オウモノ
そこはずいぶんと落ち着いた感じの部屋だった。部屋の中央には、庶民では見る機会もないぐらい高級そうな革張りの大きな椅子とサイドテーブルがあり、本棚の反対側の壁際には酒瓶の並んだ棚とちょっとしたカウンターがあった。
川畑は部屋の片面の壁一面まるごとを占めた本棚を眺めた。中身の本は装丁の種類も内容のジャンルもバラバラで、"趣味的だな"という以外共通点がない感じだった。
「(やばい。ここの本の品揃えが面白すぎて正直羨ましい。スライド棚の後側も全部見たい)」
川畑が思わず自分の現在の状況を忘れかけたとき、部屋の扉が開いた。
白いTシャツに紺の作務衣姿で部屋に入ってきた彼は、そこに立ち尽くしていた川畑を見ても何も言わず、手にしたマグカップの中身を一口飲んだ。
「こ…こんにちは?」
川畑は沈黙に耐えかねて挨拶した。
「気付いてないふりでもしてやろうかと思ったのに」
うんざりした顔をして、彼はマグカップをサイドテーブルに置いた。川畑は予想外の人物の登場に戸惑った。
「なんであんたがここにいるんだ」
「なんで、も何も……君は他人の部屋に勝手に上がり込んで、何を言っておるのかね」
キャプテン・セメダインは髭をピンと立てて、片眉をつり上げた。
「なぁるほど。時空の隙間に落っこちて、気がついたらこの部屋に立っていたと」
「時空の隙間かどうかはわからんが、とにかく暗視も効かない暗闇に放り出されて、現在位置を見失ったと思ったら、ここにいた。頼む。元の異界に俺を送ってくれないか。自分で転移しようとしたが、できないんだ」
キャプテンは変な形の簡易椅子を持ってきて川畑の隣に置くと、自分はカウンターに向かった。川畑はぐらぐらする簡易椅子に腰を下ろした。座ってみると変な角度でバランスが取れて、それはそれで座りやすい椅子だった。
「飲み物はなんにする」
「いや、そんな悠長にしている場合じゃないんだ。早く戻って止めないと、勇者が魔王を倒してしまう」
「それの何がまずいのかよくわからんが、まぁ、細かい事情の説明は要らん。元の時空には送ってやる。時間のことは気にするな。飲み物はなんにする?」
川畑はキャプテンの後に並んだ酒瓶っぽいものの列とサイドテーブルの上のマグカップを見た。ここでつまらないものや、子供過ぎるものを頼むのはカッコ悪い。
「……それと同じものを」
結局、ザ・無難な注文をした川畑に、キャプテンはカウンターでなにやら手際よく用意して、蒼鈍色のタンブラーを渡した。最近、付け焼き刃でサーブの作法を習った川畑は、キャプテンのその動きがラフなようで勘所は押さえているのがわかって、どうにも悔しかった。陶器か金属かわからない謎素材のタンブラーは、触っても冷たくなかったが、中はひんやりしていて、水より少しだけトロリとした液体と氷が入っていた。不意に川畑は喉の渇きを感じた。
「これ、飲みすぎると健康を損なう恐れがあるって表示が出てるんだが……」
「水だって醤油だって、飲みすぎたら死ぬわい。気にするな」
そう言われては飲まない訳にもいかず、川畑は謎の飲み物に口をつけた。
「げふぁっ」
正体のわからない異界産の飲食物の場合にはいつもやっていた魔力変換が働かず、川畑は盛大にむせた。
「毒なんか盛らないから、小細工しないでぐっといけ、ぐっと」
キャプテンは革張りの椅子に座って、自分のマグカップを手に取った。
「それでお前、勇者だ魔王だっていうところにそんなカッコでいく気か」
従者のお仕着せを着た川畑は、癖のある味の飲み物を飲みながら眉根を寄せた。
「おっさんの今のカッコよりはましだと思う」
「うちで一人でくつろいでいるときなんて、清潔で快適なら良いんだ。だが、お前のそれはバッテンだぞ。なんで晴れの場に、そんなつまんない宮仕えの有象無象みたいな格好で行くんだ」
