夜を駆る者
「おーい、賢者先生。"精霊"って言葉の意味教えてくれ」
「久しぶりに顔を出したと思ったら、藪から棒になんだ」
賢者モルは、そうはいいながらも、読みかけの本をおいて、真面目に答えた。
「えーと、聖霊なら三位一体での神の異名だが、聖じゃないほうだな。万物に宿る力……で、性質とか性格がわりと擬人化されてとらえられてる奴。八百万信仰とか近いな。四大精霊が有名。そうでなければスピリットで、精神とか霊魂だな……ってお前、ちょっと見ない間にまたなんか特訓したか?動きが変で魔力がさらに意味不明なことになってるぞ。測定するからさっさと脱いで計測台に乗れ」
「うう、またモルモットに実験動物扱いされるのか。Tシャツで来れば良かった」
「モルモットゆーな。そういや、なんかえらいめんどくさいカッコしてんな。あ、現地生産品は脱げよ」
「ちくしょう全部かよ。今、帝国の皇子殿下直属の侍従職やってて、宿直中に抜けて来たんだよ。ほら、準備できたぞ、マッドサイエンティスト」
川畑は計測台の上でふてくされた。
「光学ジャミングと魔力結界切れよ。相変わらず走査線が通んない身体しやがって」
「体型はそんなに変わってないよな?」
「言いたかないけど、形状の測定値は初期値からほぼ一緒だよ」
「良かった。元の世界に帰ったとき、また巨大化した?って聞かれたら嫌すぎる。そうでなくても石像だの仁王だの言われてたのに、騎士どもみたいなマッチョゴリラになってたまるか」
「えええ、その分類の閾値がわからない。190cm90kgも2m100kgもおんなじだろ」
「休み明けに10cm10kgオーバーでデビューはキツイ。制服のサイズ合わなくなったら困る」
「煩い。黙っていつもの基本動作やれ。……うん、とりあえず、今まで言うの遠慮してたけど、また見た目維持で性能だけバージョンアップしてる。肉体改造方法が、物質として間違ってるぞ、お前」
川畑は眉根を寄せた。
「失礼な。組成も代謝も正常だよ」
「正常に代謝してるふりしてるけど、そもそもこの異界がお前の出身世界と原理違うのに、お前の体だけ元の世界のままで、かつ定常状態なの相当おかしいからな」
「それは生体恒常性」
モルは半目で、空のコップを差し出した。
「水を入れて」
川畑は精霊魔法でコップに水を注いだ。
「飲んで」
川畑は素直に一口飲んだ。
「お前、その精霊力由来のエレメンタルな組成の水を、自分が体内のどの時点で水分子にしてるか言ってみろ!」
「異界のものは、そのまま魔力に分解して星輝体に還元してる」
「よっしゃ、お前の体内で水分がどう循環してるか、滴の冒険の体内巡り版を測定してやるから、そこになおれ」
「すみません。体内水分のサンプル提供がものすごく嫌なので勘弁してください」
川畑はモルにコップを返した。
モルはコップの中の残りの水が消えているのをみて、顔をしかめた。
「あー、一言質問しに来ただけなのに、非道い目にあった」
元通り上着をきっちり着ながら川畑はぼやいた。
「その善良な一般人ヅラやめい。お前、外形以外の各種測定値めちゃめちゃじゃないか。なんだこれ」
「人間、追い詰められると、通常では考えられないことができるようになる」
「それは人間の潜在能力の範囲内の行動に対して使う表現だぞ。この反応速度とか神経伝達物質の拡散速度ごまかしてんじゃないのか?あと、ATP使わずに魔力で代用してるときあるだろ。アクチンとミオシンが泣くぞ」
「俺だって基本的人権が確保されてるときは、ちゃんと人間らしい生活を心がけてる」
川畑は、残念そうにため息をついて、両手で前髪をかき上げた。
「ただ、自分らしく生きられない事情なんて、世の中いくらでも転がってるから仕方がない」
「お前は自分を1mmも曲げないで生きてるだろ。良いこと言ってるような顔して、人間やめてる言い訳すんな」
「ああ、血も涙もない小動物が、青少年から血と汗と涙 and so onを搾り取ったあげくに、酷い言葉で人の尊厳を踏みにじってくる」
嘆息する川畑に、モルはローキックをいれた。
「ああ、そうだ。モルル、菓子の作り方の本かなにかってないか?世話になっている奴らになんか作ってやりたいんだけど、精霊へのお供え物のレシピしか手に入らなくてな」
「材料の特性が世界によって違うから難しいぞ。うちで作っていく?」
