失われた勇者
「これで、終わりだぁーっ!」
勇者が抜き放った刀は、死の騎士の鎧にあたって、折れた。
「はあっ!?嘘だろ!」
華麗な拵えの日本刀の刀身は竹光だった。刀掛けに飾るのは拵だけで、刀身は別で保存するなんて、勇者は知る訳がなかった。妖精王は川畑からうろ覚えの日本刀の保存方法をあれこれ吹き込まれて、鵜呑みにしていたのだ。
「終わりにしよう」
死の騎士は、剣を振り下ろした。
「勇者どのぉぉーっっ!」
パピシウスは死の騎士と勇者の間に無理やり割り込んだ。パピシウスの剣が死の騎士の剣を止めて火花が散った。横合いから重量級のタックルをモロにくらって、勇者の体はふっとんだ。勇者の手から水晶球が飛んだ。
「っだぁああっ。勇者殿、すみません!」
両手で支えた剣で、必死に死の騎士の剣を押し返していたパピシウスは、目の前の騎士の顔を見て、ぎょっとした。顔にかかっていた黒い靄が、吸い込まれて張り付くように消えて、真っ黒な顔が現れた。目と口を大きく開いたタリアーノの顔は、パピシウスの前でどろりと崩れて、黒いタールのように騎士の甲冑の隙間から流れ落ちた。
「うわわわわ!」
「パピィちゃん、下がって!それに触ると死ぬわよ!」
パピシウスは飛び退いた。
彼に取りつこうとした黒い何かは、彼の白い甲冑に触れると、まるで熱い物に触れたかのように萎縮し、彼を避けて、どろどろと床を這って行った。
「オオオオオオ……」
勇者の体が痙攣した。顔が赤紫色になり、白目を剥いて倒れた彼に、黒いどろどろした何かは吸い込まれていった。
「アキラ!」
勇者に駆け寄ろうとしたロッテに向かって、勇者の足元から黒いものがどろりと一筋伸びた。
「ロッテさん、危ないっ!」
黒いどろどろの筋を、パピシウスは断ち切った。彼の白い鎧の装飾が金色に発光し、黒い影を退けた。
「アキラ……」
「うわぁ、勇者殿、取り憑かれちゃった」
黒い何かに覆われた勇者は、ゆっくりと立ち上がった。どす黒い障気の渦が彼を中心に発生していた。
田舎の小都市の守備隊長。王都で騎士団長まで勤めた者の移動先としては、左遷だから当たり前とはいえ、ずいぶんとショボくれたところだった。
「でもまぁ、俺はまた"隊長"とこうして一緒に居られるんで文句はないですけどね」
ロビンスは悪びれもせずにぬけぬけとそう言った。
「まさか左遷先でお前と一緒になるとはな」
バスキンは苦笑した。
「隊長、このランバーの町はいいところですよ。街道外れで迷落の森の手前のどん詰まり。中央からそれほど遠くないのに、辺境感バッチリの田舎で、金目のものがないから盗賊も誰も来ない上に、国境から遠くて敵襲の可能性もないというね。いや、ホントになんで城壁があるのかわかんない町ですからねー。ここの警備は真の閑職です」
町の人みんないい人過ぎて治安もいいし、とのんびりお茶を飲むロビンスの隣で、バスキンはため息をついた。
「それにしても、ずいぶん表が暗いな。日が陰ったというには……」
バスキンが腰を浮かせた時、警備小屋に若い兵士が駆け込んで来た。
「隊長さん、大変です!」
「どうした、クリス」
「迷落の森の人がやって来て、すぐに町の人を避難させろって!」
「なに!?」
「森から魔物が溢れるそうです!」
「なんだと!!」
慌てて表に飛び出すと、空には真っ黒な雲が垂れ込めて、森の方を中心にゆっくりと渦を巻いていた。
護衛官は、殿下はお休み中だから昼過ぎに出直すようにと言った。
「それでは遅いんです!ああ、では私を大聖堂の祭司長様のところに連れていってくださいませ。早く知らせないと……」
「何が起きるんだ」
部屋の扉が開いて、腰にシーツを巻いただけの半裸の皇子が出て来て、シャリーは目を丸くした。
「妖精達がなにか悪いことが起きてるって言うんです。このままでは危ないって……彼はどこですか?妖精達が教えてくれないの」
不安そうに目を潤ませるシャリーに、皇子は真剣な面持ちで告げた。
「何かが起きているというなら、きっと彼はその中心にいる」
シャリーは息を飲んだ。
