届かない想い人
「やめろ!誤った方法で精霊の世界への扉の封印を解くと、魔なる力が森にあふれ、狂った魔獣が森から出て人里を襲うぞ」
「うるさいなぁ、お前らちょっとそいつ取り押さえておけ」
「はっ」
兵士に取り押さえられたソウは、なおも勇者を止めようとしたが、まったく取り合ってもらえなかった。
「何のためにこんなダンジョンの奥深くまで攻略したと思ってんだよ。ほら、エッセル、さっさと扉開けろ」
「はっ、はいいっ!」
「こちとら扉の管理人のエルフ様が秘蔵の鍵で開けるんだから問題なんてあるわけないっちゅーの」
エッセルは虹色の石板を取り出しながら、おずおずと言った。
「あの……でも、私はこの鍵の番を任されただけで、ここの洞窟のこの門の正しい開け方の儀式は……」
「儀式とか祭礼とかそういうめんどくさい迷信は省略しちゃっていいから、さっさと開けろって」
「やめろ!モモトセノチを削られるぞ」
「黙れって」
勇者の放った電撃の魔法で、ソウは気を失った。
「アキラ!」
「なんだよ。ロッテお前、何でも言うこときくから連れてってくれって言ったんだろ。文句があるなら帰れよ。さぁ、エッセル。やれ」
「……えいっ」
エッセルは虹色の石板を壁の窪みに嵌め込んだ。するとその脇の大きな一枚岩の平らな面全体に虹色が広がって、ゆらゆらと歪み始めた。
「あ!あああ……」
「エッセルさん!」
「アキラ、エッセルが!」
虹色の歪みは鍵の石板からエッセルの身体にも染みだし、その全身を包んだ。エッセルは体を痙攣させ、その場に倒れた。
「大丈夫ですか、エッセルさん」
あわてて駆け寄ったパピシウスが触れると、白くひび割れたエッセルの手が、がさりと崩れ落ちた。
「ひっ」
「なんてこと……」
ショックを受けたロッテが、アキラの方を振り替えると、彼は一枚岩にぽっかりと口を開いた暗い入り口を覗き込んでいた。
「これが常闇の洞窟か。名前通り、暗れえな。よし、お前ら行くぞ」
「アキラ、エッセルは」
「あ?もうここ開いたからいいよ。置いてけよ」
「そんな」
「気になるなら残ってけば。先戻っててもいいぞ」
無情に言い渡して、兵士達を連れて先に行こうとするアキラにかける言葉を、ロッテは思い付かなかった。
「ロッテさん。エッセルさんは僕が運びます」
パピシウスがマントにエッセルの体をくるんだとき、エッセルの両足の膝から下が崩れたのを見て、ロッテは目を背けた。
「行きましょう」
「ええ」
パピシウスに促されて、ロッテは暗い入り口に向かった。
『おうのおこしを、こころよりおまちもうしておりました。どうぞわれらを、おすくいくださいませ』
迷落の森の迷宮に棲む妖精、光苔は悲壮な面持ちで川畑を迎えた。
『勇者はもう中か』
『はい。とどめようとしたのですが……」
腕利きの森番と勘のいいエルフェンの娘がいたせいで、迷いの術も不意打ちの罠も効かず、突破されたという。
『今は?』
現状を確認すると、勇者達が最奥の扉の間に入ったところまではみたが、その後、異様な力が洞内にあふれたので、妖精達は避難したとのことだった。
『なかはいまとてもキケンです。いつもよりもずっとはやく、ユカやカベがくみかわっていて、ヒトがとおれるトコロじゃない』
『とはいえ、行くしかないだろう。プセウド、お前はここに残って森の様子を調べろ。シストステガ、案内してくれるか』
『……わかりました。ごあんないします』
このままでは魔なる力が森にあふれてしまうと呟いて、シストステガは淡いエメラルド色の光を帯びて浮かび上がった。
『けっしてわたしをみうしなわないように、ついてきてください』
川畑はうなずいてあとに続いたが、洞窟に入ってすぐに、それがどれだけ困難か思い知らされた。