「うーん、じゃあ一度こっちで作ってみてから、向こうで再現できるか試してみるか」
「何作る気だ?」
モルはひょっとしたら恐ろしくハイグレードな要求をされるのではと、警戒しつつ確認した。
「そうだなぁ、卵があったらフライパンでカステラって焼けたっけ?」
「待て!お前、よくそんな知識で菓子を作りたいゆーたな」
幼児向け絵本レベルの認識しかない素人と、基礎理論しか知らない自分が作った菓子が、いかなるものになるか想像して、モルは戦慄した。
「素直に現地の料理人とお供え物のレシピ通りに作った方がいい気がするぞ。……ところで、精霊にお供えって、お前がいっている世界って、アニミズムとか祖霊崇拝系だったのか」
川畑は首をかしげた。
「祖霊崇拝?」
「精霊は死者の魂、常夜の国で安らう死者を指すこともある」
「常夜の国……」
「イザナギが死んだ妻のイザナミを迎えに行ったとこだよ。オルフェウス神話の冥界と同じだ。後に月の神が治めることになった夜の国でもある。地獄じゃないから罪人も善人も死んだら皆そこに行く。安らかな魂は裁かれないんだ。んで、現世にさ迷い出た奴は悪霊ってわけ」
「月が治める常夜に安らぐ死者の霊魂……なるほど、人が死んで精霊と呼ばれるのか」
川畑はじっと考え込んだ。
「お菓子どうする?クッキーぐらいやってみるか?」
「いや……少し考えてみたいことができた。また今度にする」
心ここにあらずといった様子で、それだけ言って、川畑は姿を消した。
「マイペースな奴だなぁ」
モルは読みかけだった本を手に取った。
迷落の森の森番は、難しい顔をして、帰宅した。
「父さん、おかえり。誰が勇者と行くことになった?」
「決まらなかった。ワシが行くと言ったのだが、勇者殿は頑として若い見目のよい娘がいいと言って譲らなくてな。困ったものだ」
「オレが行く」
「ソウ……だがお前は」
「実力は問題ないはずだ。勇者の試練に参加するのに男のカッコをしてようが、女のカッコをしてようが、オレが父さんの跡取りとして次の森番の長になるのに文句いう奴はもう誰もいないよ」
森番は深いため息をついた。確かにソウの実力は、他に抜きん出ている。
「森番の長としては、その決断をしなければならないのだろうが、ワシはお前を行かせたくはない、ソウ」
「オレを信じてくれよ、父さん」
森番はソウの真剣な眼差しに負けて、渋々、持ち帰ってきた布袋を差し出した。
「なんだ?これ」
「勇者が、随伴させる案内人にはこれを着せろと……」
「あん?」
ソウは布袋の中身を改めて、普段はクールなその猫のような目を丸くした。
「これ?服か?」
「この絵のように着るらしい」
渡された絵図を見て、ソウはそのほっそりとした整った顔をひきつらせた。
「勇者ってのは、ど変態か」
「ワシがこの17年、お前にも色々と無理をさせながら男手1つでお前を育ててきたのは、こんなことをお前にさせるためでは……」
これまでどんなことがあっても厳しい態度を崩さなかった父が、うつむいて涙を拭うのを見て、ソウは乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
聖都内に国賓や上級貴族向けの宿泊所として用意されているその館は、帝国皇子の家臣達によってすっかり帝国風の内装にされていた。
「就寝前のお飲み物をお持ちしました」
寝室の扉の前に立つ護衛官は、ジロリとハーゲンを睨んだが、黙って扉を開けた。
「失礼します」
静かに入室し、ベッドサイドの小テーブルに飲み物の用意をしていると、こらえかねた襲撃者が背後からハーゲンに襲いかかった。
『やめんか!鬱陶しい』
『あああ、我が魂の主よ。抱擁ぐらい許してくれてもいいのに』
片手で床に転がされ、足で背中を踏まれた皇子は、全然堪えていない声で嘆いた。
『シャリー達の身柄をかくまって、安全を確保してくれたことには感謝しているが、なにかというと抱き付こうとするのは止めろ』
『彼女にはあんなに甘いのに』
『彼女は子供だ。いい歳したおっさんが何いってんだ』
おっさん呼ばわりされて、ショックを受けている皇子のグラスに、川畑は飲み物を注いだ。
『勇者のところにやっていた妖精が戻ってきた。奴め、邪教の神官が見つからないせいで、自分で邪教の大神官役をやりはじめやがった』
『何?』