「俺はあんたみたいに派手好きじゃないんだよ。だいたい俺の顔でゲームの勇者みたいな格好したら、三流深夜バラエティー番組のコスプレみたいになるぞ」
「バカが。すでに勇者がいるところに、勇者の格好で行ってどうする。だいたいお前の本分はなんだ。その場での自分のアイデンティティーを主張するために正装しろと言っとるんだ」
「俺の本分?」
「お前はどこぞの王公貴族の使用人でその偉いやつのために、勇者だか魔王だかを止めにいくのか?」
「いや……違う」
「じゃあ、そんなつまらん格好はよせ。だいたい襟はパリッとしてないし、汗染みはできてるし見苦しいぞ」
作務衣姿の中年男に、臭いものを見る目付きで見られて、川畑はショックを受けた。
「挙げ句、選んだのがそれかー」
「うるさいな。俺の本分は学生で、学生の正装は学生服なんだよ!」
キャプテンの謎の品揃えのワードローブから出てきた学生服に着替えた川畑は、渡された風呂敷に元の服を包んだ。ポケットに入っていたはずのカップとキャップは青と黄色のビー玉になっていた。
「(眷属の展開もできない。世界への干渉が完全に制限されている。主の支配力が強いとこういうことになるのか……)」
川畑はビー玉を大切に学生服のポケットにしまった。
「よし、送ってくれ。俺を送るだけで、あんたは来なくていいからな。……あんたは来るなよ」
「前フリか?」
「ホントに来るなよ!」
川畑はキャプテンに念を押した。
「そういえば、嬢ちゃんは元気か?危険な目には遇わせとらんだろうな」
「彼女は……大丈夫だ。ちゃんと家にいる」
「なんだ、その半端な返事は。一緒におるんじゃないのか」
「いや……」
川畑は視線を逸らせた。
キャプテンは呆れ果てたというようにため息をついた。
「何をやっとるんだ、お前は。俺といると危険に巻き込むからとか、君を守るため俺は一人で行くとかいうカッコつけは、要するに好き勝手したいけど女が邪魔なときにする言い訳だぞ」
川畑はキャプテンをにらんだ。
「経験者の談か」
「バカもん。そんな事言える相手がおったら、この歳でヤモメぐらしのプロなんぞになっとらんわい」
胸を張る中年男に、川畑は恋人ができたためしがない自分の明日を見た気がしてゾッとした。
「お前が嬢ちゃんを守らんなら、ワシがその役もらうからな。この青二才」
「お前のような奴にのりこは渡さん」
仏頂面でそういった川畑の前で、キャプテンは高笑いした。
「そこで"誰にも渡さん"と言えんようじゃ、話にならんな。ほれ、送ってやる。惚れた女一人、手元で守る意気地のない男は、どこぞの世界の危機でも救ってこい」
キャプテンは川畑の左手を掴んだ。
「気が向いたら遊びに行ってやろう」
「要らん。来んな」
キャプテンはニヤリと笑って、川畑をぶん投げた。
「バカ野郎、ホントに落ちたところそのものに戻すなよ!」
川畑は床だか壁だかわからない断片が交差する真っ暗な空間に投げ込まれて、あわてて足場を見つけて三角飛びをした。緑の光点を探すが見つからない。
「こっちだ!」
声がした方を見ると、その先に四角い開口部があり、人影が見えた。
「あれか」
四方八方にランダムに飛び交う迷宮の断片を蹴りながら、見つけた出口に向かう。現在位置が特定できないせいで、まだ短距離転移もできなかった。
「(やべっ、届かん)」
出口まであと少しというところで、最後の跳躍の踏切りが甘く、微妙に飛距離が足らないのに気付いて、川畑は焦った。
「手を!」
言われるままに手を伸ばして、出口にいた人影が差し伸べた手を取る。強く引っ張られた川畑は、勢い余って、手を引いてくれた人を巻き込んで転がった。
「すまん。大丈夫か。おかげで助かっ…た……」