洞窟らしい状態だったのは最初だけだった。通路の床と壁は回転しながらスライドして、別の通路に入れ替わり、かと思えば突然、悪夢のように伸び縮みして、二股や三股に分裂した。
「アクション系クソゲーのハードモードかよ」
意識の隙をつくような最悪のタイミングで口を開く落とし穴を避けながら、川畑はひたすら緑の光点を追った。先を飛ぶシストステガと川畑の間を分断するように、通路は割れてずれ続けたが、川畑は壁を蹴り、亀裂を飛び越え、隙間に滑り込んで、なんとか先導を見失うことなく最奥へと進んだ。
『もうすぐです』
殺しにかかっているとしか思えない悪辣な亀裂を、なんとか氷盾を足場にして越えた川畑は、シストステガの声に安堵した。
その時、轟音が辺りを震わせた。
ソウは冷たい床に乱暴に下ろされて目を覚ました。そう時間はたっていないのだろう。体にまだすこししびれが残っている気がした。
薄く目を開けると、月光に照らされた塚を兵士達が掘り返していた。その向こうでは勇者が、銀の飾りのついた黒い鞘に入った見慣れない形の剣を手に何かしゃべっていた。
「勇者殿、ありました」
兵士達が掘り出した黒い棺のようなものを見て、ソウは墓暴きという語が頭に浮かんでゾッとした。
兵士の一人と話していた勇者が、何かを手に持ってソウの方に歩いてきた。
「おい、起きろよ」
勇者につま先でむき出しの腹を蹴られて、ソウはうめいた。腹を押さえながら起き上がると、勇者は小さな石板をソウに渡した。
「なぁ、斥候ちゃん。ちょっと鍵開けてくんないか」
「アキラ!」
勇者の後ろで魔法使いのロッテとかいう女の子が蒼白な顔をしている。
「あそこの壁の窪みにはめればいいみたいなんだけどさ、罠とかあると俺らじゃわかんないから」
ニヤニヤ笑いながら勇者は掘り返された塚の向こうの石壁を指差した。
「大丈夫、大丈夫。斥候ちゃんなら楽勝だって」
ソウは手の上でうっすらと虹色に光る石板を見た。
視野を広く持て。現状を把握して、可能性を考えろ。そして……よく知らない男の言うことをなんでも信じるな。
胸に下げた貝殻のペンダントを握りしめる。ソウが落ち着いてものを考える時のお守りだ。
「(エルフェンの娘の姿が見当たらない。これはあの娘が持っていた石板とよく似ているが別物だ。ここは迷落の森ではない。月があんな風に出ているはずがない。彼女は無事ではないかも知れないけれど、1つ目の扉は開いたんだ)」
ソウは辺りの様子をそれとなく見ながら、石壁に近付いた。平らな大きな一枚岩の端に、確かにちょうど石板と同じくらいの窪みがある。
「あ、あたしがやるわ!」
女魔法使いが、上ずった声でそう言うと、ソウに駆けよって、石板を取り上げようとした。
ソウは彼女の手をかわして、「大丈夫」と言った。
「でも……」
彼女は泣きそうな顔でソウを見た。
その女の子らしい可愛い顔を見て、ソウは胸がチクリと傷んだ。
「大丈夫。手元を明るくしてもらえるかな」
魔法使いは小さくうなずいて、魔法の明かりを灯すと、顔を伏せて後ろに下がっていった。
ソウは石板をよく見た。平らな面は虹色に光ってツルツルだが、裏面には模様のようなものが彫ってある。石壁の窪みの脇にも、似たような模様と、小さくて浅い丸い窪みが3つあった。
「(扉を開ける手順は何だ?この窪みに石板をあてるだけでいいのか?伝承を思い出せ。間違えればモモセノチを削られ人は死ぬ)」
石壁の前でソウが考え込んでいたとき、不意にその耳に小さな声が聞こえた。
『ねぇ、どおして妖精王のくすりいれをもっているの?』
ソウは驚いたが、うろたえずに、そっと小声で答えた。
「これはもらったんだ」
『どーしてもらえたの?』
「お前は見込みがあるから、つまらない怪我はするなって……」
ソウは自分なりにだいぶ脚色した話をしたが、小さな声は信じたようだった。
『あなた、妖精王さまの愛し子なのね』