「安心してくれ。彼から、君のことは頼まれている。何があろうが彼が戻るまで私が全力で守るよ。必要なことがあれば、何でも言ってくれ」
シャリーの手を取って、両手でしっかり握った皇子から目をそらせて、シャリーは頬を染めた。
「あの……ではまず、服をお召しになってくださいませ……」
皇子は慌てて床に落ちたシーツを拾った。
「父さん、早く!」
「足の弱いものは全員乗ったな。馬車を出せ」
ソウは、子供と年寄りを乗せた馬車を護衛しながら、他の森番衆と一緒に走った。
とっくに夜は明けている時分のはずなのに、空が暗い。森がざわめいて、肌がチリチリするような嫌な感じがつのった。
『左』
声が聞こえた気がして、左手の木々の間を見ると、黒い獣の姿が見えた。
「父さん、襲撃!左手。複数。狼に似ている」
「囲まれていないか確認しろ!」
「右手にもいるぞ。狼よりも大きい!」
「速度をあげろ。馬車を守れ。ソウ、お前は荷台にのって弓を使え」
「はい!」
ソウは馬車に飛び乗ると、背負っていた荷物を下ろして、素早く弓に弦を張った。矢筒だけを背負い直し、すぐに矢をつがえる。
『後』
馬車の後から荷台に飛び付こうとしていた獣の目を射る。
『右奥』
迫る一頭を切り捨てた父に、脇から襲いかかろうとしたもう一頭を射る。
「次!」
見えない妖精の声を感じながら、ソウは次々と獣を射た。倒した獣は黒い塵か霞のようになって、崩れて消えた。
10頭ほどの魔獣の群れをなんとかやり過ごして、森を抜けたとき、ソウは世界が軋んでたわんだような感覚を覚えて、思わず馬車の荷台に膝をついた。
「なんだあれは……」
見上げた空には巨大な樹があった。
その樹は、空に重く垂れ込めた黒い雲の間から逆さまに生えて、山嶺の裾野に広がる迷落の森全域に匹敵するほどの梢を、森の木々に触れそうなぐらいにまで広げていた。
巨大な樹の幹から片側にいびつに広がる大きな梢の上には、浮き島のように大地と森があった。天から伸びた樹の大きな掌の上に乗っているような、その天空の森には、大きな黒い城がそびえ立っていた。
城から禍々しい気が立ち上ぼり、先ほどの何十倍、何百倍もの魔獣の気配が森に満ちた。
『城が……堕ちた』
ソウは胸元に下げた貝殻のペンダントを握りしめた。
「ランバーの町まで走れ!あそこには城壁がある」
思わず足を止めて、呆然と城を見上げていた森番衆達は、ソウの叫びにはっとして再び走り始めた。ソウは自分も荷台から降りて走りながら、必ずもう一度彼に会うために、逃げて逃げて生き延びることを心に誓った。
パピシウスは黒い何かに飲まれた勇者を救おうとした。しかし、彼は魔法関係はさっぱりわからなかったので、剣で切ることも、盾で防ぐこともできない問題の解決は苦手だった。
勇者の周りで黒い靄が渦を巻き始めた時点で、パピシウスは自力での勇者救出を断念した。
「一時退却~!」
ロッテを守って下がろうとした時、ふと棺の中の女の子に目が行った。
「あ、この子も助けなきゃ」
慌てて剣を置いて、棺の中に手を突っ込むと、一瞬、彼の鎧の金の装飾紋様と、棺の上面がキラリと光って薄氷が割れるような音がした。パピシウスは細かいことは気にせずに、女の子を抱えあげ肩に担いだ。
「パピィちゃん!なにやってるの!?」
「ロッテさん、逃げますよ!走って」
パピシウスはそのまま振り返らずにロッテに向かって走った。ロッテは彼の背後を見て悲鳴をあげたが、もう一度、強く呼ぶとパピシウスと一緒に走り出した。
どこが出口かわからないので、パピシウスはとにかく一番手近な扉に盾ごと体当たりして広間の外に出た。小さな泉水のある中庭を横切り、回廊に入ったところで、激しい地鳴りがした。立っていられないほどの揺れに、二人は手近な柱にしがみついた。
「いやぁあ、落ちる!」
「うぇえ、気持ち悪い」
体が裏返りそうな目眩がして、目の前が暗くなった。気がつくと冷たい風が回廊を吹き抜けていた。
「ロッテさん!大丈夫ですか!?起きてください」
「寝てないわよ!揺すらないで、頭がくらくらしてるんだから」
