割りきったのだ。

『じゃあ、行こう。こっちだ』

『はい』

二人は駆け出した。




突然、転移させられたロッテが出現したところは、城門の屋上だった。しかも縁の壁の上ぎりぎりだったため、ロッテは焦って足を踏み外して落ちかけた。

「きゃあぁ」

「危ない!」

落ちそうなロッテを掴んで引き寄せて、抱き止めてくれたのは、ロビンスだった。彼は周囲の状況を確認するために城門の上の見張り台に登ってきたところだったのだ。

「君は魔法伯のところの?魔法で現れたのか?」

「魔法だとは思えないけど、魔法だとしか思えないから、魔法だということにしておいて!」

ロッテは腹立ち紛れに叫んだが、自分を抱き止めてくれた騎士が、いい感じに好みの色男であることに気付いて、口調を改めた。

「ありがとうございます。ここはランバーですか?」

「そうだ」

「迷落の森で異常が発生して危機が迫っています。私はここの防衛のために来ました。現在の兵力を教えて下さい」

「お、おう」

ロビンスは訳がわからないまま、ロッテの勢いに呑まれて、ランバーの現状を説明した。


「仮にも城壁のある都市の守備兵が、24人だけってどういうこと!?」

「半分は見習い(こども)予備役(としより)だ。あとは夜勤明けの奴と、二日酔いの奴と、夜勤明けで二日酔いの奴が3分の1かな?」

「ウソでしょ」

ロッテはロビンスの説明に頭を抱えた。

「さっき森番衆が知らせに来てくれたので、畑にでていた農民は戻るよう知らせを出した。何が起きるんだ?迷落の森の上空に見えるアレは一体なんだ」

ロッテがロビンスの問いに答えようとしたとき、1台の馬車が凄い勢いでやって来た。

「城門を閉めろ!魔獣が来るぞ!」

馬車と一緒に走ってきた男が叫んだ。

「森番殿か!?そちらの先触れの使者の話を聞いて、今、城域外の住民を収容中だ。まだ門は閉められん」

「急げ!魔獣の群れに入られたら全滅するぞ」

「群れって、どれくらいの数が……」

薄暗く視界の悪いなかで目を凝らしたロビンスは、おびただしい数の黒いなにかが、森の方から迫って来るのに気付いた。

「大変だ!」

「騎士様、私が城門前に魔術で防御陣を張って時間を稼ぎます。外の人が戻り次第閉められるようにしてください」

「あんな数、城壁があっても守りきれるかどうかわからんぞ」

「増援は来ます。今はできる精一杯のことをしましょう」

「わかった」

ロビンスは整った少し甘めの顔をキリリと引き締めて、ロッテの手をとった。

「よろしく頼むぞ、魔法使い殿。共にランバーを守ろう」

「はい!」

ロッテは猛然とやる気が湧いてきた。


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