"愛し子"という言葉にソウは赤面した。お守りにした貝殻をくれた人は、妖精王なんかじゃなかったし、1日だけソウをからかって立ち去っただけの人だったけれど、そんな風に思われたかった気持ちがどこかにあったことに気づいたのだ。
『なにしてるの?』
ソウはすぐに頭を切り替えた。これが掴むべき可能性だと気付いたのだ。
「向こうに行きたいんだけど、開け方を忘れちゃったんだ」
『妖精王さまのおしろにいきたいの?じゃあ、扉をあけるのてつだってあげるわね』
小さな声がそう告げると、石板を持った手がほんのり温かくなった。
『まず、カベのマルにユビをあてて、いまからわたしのいうとおりにタップしてね。うえ、うえ、した、した、なか、した、なか、した……』
「ま、待って、もう一度。その順で窪みを指で押せばいいんだね?」
『うんもう。ちゃんときいてね。タップは"おす"じゃなくて、かろやかにたたくことよ。それでタップがおわったら、すぐにカギをはめるの。ちゃーんと、カドのかけた、はしっこのムキをあわせてね』
「待って、今、確認する」
ソウはあわてて石板を見直した。確かに角の1つが斜めに少しだけ欠けている。壁の窪みもよく見ると端の形状が石板にピタリと合うようになっていた。ソウはすぐに正しく石板がはめられるように、向きを揃えて持ち直した。
「よし、準備できた。タップの順番を教えて」
ソウは壁の丸い窪みに指を添えた。
「(大丈夫。この手の特訓はいっぱいやったんだ)」
昔、ムキになってやった手遊びを思い出しながら、ソウは呼吸を整えた。
『じゃあ、いくよー』
ソウは、小さな声に合わせて、リズミカルに窪みをタップして、石板をピッタリと壁に嵌め込んだ。
石壁は一瞬白く輝いた後、黒い石造りの広間に続く入口を開いた。
大聖堂を思わせる天井の高い大伽藍。円筒形の石柱が並ぶ薄暗い堂内には、飾り窓から日の光が射していて、磨かれた黒い石のモザイクの床に、さざ波のような紋様が浮かんでいる。両脇に下がった銀の燈籠に明かりはなく、壁には恐ろしい姿の幻獣の石像が並んで、命のない目で、侵入者達を見下ろしていた。
「おお、なんだここは」
「なんという禍々しい城だ」
「さっきまで月が出ていたのに、ここは日が射しているぞ」
ざわついていた兵士達は、勇者の命令で、列柱の間に塚から掘り出した棺のようなものを運び込んだ。
「ちょうどよくそれっぽいトコロがあったな」
「アキラ、あなた何をするつもりなの?剣は見つかったんだから、もう帰りましょう」
勇者は腰に差した、美しい銀の飾りがついた黒鞘の刀剣を撫でて笑った。
「バカだなぁ、剣だけ持って帰ってどうすんだよ。せっかくここに復活前の魔王がいるのに」
「ええっ!?」
勇者は運ばせた棺を見下ろした。
「イベント大量スキップでイージーモードだ。この中に寝てる復活前の魔王を滅ぼせば終わりだよ」
「何いってるの。これ死の精霊の墓所から掘り出して来たってことは、死の精霊の棺じゃないの?死の精霊は……創世の神よ」
勇者はロッテの言葉を鼻で笑って、棺に足をかけた。
「くたばりぞこないの老害だよ。こいつを滅ぼして、俺がこの世界の神になる」
「そんなことしちゃいけないわ」
「いいか悪いかを決めるのは神だ。でも、いいぜ。寝てる奴を一方的にヤるのがダメだっていうなら、起こしてから、勇者VS魔王の一騎討ちをみせてやっても」
兵士に命じて、勇者は一抱えほどもある黒い水晶球を持ってこさせた。
「それ、あの廃村に隠してあったものね」
「暗黒水晶球だ。名前はひどいがすごいブツなんだぞ」
「割れて欠けてるわ」
「どっかのバカが割ったんだろ。でもちゃんと使えるのは実験済みだ。こいつさえあれば、命の火が消えた死者の魂は思いのままに操れる。死の精霊だかなんだか知らないが、死んでる奴なら、この球で操れる。楽勝だよ」