すぐに起き上がって相手を抱え起こした川畑は、相手の姿を見て一瞬固まった。彼を助けてくれた人はかなり露出の多いコスプレもどきの妙な服装をしていたのだ。黒い革のバンドが、無意味に沢山ついているが、生っ白い肌を強調する以外の役にはたっていなかった。相手は川畑の視線に敏感に反応して、羞恥で真っ赤になった。
「いや、これはその、好きでこういうカッコをしている訳じゃないんだ!」
何も言っていないのに言い訳を初めた相手を川畑はなだめた。
「大丈夫。おおよそ事情は察した。勇者のせいだな。わかったから半端に隠そうとしてモジモジするな。余計に見ていて気恥ずかしくなるから。ほら、これ着ろ、これ」
猫のようなアーモンド形の目にうっすらと涙を浮かべた相手に、川畑は持っていた風呂敷包みから上着を取り出して渡した。
「ここは精霊界の夜側か。お前はエルフェンの郷の者ではないな」
「迷落の森の森番衆だ」
「勇者はどうした」
「先に進んだ。オレは小さな声が助けてくれっていうから、こっそり抜けて戻って来たんだ」
淡いエメラルドグリーンに光る妖精が川畑の前で恭しく礼をした。
『ごぶじでなによりです』
「光苔!お前も無事だったか」
『ここな夜光茸が、この人間は、われらのはなしをかいするというので、つれてまいりました』
「クロロフォス?」
『あたしだよ。このこ妖精王さまにあいにいこうとしてたの。でもそのおじーちゃんがたすけがいるっていうからさ』
派手な蛍光黄緑のスカートをヒラヒラさせた妖精は、シストステガを指差して済まし顔でそういった。
「ありがとう。シストステガ、クロロフォス」
手の上に妖精達を乗せた川畑を、若い森番衆は不思議そうに見上げた。
「何か……いるのか?緑色に光ってる?」
「妖精だよ。君には見えにくいかも知れないが、君に声をかけてここにつれてきた二人がここにいる」
川畑は緑の妖精達に視線を戻した。
「クロロフォス、こちらの状況を教えてくれ。ずいぶん森が荒れているが、何があった」
「どーしてかはわからないけど、きゅうにおおきなおとがして、じめんがモリごとふっとんだの。それで、みにきたら、おおきなアナがあいてて人がいっぱいいて、そのこが妖精王さまのお城にいく扉をあけようとしてたからてつだったのよ」
「オレは気を失ってたから、その大きな音が何だったのかはわからない。起きた時には大きな穴の底にいた。穴というよりは、ここと同じで地下室の天井が地面ごとなくなった感じだったな。真ん中に塚みたいなものがあって、勇者はそこを掘らせて大きな長櫃を持ち出していた。ああ、それと黒い鞘の剣も持っていた」
「そこを見たい。案内してくれ」
『ついてきて』
クロロフォスは勢いよく手から飛び立った。
川畑は森番衆を促して、一緒に妖精のあとを追った。
辺りの地面はひどい有り様で、あちこちで吹き飛んだ地表の下に地下通路の残骸が露出していた。
「勇者め、さては常闇の迷宮に癇癪を起こして、天井を森ごと魔法で吹き飛ばしやがったな」
妖精を追う二人は、普通の人なら相当難儀する足場を、軽い跳躍でショートカットしながら進んだ。
「扉というのは?」
「その地下室のような穴の壁に一枚岩があって、門か扉のような柄が刻んであった。"鍵"と呼ばれていた石板を妖精の言うとおりに扉の脇に嵌め込んだら、石の真ん中が消えてどこかの広間が見えたんだ。勇者達はそこに入っていった」
「どんな広間だった?」
「床も柱も黒い石で出来ていてかなり広かった。黒い石の広間なのに、月明かりのこちらよりも明るく見えたな。あり得ない話だが、あちら側だけ日が射しているみたいだった」
「間違いない。妖精王の城だ」
川畑は隣を走っていた森番衆の顔を見た。
「君は凄いな。こんなとんでもない状況なのに、冷静でよく物事を見てる。身ごなしもいい。森番衆というのは皆、君みたいに優秀なのか?」