『邪教の神官が隠していた魔法の水晶球に、死者の力を吸い込んで集めてたらしい。なぜだかはわからんが、奴はそのアイテムの使い方も利用目的も知っているようだ。奴をこのまま迷落の森から、常闇の洞窟に行かせると、向こうで何をしでかすかわからん。俺は奴を追う』
『わかった。こちらのことは気にするな。うまくやっておく。だが、今から追って間に合うのか?』
川畑は眉根を寄せた。
『そこが問題だ。迷落の森にも常闇の洞窟にも行ったことはあるが、座標は覚えていないんだ。精霊界の妖精王の城に行くことはできるんだが、あそこから女王の館のある夜の側までがまた遠いからなぁ……思えば、天馬のお前は優秀だった。今、お前みたいな天馬がいてくれたらとても助かるんだが』
思わず漏らした川畑の言葉に、皇子は目を輝かせた。
『本当か?私は優秀だったか?主の役に立っていたんだな』
『あ、ああ。お前はいい馬だったよ。飛べて速かったし』
皇子の勢いに気圧されて、川畑はつい、素直に誉めた。再会以来初の、まっとうなお誉めの言葉に、皇子は舞い上がった。ちょっと待ってろと言うと、部屋の扉までいって、護衛官に朝までの人払いを命じた。
「私が呼ぶまで誰も通すな。お前も中の様子をうかがうことを禁ずる」
明らかに有頂天な様子の皇子に戸惑う護衛官の前で扉を閉めると、皇子は嬉しそうに鍵をかけた。
「これで朝まで大丈夫」
彼は無駄に広い寝室の真ん中で、おもむろに服を脱ぎ始めた。
『何やってるんだ』
『我が君への愛を身体で示そう。今夜一晩は思う存分、私を使ってくれ』
『はぁ?』
静かに両手を広げて目を閉じた皇子は、そのまま川畑の目の前で……黒い天馬の姿になった。
淡い光を放つ蹄が夜空を翔る。風を切る漆黒の翼から星の瞬きのような銀光がこぼれ落ちた。
「よし、いい高度だ。次の転移行くぞ。前方の湖上空に出る。そのまま飛び続ければいいから、さっきのように焦って高度を落とすな」
川畑は黒い天馬の背で姿勢を安定させながら、目視範囲内への短距離転移を実行した。
「上手いぞ。それでいい。転移直後は慣性がなくなるから、飛行魔法の速度設定に気をつけろ」
川畑は必死に翔けている馬の首筋を撫でながら、少し思案した。
「うん。お前は飛ぶのに専念しろ。精霊力はいくらでも供給してやる。今からちょっとお前の魔法発動ロジック解析するから抵抗するなよ……そうだ。明け渡せ。俺の知覚データと直結して最適化してやる」
黒い天馬は全身を汗で濡らし、身を震わせたが、夜空を駆け続けた。
「どうだ。これでお前にも見えるだろう。航路を光点で示したから光に沿って飛べ。転移は輪で表示する。転移時の姿勢制御と速度調整は俺がやる。お前は俺の指示通りにしろ」
黒馬は一声嘶いた。
「お前はいい馬だ。今夜中に迷落の森まで駆け抜けるぞ。よし、行け!」
翼から零れる銀光の帯を引きながら、黒い天馬は夜を切り裂いて翔けた。
「ありがとう。よく走りきったな」
夜明け前の静かな森の一角で、川畑は黒馬の汗を拭ってやった。
「人の姿には自力で戻れるか?」
川畑の胸に鼻面を擦り付けていた黒馬は、小さく嘶いて身を震わせた。
「えーっと、精霊力が足りないのかな?んじゃ、いるだけやるから、元に戻れ」
馬の首を抱きながら、力を注いでやると、馬の全身が淡い光に包まれて、溶けるように変形して人の姿になった。よほど消耗したのか、荒い呼吸をしながら脱力してもたれ掛かってくる皇子を、川畑は抱き止めた。
「大丈夫か」
「ああ、これでも皇家生まれの"妖精の子"だ。魂と記憶に刻まれた姿に合わせて自分の肉体を変えるぐらいはできる」
「たいしたものだ。おかげで助かった。お前は帰ってゆっくり休め」
「もう少しこのまま休ませてくれ、もう一度、一人であの距離を飛んで帰るのはつらい」
「それは必要ない」
川畑は皇子を抱えたまま、聖都にある皇子の寝室に転移した。
「このまま寝てろ。護衛官には昼まで起こすなと言っておく」
ベッドに寝かされた皇子は、何が起こったのかわからず、目を白黒させたが、グラスに注がれた飲み物を渡されると、大人しくそれを飲んで休んだ。
川畑は部屋を出て、護衛官に皇子は疲れているので昼まで起こさないようにと告げてから、自分用の控え室に戻った。
『カップ、キャップ、ラッパ水仙、迷落の森に行く。付いてこい。残りの留守番組は厄払いの樹に従え。シャリーを頼んだぞ』
『はーい』
妖精達が頭や肩に乗ったのを確認すると、川畑は迷落の森に転移した。