神の死体を操って一騎討ちの茶番劇をしようかという、あまりに冒涜的な提案にロッテは目眩がした。
「ダメよ。そんなもの使っちゃいけない。やめて、アキラ」
「まったくお前は文句ばっかりでうるさい女だな」
勇者は水晶球を持ったまま、重そうな棺の蓋を蹴った。
「ほら、出てきやがれ!」
ロッテは勇者の足元からおぞましい魔力の気配を感じた。棺から滲み出た魔力は、地面を這って勇者の前方に広がった。遠巻きに様子を見ていた兵士達が、その力に触れたとたんに胸を押さえて次々と倒れた。
「いやぁっ」
「ロッテさん!」
後ずさって腰を抜かしたロッテは、パピシウスに支えられた。
「ははっ、魔王の復活っぽいじゃん。いいぜ、お前ら、そこで見てな。俺がカッコよく魔王退治してやるから」
「勇者殿!これはいったい……おぁあっ!」
配下の兵士がみな倒れ、騎士タリアーノは狼狽していたが、自身もまた兵達と同様に倒れた。棺から滲み出したどろどろとした魔力は、倒れた騎士の体に集まり、包み込むように這い上がった。
「どうだ魔王さんよ。目は覚めたか」
元タリアーノだった何かは、ゆっくりと起き上がった。
「……私を目覚めさせるな。静かに眠らせてくれ」
黒い靄が渦巻いて表情のわからなくなった顔から、くぐもった声が響いた。
「お寝坊さんかよ。勇者様がお待ちかねだぜ」
挑発する勇者の前で、死の騎士は緩やかに首を振った。
「ここにあるのは、命と魂を失ってただ追憶を抱えた形骸だ。そっとしておいてくれ」
「しょっぺぇセリフだな。リテイクだ。世界を半分やろうぐらい言えねぇのか」
死の騎士は勇者の足元の棺に両手を差し伸べた。
「この世界は我が最愛の妻の命であり、魂の拠り所だ。キサマなどには渡さん」
「はん!そこで女の話かよ」
勇者は棺の蓋を蹴り開けた。
棺の中には、白い砂か塩を固めて作られたような女性の像が横たわっていた。
「我が妻に触れるな」
死の騎士から黒い靄が立ちのぼったが、勇者が手にした水晶球の中の黒い靄が渦巻くと、そこに力を吸いとられるように収まった。
「……我が妻に触れるな」
死の騎士は懇願するように繰り返した。
「ヤだね」
勇者は腰に差していた刀剣を鞘ごと抜いて振り上げた。
「やめろ!我が最愛を害せば、キサマの最愛も奪ってやる」
「へー、俺の最愛って誰?ここにいないんだけど?」
勇者はあたりを見回して肩をすくめた。勇者の後方で様子を見ていたパピシウスはロッテの肩がピクリと震えたのを感じてハラハラした。
「この場にいないなら呼び出すまでのこと……」
死の騎士が重々しくそう言うと、棺を中心に大きな円形の輝きが浮かび上がった。
「あれは勇者殿が現れたときと同じ?」
パピシウスとロッテが息を飲んで見守る前で、円形の光は、黒い石の床の上で脈打つように明滅し、その中央に収束して消えた。
「すげぇ……」
勇者は、棺の中に横たわった像が、生きている女性の姿に変わったのを見て生唾を飲み込んだ。
そこにいたのは、日本にいたときずっと手に入れたいと思っていた女だった。
思わず触れようと伸ばした手は、微かに光る透明な障壁に阻まれた。どうやら棺の上面全体がその障壁で覆われているらしかった。
「はは……魔王、お前を倒せばコレがご褒美ってか?お前最高だぜ!確かにコイツは俺の最愛だ!」
勇者……森永は歓喜した。彼女は高嶺の花だった。学区は隣、同じクラスどころか同じ学校だったこともなく、ただ通学の時に見かけるだけの名門お嬢様学校に通う美人。どんなアイドルよりも妄想のネタにはしたが、現実には付き合うどころか声をかけることすら憚られた相手が、今、時空を越えて彼のために用意されたのだ。
「秒殺してやるよ」
勇者は黒鞘に入ったままの刀剣を、予告ホームランのように、死の騎士に突きつけた。
「笛木規子は俺のものだ」