「いや……若手じゃオレが一番だな。身軽さなら若手に限らず一番だと思ってる。正直、この足場でオレと並走できる奴がいたってのがショックなぐらいだ」
「そうか。まぁ、勇者の供に選ばれたということは、君が一番優秀だったということだよな」
川畑は、小さなはねっかえりを思い出して、少しだけ残念そうな顔をした。
『ねー、ここだよ!』
たどり着いたところで、川畑は塚と扉を確認した。開いたはずの扉はただの一枚岩に戻っていた。
『カギをつかいおわったから、とじたんだよ』
「使い捨ての消耗品なのか。ん?そのわりには迷落の森からここへの扉は長く開いていたな」
「あちらはおそらく、まちがったほうほうであけられたのでしょう。モリがどうなっておるのか、しんぱいです」
シストステガの言葉を聞いて、森番衆は青ざめた。
「そうだった。どうしよう。言い伝え通りなら、父さん達が危ない。早く知らせないと」
川畑は迷落の森に続く迷宮の様子を思い出した。いくら身軽だと言っても、あれを通って帰るのは現実的ではない。
「よし。俺がお前を森に送ってやる。森の北東の端でもいいか?迷宮の出入り口よりもそちらの方が森番の集落には近かったはずだ。シストステガ、お前も一緒に戻って、助けてやってくれ」
『わかりました』
「クロロフォス、お前は妖精女王の館に行って、そこの留守居頭に、死の精霊の墓所が荒らされて、棺が妖精王の城に持ち去られたと伝えてくれ。それから、常闇の迷宮と人間界が繋がったままになって、精霊界の力があちらに流出し続けているから、何が起こりそうかわかるなら対策を取れと言え」
『ふぁ?ふぁいぃ?』
「このままほっとくと、しっちゃかめっちゃかに成るから、できることがあったらやれ!って、言っとけ」
『ひゃー』
クロロフォスはすっ飛んで行った。
目を瞬かせた森番衆に、川畑は風呂敷包みを押し付けた。
「今着ている上着と一緒に、森番の長の息子に渡してくれ。取りに行くから持って逃げてくれって」
「なんで?オレが持ってちゃダメなのか」
「あいつ、義務感強かったから、魔物が出たら無茶しそうで心配なんだよ。前に一度会っただけなんで、向こうは忘れてるだろうが……」
彼はちょっとばつが悪そうに苦笑いした。
「これを理由に、無事なあいつに会いに行きたい。こんな時に個人的な用事を頼んで申し訳ない。人命優先でいい。包みは邪魔なら捨ててくれ」
ソウは目の前の青年の姿をまじまじと見た。記憶にあるのは、やたらに大きかった姿と、腹立たしい悪魔のような笑い方の印象だけだ。このさして歳の変わらない青年の姿と、思い出が一致しない。
「頼んだぞ」
彼はソウの肩に手を置いた。
「あ……」
名前を呼ぼうと思ったとき、彼の姿は消えて、ソウはさっきまでと全く違う場所に立っていた。
小さな声に「いかねば」と促された気がして、ソウは森の中を走り始めた。
川畑は誰もいなくなった墓所の跡を見回した。土に半分埋もれて、細長い台座が転がっている。拾いあげてみると、カタカナのトの字を逆さにしたような棒が2本ついていた。
「刀掛けか。妖精王め、趣味に走りやがって……」
思った通り、ここは川畑が帽子の男と訪れて剣を手に入れた場所だった。あの後、妖精王は帽子の男と相談して、川畑が変化させてしまった刀用に、彼好みの装飾を施した拵え一式を作っていた。
「勇者の奴、あれを持っていったのか」
コスプレ趣味の勇者なら、ロマン装飾な日本刀は好みに合ったかも知れない、と川畑は苦笑した。
川畑はポケットから、丸くなった妖精2人を取り出した。
「カップ、キャップ、そろそろ起きろ」
『ふわー。おはよ、おーさま』
『もう、おはよ?まだくらいよ』
「寝ぼけんな。妖精王の城に行くぞ」
『はーい』
手の上の妖精達を肩に乗せると、川畑は妖精王の私室へ転移した。