「とにかく、あっちに行きましょう。風が吹いてきます」
パピシウスが女の子を抱え直そうとした時、彼女はうっすらと目を開けた。
「あ、起きた」
「起きたの?ねぇ、あなた立てる?走れるなら自分で走って。逃げるわよ」
支えられて立ち上がった彼女は、まだしっかりと覚醒していないようで、ボンヤリした様子でふらついていた。
「ダメだわ、これ。パピィちゃん、担いで」
「はい」
「もう、なんでこんな子、連れてきちゃうのよ!」
「放っとけないですよ!」
「あんたって、そういう奴よね」
ロッテはパピシウスがずっとマントにくるんで背負っている"荷物"をちらりと見た。
「暴れないでくださいよ……っと、これでよし。さぁ、行きましょう」
女の子を抱えあげたパピシウスとロッテは回廊を抜けて、見晴らしのいい場所に出た。羽の生えた幻獣の石像が飾られたバルコニーからは、城の回りに広がる森と、その下に広がる大地が見えた。
「うわぁ、ロッテさん!見てください。パルム山のてっぺんよりも高くないですか?ここ」
「うそ……どうなってるの?森の向こう側、ものすごく下に景色が広がってる。ええっ!?あっちに見えてるの、あれランバーの町じゃない?ということは、あそこが迷落の森に続く街道で……大変、パピィちゃん!この城、迷落の森の真上にあるわ!」
「ええっ、森が山になっちゃったんでしょうか?じゃあ、あの手前の森が切れている先は崖かな。降りられるといいけど。とにかく階段を探して下の森まで出ましょう」
「そ、そうね。パピィちゃん、あなたこんな状況でよく次の行動が思い付くわね」
「任せてくださいよ。僕、長期的戦略とか無理ですけど、目先の対処って得意なんです。できることやるだけですから」
その時、パピシウスが抱えていた女の子が悲鳴をあげた。
「あ、暴れないで。今、おろしますから……って、え?なに?」
パピシウスは女の子が自分の背後の何かを見ているのに気がついた。
「パピィちゃん、後!」
身を屈めながら叫んだロッテが指す方向に盾を構えて、パピシウスは反対側に女の子を下ろした。
ガツンと盾に衝撃が走る。弾き返して、相手を確認しながら、女の子の手を引き、パピシウスはロッテもかばえる位置に移動して体勢を整えた。
眼前には、さっきまでただのバルコニーの飾りだったはずの幻獣が、真っ黒な魔獣に姿を変えて立っていた。
「ロッテさん!魔法攻撃お願いします」
「パピィちゃん、剣は!?」
ロッテは、パピシウスの手元にも腰にも剣が見当たらないのに気付いて叫んだ。
「置いてきちゃいました」
「バカでしょ!」
ロッテは敵までの距離を測りながら高速で術式を組み立てて、攻撃魔術を構築した。
火球が魔獣のすぐ前に出現して爆散した。
飛び退いた魔獣を追うように、第二、第三の火球が出現するが当たらない。
ロッテの前にいたパピシウスが、不意に大きく一歩下がって、盾を降り上げた。
ロッテの頭上でガツンと盾が何かを弾き返した音がした。
「もう一体います!」
頭上の二体目からのガードはパピシウスに任せて、ロッテは、正面から羽を広げて突っ込んで来る一体目に、火球を食らわせた。やったかと思ったとき、爆炎を突き抜けて魔獣がロッテに襲いかかった。
「きゃあっ!」
魔獣の鋭い爪がロッテを引き裂こうとした瞬間、ロッテの体は無理やり下に引き倒された。ぎりぎりで脇を掠めた魔獣をパピシウスが横手から蹴り飛ばした。
床に転がったロッテは、彼女を引き倒したのが、あの女の子だったことに気づいた。自分も一緒に床に倒れた女の子がなにか叫んだ。彼女の目線を追って、ロッテは、頭上からもう一体の魔獣が襲いかかって来るのに気づいた。
間に合わない。
目算を外した火球は、頭上の魔獣の後方に出現した。パピシウスが横から攻撃してきた魔獣を盾で防いだのを視野の端に捉えながら、ロッテは必死で防御魔術を構築しようとした。
ロッテの防御魔術発動予定位置を魔獣の爪が通り過ぎたとき、女の子がロッテの上に覆い被さった。
その時、彼女達の周囲は氷結した。




